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愛していると言えば、嘘になる  作者: 青砥緑
試されるとき
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誓います

 杏奈とセオドアが初めて出会った日から数えて三度目の秋。


 王都には青空が広がり、清々しい風が吹きわたる。白い教会には結婚式の定番の春告草の代わりに色とりどりの秋バラがたっぷりと飾られている。会場にはずらりと立派な騎士とその連れ合い、そしてそれまでに杏奈とセオドアが出会った友人と家族達が揃っていた。新婦の家族が揃う教会の席には子供たちが十名ばかりが腰かけ、周りの華やかな騎士や着飾った女性達を目を輝かせて見回している。


 花嫁の控室で杏奈の支度を手伝った四人の女中は時間になり、立ち上がった彼女の姿に涙して送り出してくれた。

「とっても綺麗よ、アンナ。テッド坊ちゃんは果報者だわ。」

「幸せになるのよ、アンナ。でも、いつ戻って来ても私達は歓迎するわよ。」

「私、こんなに素敵な花嫁を送り出したのよって一生自慢できるわ。」

「泣くんじゃないよ。せっかく綺麗にしたんだからね。笑って。そうだ、アンナは笑顔が一番さ。」


 礼拝堂の扉の前ではアルフレドとアデリーンが待っていた。二人はセオドアの元まで杏奈を送り届ける役だ。

「綺麗よ。さすが私の自慢の娘だわ。」

「私達の、と言ってほしいな。」

 二人は笑顔で、けれど少し泣きそうになりながら本当の両親のように娘の手を引いた。ほんの一時、自分達だけの娘であってくれた杏奈。おそらくこの先も子供を望めない夫婦にとって夫に似た髪と目の色をした可愛い少女は天からの贈り物のように思えた。自分達がこんな娘が欲しいと昔夢見たように素直で優しく心温かい少女。その幸せな巣立ちを見送らせてくれるという喜びに式が始まる前からどうにも涙がこみ上げる。

 扉が開かれると駆けつけてくれた客達が一斉に振り返る。綺麗、という囁きと感嘆のため息がそこここで起きた。細身の白いドレスに身を包んだ杏奈は未だに騎士達の間で囁かれる「アウライールの聖女」の渾名に恥じない清楚で美しい花嫁だった。

 一歩一歩。祭壇の前で待っているセオドアに近づいて行く。騎士の礼服姿の彼を見るのは初めてではないけれど杏奈は胸が高鳴った。自分が想う人が、自分を想ってあの場所に立っていてくれること。その幸福に杏奈は口元に小さな笑みを浮かべた。

 ついに彼の前に立ち、アルフレドとアデリーンの手を離す。


「ありがとう。おとうさん、おかあさん。」


 二人は杏奈に飛びついて抱きしめたいと思ったが、そっとお互いの手を引きあって我慢した。しかし涙は耐えきれず、泣き笑いの笑顔を浮かべて娘を見送る。席へ戻ると執事が自身も目を赤くしながらハンカチを差し出してくれた。ヴァルター家の席はずっと皆泣き通しだ。


 泣いている二人を心配そうに見守っていた杏奈はセオドアに手を取られて顔を上げた。そのまま二人で祭壇に向き直る。祭壇には大抵の花嫁ならば呼びたくないと思うほどの美貌の司祭が待っていた。彼が結婚式を行うことは稀だ。とくに大司祭になってからは治癒の仕事で手いっぱいで奇跡を起こす必要の無い儀式の仕事は少なかったという。しかし、婚約の話を聞いたときにすぐに結婚式は自分がやると言い出して、本当に都合をつけてくれた。

「さあ、お二人とも一歩前に。」

 にこやかに二人を自分の前に招いたミラードは二人にだけ聞こえる小さな声で「とうとう、この時がきましたね。正直、待ちくたびれましたよ。」と話しかけた。その気取りのない一言に緊張が解けて杏奈とセオドアの顔に薄く笑顔が浮かぶ。それをみてミラードは満足げに頷いた。

「そうですよ。幸せの日なのですから笑顔で。ね。」

 ミラードは事前に結婚式なんて十年ぶりだ、などと嘯いて杏奈とセオドアを不安がらせたが始めてみれば滞りなく式を進めた。



 そして、長くはない式の最後に結婚の誓約が始まる。もう絶対に大丈夫だと信じていても杏奈は手に汗をかき、貧血かと思うほどに手足が冷たくなった。何度も思い返される過去の記憶。いつも自分は幸せに教会を後にすることのできない花嫁だった。今度こそは、ちゃんとセオドアの隣で笑ってここを出ていくのだ。


(私はセオドアさんを愛しているもの。大丈夫よ。)


 杏奈が目を伏せて言い聞かせている間に、ミラードのセオドアへの問いかけが終った。礼拝堂は一瞬静まり返る。

「誓います。」

 セオドアの声は静かな教会に響いた。ミラードはにっこりと微笑んで杏奈に視線を移す。

「では、次に。アンナ。貴方はこの者、セオドア・ローズを夫として永遠に変わらぬ愛を誓いますか。」

 杏奈は息を吸った。

 指が震える。目がくらむ。心臓はどうしてこの音が他の人に聞こえてないのかと思う程激しく打っている。再び静まった礼拝堂に少し長い間が流れる。事情を知るミラードは震える杏奈を心配そうに見つめながら、じっとその返事を待っている。


(言え。言うのよ、杏奈。絶対大丈夫だから。)


 杏奈が目を開けようとしたときにふわっと手が温かい物に包まれた。セオドアの手が杏奈の震える手を握っている。彼を見上げれば、大丈夫と言うように頷いてくれる。杏奈はそれに勇気をもらった。もう一年以上も婚約者として寄り添ってきた。恐れることはないはずだ。杏奈はもう一度ミラードに向き直った。


「誓います。」


 世界はどこかへ消え去ったりはしなかった。

 杏奈は同じ場所にいて、隣にはセオドアがいる。ミラードが微笑んで「では、ここに婚姻の成立を認めます。」とお決まりの文句と共に神への祈りを捧げるのと聞きながら、杏奈は安堵に崩れ落ちそうになった。


 ミラードに「契約の口づけを」と示されて改めて向かいあったとき、杏奈はセオドアの目の縁が赤いことに気がついた。彼も杏奈が誓いの言葉を言うことの意味を正確に知っていた。杏奈と同じだけ緊張して聞いていてくれたに違いない。彼も泣きそうだったのかもしれない。杏奈はセオドアを勇気づけるように微笑んだ。

「ちゃんと一緒にいますね。」

 杏奈が小声で囁くと、セオドアは「そうだな。」と笑った。

 それからセオドアは杏奈の肩に手をかけて顔を近づけ、杏奈はそっと目を閉じる。唇が触れるまでの僅かの時間をとても長く感じた。


 セオドアも目を閉じようとしたそのとき、白いものがふっと視界を遮った。思わずセオドアが視線を上げると杏奈の頭の上にちょこんと白い鳩が降り立ったところであった。そして大きく胸を膨らませて、盛大にクルクルポーと鳴いた。完全に流れを断ちきられたセオドアはまじまじと白い鳩を見つめる。胸を張ってちょっと偉そうに杏奈の頭に鎮座した鳩は全く動く気配を見せない。むしろ挑発するかのようにばさっと翼を広げて見せたりする。

「セオドアさん、あの、私の頭の上にもしかして鳩のってます?」

 明らかな鳩の鳴き声と、頭上に感じた軽い感触に杏奈はもしやと思いながら目を開けて、自分の頭上を凝視しているセオドアに問いかけた。

「ああ、乗ってるな。しかも、たいそう得意気に。」

 セオドアは杏奈と目を見合わせてから、もう一度鳩に視線を戻した。


 参列客はも突然の珍客に言葉を失っていたが、次第に白い鳥とは縁起が良いと喝采が上がりだす。

「神の使いではないか。さすがアウライールの聖女だな。神の祝福があるに違いない。」

「まことにめでたい。」


 歓声に気を良くしたように鳩はもう一度クルクルポーと鳴いた。その堂々たる態度がふてぶてしく思えて来てセオドアは軽く鳩を睨みつけた。鳩の方はセオドアの視線などお構いなしに杏奈の上に居座っている。このままでは、口づけどころではない。見兼ねたミラードがそっと手を伸ばして鳩を抱き上げてくれた。

「こちらの鳥さんには、すこしお待ちいただきましょう?」

 にこりと笑ってミラードは一歩下がる。

 セオドアは気を取り直し、もう一度杏奈の頬に手を添えた。改めて杏奈は目を伏せる。そして今度こそセオドアは愛しい花嫁に口づけた。触れるだけの優しい口づけ。そっと目を開いて見上げればいつも杏奈の思い出す通りの優しいセオドアの笑顔がある。杏奈は嬉しくて気持ちのままに彼に抱きつくと、ぎゅうと強く抱きしめ返される。なかなか離れる様子の無い熱い抱擁に参列客から歓声と野次が上がった。


 セオドアはゆっくりと腕をといて彼女の体を起すと、ミラードの手の中の鳩に視線をやった。ミラードがそっと手を開くと鳩は舞い上がり、セオドアの目の前を掠めてから改めて杏奈の肩に舞い降りる。そのまま杏奈の頬にすり寄る鳩を見てセオドアの額にうっすら青筋が浮かんだ。何だか先ほどからこの闖入者に自分を小馬鹿にしたような態度を取られている気がしてならない。幸せの絶頂の花婿らしからぬ表情を浮かべるセオドアをみて、杏奈は鳩をそっと掴んで肩から退かせてみる。そのまま手の中の鳩をじっと見つめると鳩はつぶらな瞳で見返してきた。大きな白鳥とは似ても似つかないくらい小さくて可愛い。それでも杏奈は思わず聞いてしまった。

「鳥さん?」

 小さな瞳はいつか見た浅葱色に見える。杏奈が小首をかしげると、鳩は答えることなく大きく羽ばたいて二人を先導するように教会の外に向かって飛んで行った。

「大きさが違いすぎるか。」

 もし、今日ここに彼がいてくれたらどんなに素敵だろうと思うけれ彼女のお友達は小さな鳩とは比べようもない大きな白鳥だったはずだ。近くにいたミラードとセオドアが気がついたかと二人を見上げると、セオドアは目障りな動きを繰り返した鳩が去ったせいか満足げに微笑んでおり、ミラードは杏奈と目を合わせて含み笑いをこぼした。

「え?」

 笑いの意味を問うように杏奈が小さく声をあげると、ミラードは指を口の前に立てて静かにと示して見せた。しかしにっこりと目を細めるその表情は、まるで杏奈がまさかと思ったことを肯定しているように見える。

「二人に神の祝福のあらんことを。もう二度と自分と巡り合わなくて良いように幸せにおなりなさい。」

 ミラードは二人にだけ聞こえる声でそう言うと「私の友人の、そのまた友人からの伝言です。」と付け加えた。怪訝な表情を浮かべた二人だが、ゆっくりと時間をかけて言葉の意味を理解していく。

 幸せになれば巡り合わないはずのもの。そして青い瞳の小さな白い鳩。

 あの白い光は、きっと杏奈の友人はずっと彼女を見守っていてくれたのだろう。そしていつか果たせなかった祝福を授けに来てくれた。二人はほとんど無意識にお互いの手を強く握り合った。きっと杏奈はもうどこにも飛ばされたりしない。今さきほど誓った通りに、二人はずっと寄り添っていられるだろう。その安堵は二人にとって何よりの祝福であり、贈り物であった。


(ありがとう、鳥さん。今度こそ胸を張って教会を出て行くから、見ててね。)


 退場の準備が整うとセオドアは改めて杏奈の手を自分の腕にかけさせた。

「さあ、行こうか。もう怖いものなしだ。」

「はい。」

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