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愛していると言えば、嘘になる  作者: 青砥緑
試されるとき
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贖罪

 薄灰色の空間にぼやりと白い光が浮かび上がる。その光は段々と大きくなって白い狼の形をとった。

「久しいな。小僧。」

 何もないかのように見えた空間に、ぽんともう一つ白い光が浮かんだ。それは丸い光のまま宙に浮いている。

「よう、お節介。」

 白い光は狼の目の前に飛んできて震えながら声を発した。

「お前はいつまでここに留まるつもりだ。」

 挑発に乗らずに狼は白い光を睨み上げる。

「誰が好きでこんな辛気臭いところに転がってるもんかよ。お前だって知ってるだろう。俺はここから出られねえの。なんたって神様がお怒りだからな。」

「ふん。そんな見え透いた嘘を。」

 牙をむくように狼が嗤う。そしてぐるりと白い光の下を歩き回り始めた。

「お前の力は確かに削がれた。形を失うほどに。だがそれからどれほど経ったと思っている。もう十分戻っているはずだ。ここから出ていけるだけの力があるだろう。」

「そう思い込むのはお前の勝手だけどな、ねえっていったらねえんだ。急に来たと思ったらそんな話かよ。」

 白い光はぽんぽんと狼の前を弾むように動き回って歩みを邪魔しながら不満を表現する。

「もう去年のことになるか。お前の湖には急な春雷があったな。ちょうど山に入っていて泥まみれにされたものだ。」

 狼は世間話のようにそういうと立ち止り尻尾をゆるく揺らした。わずかな苛立ちのサイン。

「そうかよ。運がねえな。」

「あれはお前のせいだったろう?」

 狼は青い瞳でじっと白い光を見つめる。

「誤魔化せると思うのか。私を。」

 狼の言葉に白い光は返事をせずにぴゅうと遠くへ逃げた。彼らはともに神の使い。いや神の使いと、かつて神の使いであったもの。白い光には自分以上に自分と同じ力を操る狼を誤魔化せないことは分かっていた。あの場に狼がいたというのは間の悪いことだった。あの日、湖に突然降った季節外れの雨と雷は確かに自分のせいだ。感情が抑えきれずに、彼の力が暴走して雨になり、雷になった。

「あれは、たまたまだよ。」

 気まりわるそうな言葉は先ほどまでの勢いを失っている。

「あれほどの雨を不意に降らせるだけの力があって、姿かたちをとれないなどということがあるか。お前は何を恐れているんだ。」

 狼は一歩、また一歩と白い光に近づく。

「お気に入りの娘を手放さなくてはならなくなって拗ねているのか。一体何百年拗ねているつもりだ。お前が拗ねている間、お前の見守るはずの湖を、大地を守っているのは誰だと思っている。」

 白い光が見守っていた土地は、彼が居なくなった後に別のものに引き継がれることは無かった。他の神の使いは現れない。しかし加護が絶えることもない。いうなれば神の直轄領となっている。そうしたのは、彼をいつかもう一度同じ場所に神の使いとして戻す気があるからではないか。狼が示したことに白い光も気がついていた。けれどそれを認めたくないと目を逸らしてきた。


「もう気がついているのではないのか、許されていることに。」


 狼の言葉に白い光はポンと高く跳び上がった。どこまで飛び上がったのか、狼の方からは光がひどく小さく見える。

「お前が自分を許せなくても、神はもう良いと仰っているということだ。何より娘もお前を恨んでなどおるまい。」

 白い光は一度は奪われた力が人の子が寝て起きて力を取り戻すように、長い時の中で戻っていることにずっと気づいていなかった。はじめてそのことを知ったのは、先ほど狼が言った春雷の日だ。彼にはとても悲しい出来事があって、独り泣き叫んだのだ。それが雨を降らし雷を呼んだ。そこで初めて自分に力が戻り、この灰色の世界を出ていけることを知った。それでも白い光はこの誰もいない薄闇を選び、神の下した罰を受けていることを選んだ。彼にとって神が自分を封じるに至った出来事は許されるようなことではなかったからだ。

「だからあいつを会いに来させてやったっていうのか。余計なお世話なんだよ。あいつは俺のせいで死んだ。ひでえ死に様だったんだよ。」

 途中から白い光の声から力がなくなる。時がいくら経っても彼の中で幼い娘の無残な最期の記憶は薄れていなかった。彼の不注意で人の子の幸せを失わせた。償っても償いきれないことだ。しかも、彼が良かれと思ってその子にかけた守りの魔法が、今また同じ娘の幸せを阻んでしまうことを目の当たりにした。娘は愛の言葉を恐れるようになってしまった。そんなことを望んだわけではない。深い後悔が雨を降らし、それによって皮肉にも自分が神に許されていることを知った。

「知っている。」

「今度も、俺のせいで苦しんで。傍になんかいないほうがいいに決まってる。俺なんかいない方がいいんだよ。」

 狼はぐるると鳴くと、大きく跳躍した。あっという間に高くに逃げていた白い光の前に降り立つ。

「逃げ出すな。お前が逃げて残されたものはどうなる。」

 言葉を返さない白い光に狼は意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「お前が巻き込んだ娘を放り出して尻尾を巻いてこんなところに閉じこもるのか。意気地無しだな。」

 白い光はフルフルと震えだした。余程堪える言葉なのだろう。知っていてそれを口にした狼は目もない光から睨まれているのを感じた。

「悔しいのなら、勇気を見せてみよ。これ以上何を待つと言うのだ。」

 白い光の震えは大きくなる。感情に色がつくならこの光はとうに真っ赤になっているだろう。そのまま狼は白い光としばし睨みあった。

「もう十分に時は経った。あの時できなかった祝福をしてやるときではないのか。それがお前の役割だろう。」

 あの日、娘の婚礼を察して飛んで来たとき。それがどんな婚礼かもしらずこれからは辛いことがないようにと祝福してやるつもりでいた。涙を堪える彼女の顔を見た瞬間に行き場のなくなってしまった祝福。今ならば、今生ならば彼の大事な友人に捧げてあげられるかもしれない。


 白い光は狼の前にしばし留まっていたが、ポンと弾むと一気に大きくなり、それから急激に縮みだした。大きな光が集まるにつれてその中心の光は強くなっていく。白い光はどんどん縮んで行き、やがてしっかりとした形をとった。何もない空間に佇む白い鳩。小さな瞳は青く澄んでいる。狼の記憶にある彼のかつての堂々たる姿に比べたら随分と可愛らしいその姿。それを見上げた狼が面白そうに尻尾を大きく揺らした。

「お前。」

「言うな。」

 遮るように鳩は鳴いて、大きく羽ばたきそのまま旋回して狼の頭の上に降り立った。

「その姿を見せたくなくて外に出なかったというのではあるまいな。」

「ふん。」

 鳩は精いっぱい大きく胸を膨らませて、小さな足で狼の頭を蹴りつけた。狼は笑いは堪えたが尻尾は大きく揺らしたまま歩き出す。

「だいたい、お前がいつまでも拗ねているせいで私のいとし子に面倒をかける羽目になった。いい迷惑だ。」

 狼は鼻をならした。白い鳩は狼の頭の上に乗ったまま不服気に言い返す。

「何がいい迷惑だ。お前自分のせいじゃねえか。人の心づくしの贈り物にけったいな術かけやがって。」

 かつて地上でそうしていたように言いあいながら、一羽と一匹は灰色の空間を出て行った。

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