呪いか愛か
セオドアは結局、二カ月の休職を経て復帰し、すぐにこれまでと変わりなく国中を駆け回ることになった。更には少ないが部下を持つようになってますます忙しい。一方の杏奈もザカリーの下で仕事を続けた。全てを終わらせるのに一年と見込まれた仕事は順調に進められ、ついに杏奈は一つの大きな仕事をやり遂げた。
二人にとって三度目の秋の初め。長い休みがとれたセオドアと共に杏奈は旅に出ていた。どうしても行っておきたい場所があった。王都を離れるような長い旅は子供達を訪ねるために教会を訪れるため以外では初めてのことだ。二人だけでの旅も初めてだった。
杏奈は半年に一度は子供たちの元を訪れている。行きと帰りで四日はかかるの道のりをセオドアやアルフレドの部下達と数名で行くのが常だ。今回も旅の途中で教会に立ち寄ってきた。
「本当に皆、どんどん大きくなりますね。嬉しいような寂しいような。あのネルがすっかりお兄ちゃんになっちゃって。」
杏奈は馬車の中でセオドアと向かいあって笑う。
「次の春にはエマも一人立ちか。早いものだな。」
村を離れる時に、杏奈に告げた通りにエマは新しい教会で杏奈やウィルが居なくなって寂しがる子供達を一生懸命に守っていた。その彼女も次に会いにいくときにはもう教会を離れていることだろう。医学を学びたいのだと言っていた。
「本当に。信じられないくらい。」
あの村の外れの教会で過ごした半年はひどくゆっくりと時間が流れてくれたように思う。あの門を出てから色々なことが起き、そして月日は飛ぶように流れた。この秋には約束通りセオドアと結婚するのだ。あの頃は、そんなこと夢にも思わなかったのに。杏奈はセオドアを見上げて、本当に不思議なものだと思う。
「あの頃、私、ウィルに13歳か14歳だろうって言われていて。」
だから二十代も後半に見えたセオドアと結婚するとは思わなかったと言おうとしたが、先にセオドアが笑いだした。
「それはまた。お前にとっては特別に時の流れが早く感じるだろうな。」
セオドアの目にも、当時の杏奈は随分と幼く見えた。自分より十も年下の娘だと思い、すっかり子供だと思っていた時期もあったのだ。けれど王都に来て女中たちに磨き抜かれた外見と、安心できる居場所と自信のもてる仕事を得て強くなった内面は彼女を一人前の大人の女性として輝かせている。今はセオドアと並んで婚約者を名乗れば、誰もが似合いの二人だと言うだろう。
窓の向こうに広がる景色は、のどかな田園風景が続く。
「もう、焼け跡は見当たらないんですね。」
杏奈がこの道を、王都へ向かって歩いていた頃はまだモンスターに襲われた村の焼け跡や崩れた家々が見えたものだが、今はどこも穏やかな表情をしている。
「そうだな。全て元通りとは言わないが、だいぶ良くなっている。」
ほっとした表情の杏奈を見ながら、セオドアもまた2年前にこの道を通った時のことを思い出す。早くミラードを連れて来いと送り出され、昼夜を問わず走った道だ。思えば自分達は一生ミラードに頭が上がらないのだなと思う。二人ともに命を救ってもらった恩人だ。今は杏奈というよりもチェスターの親しい友人でもある。
「ここをミラード司祭を乗せて走った日が随分昔に思える。」
その言葉に杏奈は窓から目を離し、セオドアを振り返る。
「本当によく助かったものだ。」
「皆さんのおかげです。」
ミラードはもちろん、セオドアも、アンドリューも、ウィルや子供達も。そう言いながら杏奈はもう一人、というか一匹のことを考える。きっとあれも自分の命を助けることに力を貸してくれたはずだ。杏奈に話しかけ、死ぬなと励ましてくれたあの白い光。おかげでミラードが治癒を施してくれるまで杏奈は命を繋いでいることができた。後にミラードに聞いたのだ。何か特別な力でもって、あの時の杏奈が守られていたように感じたと。そう聞いて彼女はそれは白い光のことに違いないと確信した。あの白い光は、自分を守ってくれるものなのだ。
二人の旅の目的地は、セオドアが杏奈と出会った西方のヴェスト村だ。
子供達と別れてから更に数日かけて村についた。村人に挨拶をしてから村に戻っているウィルを訪ねた。かつては村の真ん中にあった彼の生家は既に人手に渡っており、ウィルは村はずれの小さな小屋に住んでいた。僅かな蓄えと、お土産にと杏奈が持参したいくつかの食べ物で拵えた簡素な夕食を囲む。急な訪問の驚きと、結婚の報告の驚きが去るとウィルは穏やかに二人を祝福してくれた。
「なんとなくそうなるだろうとは思っていたんだよ。思ったより遅いくらいだね。」
「色々、勉強しなきゃいけないことや、支度しないといけないことがあったから。」
「そんなの、おいおいでもいいのに。真面目だね。のんびりしていたら、他の誰かに取られちゃうとか思わなかったんですか。」
ウィルはセオドアをからかうように問いかける。セオドアは杏奈を見下ろしながら「うーん」と唸った。
「離すつもりはなかったからな。」
その言葉にウィルは力ない笑い声をあげた。
「愚問でしたか。」
結婚を間近に控えて、幸せいっぱいの二人にこんなことを聞いた自分が馬鹿だったと、時間をかけて立ち直ったはずの失恋の痛みがぶり返す気がしてウィルは自分を笑った。本当に馬鹿なことを聞いたものだ。
「残念だけど、結婚式には出られそうにない。ここから幸せを祈っているよ。」
「うん、ありがとう。」
それからは行きがけに杏奈とセオドアが会ってきた子供達の話ばかりになった。何年たっても、離れてもウィルも杏奈も教会でともに過ごした子供達のことを家族のように思い、その将来を真剣に案じている。彼らも一つの家族なのだ。
(急に弟妹が増えるなあ。)
話を聞きながら、セオドアは今後ウィルと上手くやっていけるだろうかなどと少し見当の外れたことを考えていた。今は、杏奈の気持ちが自分にあると良く分かっているから、かつてのようにウィルに嫉妬して焦ることはない。それでも姉思いで自分には厳しい弟ができるようで、身の引き締まる思いではあった。
ウィルに結婚の報告をすることや、村が無事に立ち直って来ているか確かめたいというのも訪問の理由ではあったが、実は旅の一番の目的はセオドアが杏奈を拾った川原に行くことだった。翌朝、二人は山に入り、崖を目指した。杏奈にはどうしても自分の目で確かめたいことがあったのだ。
穏やかな天気のおかげで大した苦労もなく崖の上まで辿りつくと、杏奈はセオドアに半ば抱えられるように崖を降りた。大きな岩の並ぶ川原が広がっている。杏奈は数歩進んで、目に映る景色を確認するようにじっくりと眺めて行く。澄んだ水の流れる細い川。平たくて大きな石。振り返れば今しがた降りて来た小さな崖。川に手を浸すようにしゃがみこんで見れば、「もしかしたら」と思っていた考えはますます確かになる。
(やっぱり、この川原。昔、鳥さんに会ったところだわ。)
幼い少女が洗濯に通っていた川。何度も白い鳥と会った場所。そして、その短い命を閉じた場所。
杏奈はセオドアの求婚以来、「飛ばされる」ということを改めて考えていた。神に誓う愛の言葉が、かつて彼女の人生を狂わせてきたことを思うと、なんとか結婚式を上げる前に真実を知りたかった。
ミラードにも相談し、白い光のことや大白鳥のことも包み隠さず話した。それを聞いたミラードは、杏奈の話を信じてくれた上で、こう言ったのだ。
「神の使いというのは本来、悪いことをするものではありません。アンナを不幸にしようとするはずはないのです。聞けば、むしろ貴方を愛し、案じていたようだし。何かの術がかけられているとしても、貴方を意識もないままモンスターの目の前に放り出すことを狙っていたとは思えません。ただ、彼らはあくまでも神の使いであって、神ではない。貴方を幸せに導こうとして、何か間違えたのかもしれません。」
杏奈も、あの白い光が自分に悪さをするとは思えなかった。「飛ばされる」という現象が白い光のせいで起きているのなら、それは呪いではないはずだ。そこまで考えてふと思い出したのが、セオドアが語った自分を見つけた時の様子だ。川原に倒れていたと言う。それはもしかして、前世の自分の命絶えたところに引き戻されたのではないかと思ったのだ。それがモンスターが襲来しているときだったのは不運な偶然だっただけなのではないか。
見て確かめたい。そう言うと、事情を知るアルフレドもセオドアも納得してくれた。結婚式の前に憂いを払っておくべきだと色々と都合をつけて今日ここまで連れて来てくれたのである。
「どうだ?」
黙ったまま崖を見上げる杏奈にセオドアが声をかける。
「思った通りでした。」
杏奈は泣き笑いの表情で彼を見上げた。
「鳥さんはきっと私を自分のところに呼び戻そうとしてくれて、それでここに連れて来たんだと思います。困ったことがあったら、自分のところに帰ってくるようにってそういう術をかけてくれたんだと思うんです。」
杏奈を襲った不可思議な事態は恨みや呪いで起こされたものではない。あの大白鳥なりの優しさであり、愛だったのだ。ミラードの言うように手違いのようなものもあったのだろうが、結果だけ見れば杏奈は懐かしい土地に戻り、そして愛する人に出会うことができた。彼女を「飛ばした」のが大白鳥であっても、杏奈は恨み事を言う気にはなれなかった。大切なお友達が自分をとても案じてくれていた。きっと、それだけのことだったのだ。ただ、彼が人よりずっと大きな力を持っていたから杏奈は数奇な運命を辿ることになっただけで、杏奈にはその気持ちを責めることはできなかった。
「では、お前が急に見当たらなくなったら次からはここを一番に探しに来るとしよう。」
セオドアは杏奈の肩を抱き寄せる。杏奈は彼に寄り添って小さく笑った。
「でもきっと、いなくなりませんよ。」
「そうだな。」
二人はしばらく川原に佇んでいたが、密かに期待した大白鳥に出会うことはできなかった。