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ダンスはお好き?

杏奈とセオドア、婚約中のある日の出来事です。

 婚約を家族に認めてもらってからも二人の生活はあまり変わらない。セオドアが杏奈の送り迎えをする以外ではデートらしいデートもしていない。それでも二人は一緒にいるだけで幸せそうで、いつもにこにこと寄り添っている。

「いっそ早く結婚して二人で家に籠ってくれた方が、こちらも目のやり場に困らなくて助かる。」

 ちっとも目のやり場に遠慮している風もない軍医をして、そう言わしめる熱愛ぶりである。



 セオドアが職場に戻ってすぐ、セオドアと杏奈はアンドリューからフォード家の夜会に招かれた。普段は領地にいるアンドリューの父母と弟が王都に戻っているらしい。折角だから王都に間に知己を集めてい夜会をすることにしてみたら、随分と大きな会になってしまったのだという。アンドリューを筆頭に将来有望、容姿端麗な三兄弟が久しぶりに揃うということで、セオドア達の耳にも入るほどフォード家の夜会は話題になっていた。彼ら目当てに年頃の令嬢がこぞって参加し、そうなるとそれを追うように若い騎士達も参加したいと言い出したので当初予定を大きく超える参加者が出るようだ。

「そんなわけで、もう呼べるだけ呼ぼうということに方針を変えたんだ。」

 アンドリューは苦笑い気味にそう言った。

「多少混み合うが、二人の婚約の報告して回るにも良い機会になるだろうから是非来てくれ。」


 自宅で開かれるもの以外、夜会に参加したことがなかった杏奈にとっては社交の場に出る初めての機会になる。招待状が届いた後はアデリーンと女中達がこぞって杏奈の支度を整えた。

「もう婚約したんだから、別にアンドリューの目を引かなくてもいいんだし。そんなに気飾らなくても。」

 アルフレドが控え目に止めたものの、女達は聞く耳もたずに自慢の娘の晴れ舞台に相応しいドレスを用意した。


 迎えにきたセオドアの目を奪った杏奈は、フォード家の大広間でも騎士達の注目の的になった。深い秋の季節に相応しい栗色のドレスは杏奈の腰の細さを強調する細いラインが特徴で、裾に向かって緩やかに広がるスカートが華やかさを添えている。

 本日の主催者であるアンドリューが今日は無礼講で楽しんでほしいと乾杯の挨拶をして場が解けると、若い令嬢方はアンドリューや弟達の傍に寄ろうと動き出し、若い騎士達は目当ての令嬢を方へと動き出す。杏奈のところへも騎士達がやってきた。寄り添うセオドアと婚約したことをまだ知らない者も多く、彼らは次々と杏奈にダンスの相手を求めて来た。セオドアにしても婚約したからと言って、夜会の全てのダンスを断らせるほど心は狭くない。あまりしつこいようなら断ってやろうと思いながら付き添っていた。今日はチェットも同行しており同じように寄ってくる騎士達に目を光らせている。しかし、セオドアやチェットの心配は必要なかった。


「私、ダンスが踊れないんです。踊ったこともないですし。」


 ダンスはまだ習っていない。女中として生きていくのならば不要な嗜みなので後回しにしていたからだ。杏奈が困ったようにそう告げると彼女を取り囲むようにしていた一同は残念ながら引き下がらざるを得なくなった。無理に引きずり出して恥をかかせては本人にも申し訳ないし、アルフレドを筆頭にセオドアやチェット、それにどうやら杏奈を可愛がっているらしい軍医も黙っていまい。セオドアらはともかくアルフレドと軍医を敵に回すのは上手くない。騎士たちが「仕方がないね」と口々に言う中で、チェットが目を煌かせて杏奈に声をかけた。

「だったら今日はしょうがないから見学ってことにして、これから練習すればいいよ。これからちょっと踊ってくるから見てて。王宮で踊るんじゃないんだからそんなに難しいことはないんだよ。」

 言うが早いかチェットはなぜかセオドアの手を取って、踊りのために広く開けられた人の輪の中に進み出た。男同士で出てくれば、ここまでの話を聞いていないものでも注目する。一体なんだと他の踊り手も皆足をとめて二人に場所を譲った。

「おい、お前。何の真似だ。」

「兄さんが男役ね。僕がアンナだと思って踊ってよ。」

 チェットはいきなり無茶をいう。

「は?」

 セオドアは思わず聞き返したが、音楽が始まるのに合わせてチェットは素早くセオドアの手をとって踊りだしてしまった。強引に振りほどくことならいくらでもできたが、セオドアはどうも弟を乱暴に扱う気にならない。仕方ないのでやる気のないまま歩調を合わせていると、くるりと回った瞬間に杏奈が目に入った。本気で勉強しようと思っているのか真剣に自分たちを見ている。セオドアの視線に気がついたチェットが小声で話しかけてきた。

「ダンスは得意でしょ。アンナにいいところ見せておきなよ。兄さん、婚約したからって安心してたら駄目だからね。」

「なるほど。お前は俺が婚約者を横から掻っ攫われそうだと思っている訳か。」

 ねめつけられてチェットは少し口を尖らせた。

「捻くれたとり方しないでよ。言い寄ってくる奴らなんか足元にも及ばないって惚れ直させるくらいの心意気でさあ。」

 セオドアは嘆息する。杏奈に良いところを見せたいという見栄がないではないが、他の女性と踊っているところなど見せたくない。ではチェットなら良いかというと、それはそれで要らぬ誤解を方々に生みそうだ。悩んでいるセオドアに向かってチェットは不服気な顔のまま止めを刺す。

「いつかの貸し、これで返されてあげてもいいよ。」

 至極最近、大怪我をした際に弟には大変世話になった記憶があるので、それを持ちだされるとセオドアの立場は弱い。セオドアは自分の表情を窺いながらも完璧に女性のステップを踏む弟をじろりと睨んでから急にステップの早さを上げた。男同士の歩幅だからできるダイナミックな動きで大きく回りこみ、ついでに弟の腰を支えながら思い切りのけぞらせて顔を覗き込む。ほとんど胸が重なっている危うい二人の距離に令嬢達はまさか道ならぬ恋かと黄色い悲鳴を上げた。

「そんなに言うなら乗ってやろう。ただ入らぬ恥をかかされるだけではたまらないから本気を出すぞ。」

 兄が顔を寄せてそういうと、弟は「本気出す前に、一言ほしかったな」と言い返しながら勢いよく体を起こしてきた。そのまま頭突きでもしそうな速度だったが、二人はあうんの呼吸でそれを避けて、今度は直立して体を寄せ合ったまま至近距離で睨みあう。どちらともなくニヤリと笑みが浮かんだ。そのまま曲に乗せて、二人は時に騎士たちが歓声を上げるほど力強く激しく踊り続ける。それは勇ましいだけでなく、どこか背徳の気配があって若い令嬢たちは扇の下で頬を染めた。

「うわああ。」

「いいぞー。バカ兄弟。」

 騎士達からは歓声が途切れることなく上がる。杏奈は意味のある言葉など出ずにただ開きっぱなしの口に手を当てていた。ちっとも簡単そうではないが、二人の踊る姿は危うく、美しく、学ぶつもりがただ見惚れてしまった。あの大型犬のようなチェットと無骨な印象が否めないセオドアの組み合わせで、なぜ婦人たちが扇で顔を覆って悲鳴を上げるような色気が出るのか不思議でならない。ましてや二人は兄弟なのに。いや、兄弟だからこそ似ているところがあって、たとえば顔を寄せて笑いあったときの表情や、少しだけ開いた口元からのぞく大きくて尖った犬歯が鏡に映したようで、それが妙に倒錯した雰囲気を感じさせるのかもしれない。


(なんか、すごくどきどきする。こういうの何ていうんだっけ。腐女子?)


 杏奈の脳裏には鋭い眼差しを向け合う二人の表情や、汗の流れる横顔。上着の背に回された大きな手の一つ一つが刻み込まれていった。ダンスというのは大人の遊びなのだなと考えて自分にはまだ早いと諦めそうになる。あんな踊り、習ってもできそうにない。足裁きの問題ではない。全身で表現されていた何かの方が大問題だ。見る人によってそれは色気であったり、覇気であったりするのだろう。なんにしても杏奈にはそうしたものは無縁に思えた。


 女性達を避けて奥で話していたアンドリューとミラードが騒ぎに気がついてやってきたときにはダンスホールは完全にローズ兄弟の独壇場になってしまっていた。

「あーあ、面白いことをしてくれているね。」

 ミラードは客たちの姿を見て笑いをこぼす。際どいことをやってくれたものだが、これだけ好評では誰も文句を言えないだろう。もともと無礼講であると主人自らが宣言している宴だ。ここで説教じみたことを言えば、アンドリューの顔をつぶすことになってしまう。

 やがて曲が終わるとやんやの喝采に迎えられて二人は栗色のドレスの娘の元へと帰って行った。


「どうだった?」

 散々同僚たちに背中や肩をどやされながら杏奈の隣に戻ったチェットを彼女は興奮した様子で振り仰いだ。

「素敵でした。お二人ともとっても綺麗でどきどきしました。」

「それはどうも。兄さん、格好良かったでしょ?」

「はい。」

 もうそれは文句なしに格好良かった。伸びた背筋も、力強いステップも、大きなチェットを軽々と扱う腕も。杏奈は躊躇い無く返事をすると視線をチェットの後ろについてきているセオドア向けた。セオドアは少して恥ずかしそうに目を逸らした。弟の悪のりに乗ってみたものの、改めて自分の婚約者に向かいあうと恥ずかしい。素直に褒めてくれることを喜ばしいと思うべきなのか。

「セオドアさん、ダンスお上手なんですね。」

 しかし、杏奈に声をかけられれば悪い気はせず、セオドアは特別に上手いわけではないと言いながらも笑顔を浮かべた。

「昔ダンスの練習を始めた頃に、二人でああやって遊んだんだ。まだ小さかったチェスターを女役に見立てたのを未だに根に持っていたかな。」

 杏奈は、ダンスの練習と言いながらふざけて転げ回る少年たちを想像して微笑んだ。

「楽しかったのでしょうね。」

「教えてやろうか。」

 周りで我こそはと立候補しようとしたどの男よりも早く、セオドアが申し出ると杏奈は頬を染めて首を傾げた。

「でも私には、あんなの無理です。」

「普通はあんな乱暴な踊り方はしない。大丈夫だ。」

 一緒に踊りたいと思ってもらうどころか、かえって尻込みされてしまっているではないかと胸の中でチェスターに文句をつけながらセオドアは言葉を重ねた。

「まずは二人で初めてみればいい。それなら途中で止めても失敗しても誰にも迷惑はかかるまい。」

 杏奈はセオドアを見上げて不思議そうに問いかける。

「それでもセオドアさんにはご迷惑がかかるじゃありませんか。」

「俺はアンナと一度でも踊れる機会があるなら、ちっとも迷惑だとは思わない。」

 真顔で言い返されて、杏奈は絶句してついでに息をするのも数秒忘れた。息をつめたせいなのか見る間に顔が赤くなる。聞き耳を立てていた周りの男達も杏奈と全く同じ反応だ。

「そ、そういうことを、さらっと言わないでくださいって言ってるじゃないですか。」

 杏奈はセオドアの肘のあたりを軽く叩いて突然の殺し文句に抗議したが、その様子はじゃれあっているようにしか見えず、杏奈を狙っていた騎士達は砂を吐いて退散した。


(ううむ。本気の兄さんはある意味無敵だな。)


 チェットは汗をぬぐいながら満足げにその様子を見届けた。



 ローズ兄弟による予想外の余興を出された後に踊りだすのは誰もが躊躇うようで、妙な熱気を残したまま人の輪の中はしばらく無人であった。戸惑うようなざわめきが続く中、急に耳をつんざくような悲鳴が上がる。紳士淑女の集まる夜会でこれほど叫び声が上がることは珍しい。今度はなんだと皆が振り返ると、いたずらっこのような無邪気な笑顔のミラードに引っ張られてアンドリューが人の輪の真ん中に出てくるところだった。

「嘘だろう。」

「うわあ、ミラード司祭様は無敵だね。」

 セオドアとチェットが呆気に取られている間に再び明るい曲が流れ始めた。苦笑いでミラードについてきたアンドリューもやはり場が整えられてしまうと逃げられないようで、一度ミラード司祭の頭を軽くはたいてから彼の手をとって踊りだした。


「ふあああ。」

 普通にしているだけで何かきらきらとしている人たちが踊りだしたらどうなるか。杏奈の語彙ではもう表現できない領域の出来事が発生していた。大柄なアンドリューと並ぶと本当にミラードが女性に見えてしまうのだ。淀みないリードでアンドリューがミラードを躍らせる。くるりと回ると彼の金髪がなびいて輝いた。二人もいつの間にか童心に帰ったのか、ときどき目を合わせて困ったように、企むように笑いあっている。どちらかが不意に強く相手を引けば、負けるものかと引き返される。ミラードがふざけてしなを作って見せると、アンドリューは誰もが羨む美しい笑顔で甘く見つめ返してみせる。

「大人の悪ふざけは性質が悪いや。」

 チェットがつぶやくと、セオドアは無言で弟の後ろ頭を小突いた。誰がこの混沌とした事態を生み出したと思っているのか。ミラードとアンドリューが踊ってしまったら、もうこの後誰も踊る気になれないのではないだろうか。セオドアはこの件で、自分のしたことが杏奈を除く皆の記憶からかすむといいと願いながら見守った。


 セオドアの思った通り、この日はアンドリューとミラードの踊りがラストダンスとなった。そして二人が揃って姿を消すと二人の関係を邪推する声がそこここで上がった。果たしてミラードがそこまで狙ったのかは分からないが、結果として彼らは久しぶりに誰にも邪魔されずゆっくり話す時間をとることができた。


 後日、セオドアと杏奈は二人だけでダンスの練習を始めた。ローズ家の庭やヴァルター家の広間で寄り添って踊る二人はとても楽しそうで、チェットは自分はなんて兄孝行なのだろうと一人満足を噛みしめたらしい。

本編では婚約期間中の出来事を入れると長くなりすぎるのでカットした悪ふざけする大人たちのお話。

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