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愛していると言えば、嘘になる  作者: 青砥緑
試されるとき
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覚悟

 杏奈が仕事に戻る前の最後の日。セオドアと杏奈はローズ家の庭で午後の時間を過ごしていた。家の大きさに比べると立派な庭は鮮やかな桃色や白い花をつけている百日紅が見頃だ。強い日差しを避ける木陰に椅子を持ち出して冷やした水を置いておく小机も並べた。

「昔は夏になるとチェスターと庭で水遊びをして、あの辺りを水浸しにしては怒られた。」

 井戸の周りを指さしてセオドアが言う。二人がやんちゃ盛りだった頃はきっと賑やかだったのだろう。杏奈は小さな兄弟が庭を所狭しと駆け回り、水を掛け合う様子を想像してみた。

「楽しかったのでしょうね。」

「そうだな。何度桶を壊したかしれないから、親にして見れば楽しいどころではなかっただろうけどな。」

「え、桶って。あの井戸のお水を汲む桶ですか?」

「ああ。水をかけあっていたはずが、いつの間にか桶の投げ合いになっているんだ。」

 元気のあり余った少年が二人。派手に遊び過ぎて家のものを壊すのはしょっちゅうだった。母はそれを見つけるたびに厳しく叱ったが、二人がいたずらではなく剣の稽古の真似毎などで物を壊したときには「仕方の無い子ね」と笑って許してくれた。父親に憧れる息子達が可愛かったのだろう。

 目を細めて懐かしそうにしているセオドアを見やって、杏奈は自分が想像していた幼い兄弟の可愛らしい遊びの様子はどうも間違いだったらしいと思った。きっともっと大きくなってからも悪さをして遊んだのだろう。少し意外だ。

「セオドアさんは、なんとなく昔から落ち着いている子供だったんじゃないかと思っていたんですけど、そうでもなかったんですね。」

 杏奈が真面目な顔で言うと、セオドアは少し笑った。

「落ち着くのは人より少し早かったかもしれないが、特別早熟な子供ではなかったと思うぞ。」

 母の死を境に、家であまり羽目を外して遊ぶことはなくなった。母の代わりはできなくても、家では弟の良い見本でいようと思ったからだ。けれど学校や騎士団の仲間の間では年相応に馬鹿なことをしていたような気がする。とても杏奈に言えないようなことも含めて。それを思い出してセオドアは一人でくつくつと笑う。


 (今なら、ちょうどいいか。)


 ゆったりした空気の中で少し話の間が空いたところでセオドアはアンドリューから聞いた話を杏奈に切り出した。彼女も嘘は得意ではない。自分に伝わらないようにするには、彼女自身にも知らせない方がいいと誰もが思ったのではないだろうか。自分の身に起きたことを職場に戻った杏奈にどこかから人づてに聞かせるよりは自分で説明しておきたかった。

「もしかしたら聞いているかもしれないが、俺が半月も見つからなかった理由について少し話しておきたいことがある。」

 杏奈はまだ少し笑顔の名残があるままの顔で、セオドアに向き直った。

「はい。」

 何を話されるのか全く予期していない様子に、セオドアは思った通り彼女は何も知らされていなかったのだろうと察した。

「盗賊の頭領と打ち合って首を刎ねられるのは免れたが、俺は落馬して気を失った。気を失ったおかげで死んだと思われて、盗賊に甲冑をはぎ取られた上に持ち逃げされたと、ここまでは話したな。」

 杏奈はこっくりと頷く。

「その後の話だ。俺が正体を無くしている間に盗賊が去って、俺は村の中に残された。村の人間は皆、教会に避難したままだった。彼らは耳を澄ませて外を窺っていただろう。盗賊達が去っていく気配がしてもしばらくはそのまま戸を開けずにじっとしていた。それから、これは本当にならず者たちは去ったと確信が持てるようになって教会の外を見に出てきた。」

「あれ、でもコンラッドさんが駆けつけた時には、確かまだ。」

「そうだな。コンラッドが駆けつけてくれたときには教会の扉は閉じられていた。だが、彼らは一度、騎士団が到着する前に外に出て、死んでいるように見える俺を見つけた。教会の真ん前にいたんだから一番に目に入っただろうな。そして、急いで立ち去った盗賊が俺の装具を一部置き去りにしたことに気付いた。」

 杏奈はそこまで聞いて、信じられないというように目を見開いて首を横に振った。このままの話の流れでは村人が彼の装具に手をかけ奪い去ったということになる。

「残念だが、想像の通りのことが起きたらしい。彼らは籠手だ脛当てだと小さな物をはぎ取った。村は半壊しているし、金が必要だと思ったんだろうな。今なら略奪は全て盗賊のせいにできると思って大胆になったのもあるだろう。だが、俺が生きていることに途中で気がついてしまった。もし俺に意識があって自分達の悪事の証言をされたら困る。慌てて俺をもう一度気絶させて、そして俺が目を覚ました林に捨てた。」

 そのとき村人達が、あわよくば死んでしまえばいいとまで思っていたのか、殺す勇気はないがどうすることもできなかったのかはセオドアには分からない。知らされたのは捨てられたという事実だけだ。

「それから教会に戻って扉を閉ざして騎士団がやってくるのを待った。鍛冶場から俺の装具が発見されなければ、これが明るみにでることはなかっただろうな。肝心の俺には何の覚えもないのだから。昨日、師団長から聞いて初めて知った。だが、外ではもう結構な噂になっているそうだ。稀に見る凶悪な事件だと。」

 杏奈は顔を覆って俯いていた。セオドアの行方が知れない間は不安ばかりが勝って、盗賊を憎む気持ちも、恨む気持ちも湧かなかった。彼が返って来てからは、その喜びでやはり誰かを恨むことなど考える暇もなかった。今初めて彼を傷つけた人のことを考えて、そして自分でもかつて経験したことがない程の怒りを覚える。


(どうして。目の前で、たった一人で命がけで戦ってくれていたんじゃない。その背中に守られて逃げたくせに、どうしてそんなひどいことができるの。)


 涙がこぼれそうで閉じた瞳の裏は怒りに燃える杏奈の心を映したように真っ赤に見える。なんてひどい。なんてひどい。目の前にその村の人がいれば詰っていただろう。


「アンナ。」

 セオドアは静かに杏奈の名前を呼ぶ。彼女を宥めるつもりだったのかもしれないが、彼が落ち着いていることすら怒りに駆られていた杏奈の心を揺さぶった。思わずセオドアを責める口調になってしまうことも止められずに彼を見上げた。

「どうして。どうしてそんなに落ち着いていられるんです。それって二度も三度も殺されかけたってことじゃないですか。ましてやセオドアさんはその村のために危険を冒したのに。」

 涙の浮かぶ真っ赤な目は怒りに燃えている。セオドアは彼女が怒っている顔を初めて見た。時ならず、彼女が自分のために怒ってくれることに喜びを感じる。セオドアはそれを隠して努めて冷静に返した。

「命ならば、盗賊達がもう少し慎重に俺の様子を確かめていればその場で奪われていたものだ。」

「そういう問題じゃありません。」

 村人が彼を見つけた時、彼は生きていたのだ。もしも盗賊が、という例えは彼らの行動を正当化する役には立たない。しかしセオドアは譲らなかった。

「いや、そういう問題だ。戦場で意識を失う方が悪い。力至らず自分の身を守れなかったのだから何をされても文句は言えない。」

 セオドアの静かな瞳にみつめられて杏奈は自分が駄々を捏ねているように錯覚して、そのことにまた腹が立った。

「でも、村の人がセオドアさんを見つけた時には戦いは終わっていたじゃないですか。」

「あの空気は人を狂わす。すぐに正気になど戻れない。慣れていないなら余計にそうだろう。」

 村で起きていた略奪や戦いの詳細は言葉にされなかった。けれど、自分では経験したこともなく、経験のしようもないことを持ちだされては杏奈には返す言葉もない。杏奈は唇を引き結んで睨むようにセオドアを見上げた。

「もちろん、俺だって仕方ないとは思わない。関わった者は皆捕えられたそうだ。厳しい罰が下るだろう。」

 セオドアは目を伏せて拳を握った。

「それで終りにしたい。」

 自分に言い聞かせるようなセオドアの様子を見て、杏奈の怒りは少しだけ静まった。それから更に落ち着いてみれば、そもそもセオドアを責める筋合いの話ではなかったということにも思い当る。

「誰かを恨んだり、怒りに引きずられたりして、大事なものを見失いたくない。」

 頼まれた訳ではなくても必死に守ろうとしたものに裏切られた。命が危うかった。騎士としての命は風前の灯だった。それでも誰も恨みたくないと言うこと、思うこと。それは、辛かったことや、恐ろしかったことを思う度に溢れる感情を自分で受け止めるということだ。心の中ですら、誰かのせいにすることなく、誰かを詰ることもなく自分で受け入れ、乗り越えると決めたのだ。


 ミラードが言っていた時をかけなければ治らない心の傷。セオドアの場合は、このことなのではないかと杏奈は思い当った。自分を追い詰めた経緯を、そう仕向けた人達を憎みたくなる気持ちを乗り越えること。そしてまた誰かを守って戦うことができるようになること。彼はそれを目指しているのだ。簡単なことではない。杏奈には想像もつかないほど強い気持ちが必要なはずだ。

 杏奈にはもうセオドアに対しての怒りはなかった。しかし、セオドアを傷つけた村人への怒りはある。自分の愛する者を理不尽に傷つけたことを許すことはできない。

「私は、許せません。」

 幾分落ち着いた様子の杏奈を見て、セオドアはすんなりと頷いた。

「うん。許す必要はない。俺も一度知ってしまったものを無かったことにすることはできない。」

 それから彼は視線を夏の光に溢れる庭に戻して続けた。

「俺が恨みも怒りもしないのは、結局何も失ってないからだ。例えばもう剣が握れないとしたら、きっと違った。俺を待っている間にお前や、親父が倒れて取り返しのつかないことになっていたら、恨んだだろう。ただ、結果として何もなかったことを知っているから、寛容になれるだけだ。それはとても運のいいことだな。ミラード司祭殿やアンナや師団長や、皆が俺が何も失くさないで済むようにしてくれたおかげだ。」

 だからこそ、と彼は言う。せっかく全てを守られたのだから自分から騎士の誇りを手放すようなことはしたくない。

「王の騎士は、王の民の為に剣をとる。民を守ることに迷いがでれば、もう第三師団の騎士として剣を佩くことはできない。」

 セオドアはアンドリューならば、自分の心の傷が深過ぎると見れば騎士としての仕事に自分を戻さないだろうと信じている。村人への怒りが全くないわけではないけれど、そんな一時の感情で王国騎士の職を失うつもりはなかった。彼にとって騎士であることは命を賭す価値のあることなのだ。必ず立ち直って見せる。


「この仕事が好きなんだ。また同じようなことが起こるのだとしても続けたい。」


 杏奈は庭を見つめているセオドアの横顔を見上げる。頭では応援してあげるべきなのだと理解できるけれど、心は行かないでと縋って止めたがる。杏奈はセオドアにもう二度と彼に危険な目にあって欲しくはない。行かないでと言いたい気持と、気持ちの整理がつかないままに杏奈も庭に目をやった。明るい光に照らされた木々の影のようにきっぱりと、自分も気持ちを区切れたら良いのに。


「我儘で悪いな。」

 自分を案じてくれる人に、怒るな、恨むな、また危険に飛び込むことも許してくれ、と酷いことを言っているという自覚ぐらいはある。黙り込んでしまった杏奈にそうセオドアが謝ると、杏奈は俯き加減に首を横に振った。謝ってほしいわけではないのだ。

「立派なことだと思います。」

 杏奈は心の籠りきらない言葉をそれ以上続けることができなかった。セオドアもまた杏奈の葛藤を察してそれ以上言葉を継ぐことができない。結局、二人はセオドアの帰還以来はじめて、とてもぎこちない笑顔で別れを告げた。

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