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愛していると言えば、嘘になる  作者: 青砥緑
試されるとき
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あなたに一生を捧げます

 セオドアの外出が許されるようになってから、どこへ行くにも杏奈の送迎はセオドアの仕事になった。朝、家まで迎えに行って騎士団の訓練所へ送り、自分もついでに少し体を動かしながら彼女の帰りを待って家まで送り届ける。セオドアが元気な姿を見せたことで、村人の残虐非道ぶりを誇張して広まっていた噂は逆に収束の兆しを見せ始めた。何より本人の以前と変わらぬ淡々とした調子で「新しい甲冑と剣を一揃い支給してもらえることになったのは幸いだ」などと言うので煽り様がなくなってしまったのだ。


「よう、アルフレド。」

 その日、アルフレドは訓練場ではなく執務室で書類にサインを入れているところで訪問者を迎えた。

「おや、誰か怪我でもしましたか。」

 軍医は「誰がだと?」とぎょろりと目を剥きながら勝手に空いている椅子に腰かけた。

「疾風のセオドアがそよ風くらいまでしか回復しなくてもいいのか?」

 そこまで言われて、アルフレドは「ああ」と納得した声を上げた。ミラードは何もかもを治癒で完璧に治すと自分で治そうとしていた体の中の力の均衡を崩すので、筋力の衰えなどはそのままにしたと言っていた。セオドアには休みを出したのに毎日通ってきては体慣らしをしている。軍医はその様子を見てくれていると言うわけだ。

「いやあ、脚はあいつの宝だ。焦ってまた膝など壊されたらたまりませんよ。一つじっくり丁寧にお願いします。」

「だったら休みを延ばしてやればいい。なんだってあいつはこんなにすぐ訓練所なんかに出て来てるんだ。誰も左遷するとか脅したわけでもないだろう。」

「まさか。アンドリュー師団長直々に会いに行って話をしてます。あいつが毎日通ってくるのはアンナの送迎のついでですよ。」

 軍医は「ああ」と眉を上げると「上手く行ってるってわけか。」と頷いた。

「はははは。せっかく娘ができたのに来春には嫁に出さないといけないとは寂しいな、アルフレド。」

 アルフレドは口元を引きつらせながら「余計なお世話です。」と言い返した。そして震える手からペンを下ろして軍医に向き直った。

「それで、どうなんです。」

「悪くはない。お前さんの言う通り、焦らずに体を戻せば十分元通りに動くようになる。」

 その言葉にアルフレドは長く息をついた。それから落ちかかってきた前髪を払ってにこりと笑う。

「ありがとうございます。」

「私は診ただけだよ。礼は春風の司祭様に。相変わらず素晴らしい腕だ。」




 杏奈の仕事よりもセオドアの訓練の方が先に終ってしまう。セオドアは汗を拭って着替えた後は厩で居並ぶ馬達を眺めたり、毛を梳いてやったりして過ごしている。そこに杏奈が仕事を終えた走ってくるのが見慣れた光景になりつつあった。

「ごめんなさい。お待たせしました。」

「走らないで良いと毎日言ってるだろう。」

「でも、やっぱりお待たせしていると思うと、つい。」

 二人がいつものように帰ろうとしていると、横から口を挟まれた。

「お嬢さん。そういうときは嘘でも一刻も早く貴方に会いたくて、つい。って言うんだ。」

 振り返ると軍医も今から帰るところなのか、自分の馬を引いている。

「先生。こんにちは。」

「お嬢さん、うまくやってるか。」

「はい。おかげさまで。」

 杏奈は最初にかけられた言葉のことなどすっかり頭から抜けたように軍医と話している。セオドアが黙って話が終るのを待っていると軍医はセオドアの方にひょいと歩み寄ってきた。

「口ひげの悪ガキも、とうとう無駄なあがきは止めたみたいじゃないか。良かったな。」

「はい?」

 軍医は声を潜めてセオドアにだけ聞こえるように答えた。

「さっき、お嬢さんを嫁に出すのかって言ったら出さないとは言わなかったぜ。」

 そう言って軍医はにんまりと笑ってそのまま馬に跨った。そして去り際にもう一度声をかけてくる。

「他に口煩いのはいないだろ。はやく暴れん坊のコンラッドを安心させてやれ。」


(どうして俺の周りにはこう、言いたいことだけ好きなように言って行く人が多いんだろうか。それになんで安心するのが親父じゃなくてコンラッドなんだ。)




 セオドアが腑に落ちない顔で見送る中、軍医は去っていった。愛馬に促されるようにして歩き出したセオドアに杏奈が声をかける。

「あの、コンラッドさんって暴れん坊なんですか?」

 杏奈の見る限りコンラッドは比較的小柄で童顔。可愛い感じだと思ったのだが。小首をかしげる杏奈を見て、セオドアは苦笑いを浮かべる。

「手のつけられない暴れん坊だな。これに関してはディズレーリ先生の渾名が当たっている。」

「そうは見えないのに。」

「一度きれたら、だいたい力づくで押さえつけるまで収まらん。それでも結婚してからはずいぶん落ち着いたけどな。」

 コンラッドは任務中はそれは頼もしく獅子奮迅の働きをしてくれるが、飲み屋の喧嘩でも手加減なしなのには困っていた。それが今の妻と出会って以来、気絶させる以外に、妻に言いつけると脅すという方法でも暴走を止められるようになった。


(ああ。あの話か。)


 いつもセオドアに結婚しろと煩くいうコンラッド。そのやりとりが軍医の耳にも入っているのだろう。なるほどと思いながら目の前に座っている杏奈を見下ろす。そこでセオドアはそういえば杏奈に聞きたいことがあったのを思い出した。


「アンナ。」

「はい。」

「俺も一つ聞きたいことがある。」

「なんですか?」

 半身を捻って杏奈はセオドアの顔を見上げた。

「あの答え。慰霊式の日に聞いたときには答えられなかったのに、俺が帰って来たときは答えてくれただろう。」

 そこまで聞いて杏奈は早くも頬を染め始めた。何を聞かれるのかと緊張した面持ちでセオドアの話を聞いている。あの答え、とはつまりセオドアが好きだと答えた彼の告白への答えに他ならない。

「最初は何か、不安なことがあったんじゃないか?」

「不安?」

「俺が、あんなことになったから勢いで答えてくれたのかもしれないが、もしまだ不安に思うことがあるなら聞いておきたい。」

 杏奈のセオドアへの気持ちは変わっていない。それは杏奈には明白なことだし、セオドアにもなんとなく分かる。だとしたらどうして最初はすぐに答えられなかったのか。それだけがセオドアには分からない。

 杏奈は何と答えようかと考えた。セオドアに思いを告げられた時に、答えることを躊躇ったのは怖かったからだ。そうすることで自分がどこかへ飛ばされてしまうのではないかと恐れたからだ。そう思うに至った背景に杏奈が思い出した遠いところでの過去がある。湖でひっくり返ったときのことをきちんとセオドアに話していないが、そこから話さなければ上手く話が繋がらないかもしれない。


(それに、誓いの言葉が世界を飛ばされるキーワードだってことも言わないと、きっと伝わらない。)


 黙り込んでしまった杏奈の様子を気にしながらセオドアは家路を辿る。言いたくないなら無理に言わせようとは思わない。それが彼の普段の接し方だが、こと今回は少し踏み込んで聞いておきたかった。杏奈が胸に何かを抱えたまま一人で我慢することがないように。

「何か、ひっかかることがあったんだろう?」

 それから更に考えるように黙っていた杏奈はゆっくりと口を開いた。

「最初は、怖かったんです。」

「怖い?」

 杏奈は考えながらゆっくりと続ける。

「前にお話した飛ばされる理由と言うのが、その。愛の言葉だったので。もし好きとか言ったらすぐどこかに飛ばされてしまうんじゃないかって。」

「え?」

 思いがけない理由にセオドアはまじまじと杏奈を見下ろした。杏奈の表情は大まじめだ。こんなことで嘘をつく娘ではない。

「もうちょっと色々お話しないと良く分からないですよね。」

 それから杏奈は湖で思い出したこと、きっといつか好きになれると信じて望んだ結婚式で誓いの言葉を口にした直後に「飛ばされてしまった」こと。白い光に嘘の愛の誓いを立てればまた「飛ばされる」と言われたことなどを話した。

「だから怖くて。もし愛しているという言葉が嘘になって、急に離れ離れになってしまったらどうしようかと。どうなったら好きとか愛しているとか口にしていいか分からなかったんです。」

 セオドアは片手を額に当てた。

「つまり嘘でそういうことを言うと、お前はどこかに飛ばされると?」

「たぶん。」

 それは何の呪いなのだろう。アルフレドの比ではない随分な過保護にも思えるが、飛ばした後の面倒を見てくれるとは限らないのだから過保護と言うよりただ過激なのか。

「でも、これだけ好きで間違いなんてことはないと思って。自信を持てたからやっと答えられたといいますか。だから今は不安はないんです。」

 続けられた杏奈の言葉にセオドアはもうため息くらいしかでなかった。あのとき、セオドアが都合のよい夢かと思った告白は命がけで言ってくれた答えだったのではないか。告げた瞬間に杏奈はまた友人も記憶も失ってどこかへ行ってしまうかもしれなかったと言うのに、あのとき杏奈は笑っていた。その覚悟。そして揺るがない自分への想いをさらりと告白されて言葉もない。

 なんとも言えない表情で自分を見下ろすセオドアを見て、杏奈は自分の話がセオドアにどう聞こえたのだろうと心配になった。信じてくれただろうか。おかしなことを言っていると思っているだろうか。好きでもない男と結婚しようとしたことに呆れてはいないだろうか。わずかに不安が滲む。しかし、それはすぐに杞憂だと分かった。

「アンナは人生を賭けて答えてくれたんだな。」

 たっぷり間を空けてからそう言ったセオドアはちっとも杏奈の話を疑ってはいなかったし、過去のことに心を囚われているようにも見えなかった。

「改めて、ありがとう。」

 そう言って頭を撫でてくれるセオドアに杏奈は心底安堵した。いつだって彼は自分を信じてくれる。自分の気持ちを思ってくれる。この人が帰って来て、こうして自分の話を聞いてくれることの有難さが今なら、前よりずっと良く分かる。この人をどれほど大事にしなければならないか、ずっと良く分かる。

「私も。信じてくれてありがとうございます。あと、好きだって言って下さって。きっとセオドアさんに言ってもらわなければずっと勇気が出なかったです。黙っていれば近くにいられるならずっと黙ってようと思っていたかも。」

「俺のあれはかなり衝動的だったからな。お前が答えを出すのに出した勇気を考えるとちょっと情けないくらいだな。」

 眉と口の端を下げてそう言うセオドアに、杏奈は首を横に振った。嬉しかった。杏奈はセオドアに好きだと言ってもらって本当に嬉しかったからちっとも情けなくなんかないのだ。必死に首を振る杏奈を見てセオドアは小さく笑った。彼女の前で見栄を張ってもきっと意味がない。無謀をして、ぼろぼろに傷ついた自分を見てもみっともないと嫌がりもせず気持ちを変えないでいてくれるのが良い証拠だ。

「アンナの覚悟を無駄にしないように大切にする。」

 セオドアがゆっくりと杏奈の頭から手を離すと、杏奈は顔を上げた。

「これからは、その、あの、恋人でもあることだし。」

 恋人と言いながら目一杯恥ずかしそうに目を泳がせて杏奈は続ける。

「私もセオドアさんのこと、大切にします。傍にいられるときも、遠くにいるときも。」

 彼の制服の胸元を握りしめて言いきると、杏奈は気持ちが伝わったかと確認するようにもう一度セオドアを見つめた。守られるだけではなく、杏奈もセオドアに何か返したいのだ。それを分かってくれただろうか。


(ああ、もう敵わないな。)


 セオドアは心の中で白旗を上げる。欲しいと思う以上のものを次々と差し出されて受け止めきれないほどだ。

「うん。」

 セオドアはそれ以上言葉もなく杏奈をただ抱きしめた。




(このままではさすがに情けないな。)


 このところ杏奈の告白に押されどおしのセオドアはヴァルター家に近づきながら考える。セオドアにしても生きるか死ぬかの瀬戸際で杏奈のことばかり考えていた。彼女の存在が自分にとってどれだけ大きなものになっているか自覚がある。

 ヴァルター家についたところでセオドアは馬から杏奈を下ろしてやると、彼女の手をとったまま膝をついた。

「お前が人生を賭けてくれたのと、同じように。」

 そう言って手の甲に軽く唇を触れさせる。その動作の意味を知らない杏奈はお姫様みたいだとほんのり頬を染めていただけだったのだが、迎えに出て来ていた馬丁が飛び上がった。


「お、お、おめでとうございます!」


「え、何ですか?」

 きょとんとする杏奈に立ちあがったセオドアが耳打ちすると、杏奈は真っ赤になって振り返った。パクパクと口を開けたり閉じたりしていたが、穏やかに笑って自分を見つめているセオドアと目があうと何も言わずにそのまま彼に躊躇いがちに抱きついた。その後出てきた執事も馬丁に話を聞くとすぐに抱き合ったままの二人に「おめでとうございます」と声をかけてくれた。

 その日のヴァルター家は夜まですごい騒ぎになったが、張本人の杏奈はずっとぼうっとしたり赤くなったりを繰り返すばかりだった。



 その日眠りに落ちるまで杏奈はセオドアに囁かれた言葉で頭がいっぱいだった。


「今のは、あなたに一生を捧げますと言う意味だ。」


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