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愛していると言えば、嘘になる  作者: 青砥緑
試されるとき
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騎士としての命

 アンドリューの執務室の片隅で副官は今日は部屋が狭く見えるな、と目の前に立っている一人の騎士を見上げていた。

 アンドリュー不在のときは自分一人。そこに本来の主であるアンドリューがやってくるとガランとしていた部屋が活気づくようで、それは歓迎すべきことだ。しかし今日はそれに加えて、一人で十分に場所をとる訪問者を迎えていた。


「それで、村の方はもう済んだのか。」

「とりあえずな。全員引っ立てるわけにも行くまい。村長と追いはぎの連中。鍛冶屋。それから口裏合わせで嘘の証言をしたのを何人か。それ以上はもうしょうがねえよ。黙っていた罪を問い始めたら生き残り全員になっちまう。」

 アンドリューにセオドアが村人に襲われた件の報告をしていたモーガンは腕組みをしながらそう答えた。そして厳つい眉を上げてアンドリューを見る。モーガンは数少ないアンドリューを見下ろして話すことができる体格の持ち主だ。ついでに態度も大きいのは彼がアンドリューと同期入隊以来の友人だからである。

「とりあえず、お前の言う通り捕まえてはあるけどな、これは何の罪に問うんだ。」

 それは事件が露見して以来の懸案だった。騎士に対する非礼や冒涜は、国王に仇なすものと同等という見地から取り締まる法がある。騎士に暴力を振った、罵倒した、あるいは盗みを働いた場合は一般の民にそれらの罪を犯した場合より重く罰せられる。今回のセオドアの件は、単純に結果だけ見れば盗みと傷害だ。しかし騎士達の気持ちはそれでは収まらない。村人の行いは彼を殺そうとしたも同然だ。その直前にセオドアに命を守られたにも関わらずの狼藉に死罪すら口にするものがいるほどに騎士達の怒りは深い。またこれを軽く罰すれば、騎士の士気を下げるだけでなく次から任地に立つ騎士の安全をも脅かしかねない。騎士に狼藉を働いて許されるはずがないということを知らしめておく必要があった。

「何の罪に問うにせよ、セオドアの証言が必要になる。しかしあいつは、何も覚えていない。目が覚めて落ち着いたら「村は無事だったか」と躊躇いなく聞いてきたそうだからな。」

 アンドリューの言葉にモーガンは鼻から盛大に息を抜いた。憤懣やる方ないという様子だ。困っている相手に手を差し出すのは騎士ならば当然の行いで、セオドアをお人好しと罵るのはおかしい気がするが、今回ばかりはやはり「このお人好しが」と怒鳴りつけたくなる。

「まだ教えてないのか。」

 お前の救ってやった村人達が意識の無いお前から無理やりに甲冑を剥がしとってお前を草むらに捨てたのだということセオドアに告げたのか。モーガンが問いかけるとアンドリューはまだだと答えた。

「隠しきれるもんでもないだろう。緘口令が出てるってのに随分な噂だ。変なところから聞くより早くちゃんと知らせてやった方がいい。」

「それは分かっている。ただ今回のことはこの先セオドアが騎士として勤めて行く意気を挫くには十分なことだ。だからせめて彼の心と体が十分に持ち直すまでは伏せたいと思ってな。このことであいつを失うのはあまりに痛い。」

 アンドリューはそう言ってため息をついた。今回のことはアンドリュー個人にとっても重い事件だった。一人で盗賊団に飛び込むようなことは彼も身に覚えがある。その行いを騎士の鑑だと言いはしない。誰にも勧めたいとは思っていないが、やってしまう側の気持ちは良く分かるのだ。それだけにセオドアがその後に受けた扱いにアンドリュー自身深く傷ついた。また師団長という立場で見れば、ただの村人がそこまでのことをするほど国が荒んでいるということが問題だ。一回だけの問題として軽く見てはいけないと感じていた。

「セオドアが家から出ないうちはいい。でも一歩でも出たらいつどこで聞くかわからん。引きのばしてもいいことは無い。村人の処分もだ。これ以上後回しにしても騎士団の優柔不断と言われるぞ。誰もがこれを覚えている内に罰を決めねば意味が無い。」

 怪力自慢のモーガンは見た目も粗野に見えるが馬鹿ではない。彼の言い分は至極もっともだ。

「だからお前を今日呼んだんだよ。俺ももう限界だと思っている。」


 アンドリューは真っ直ぐにモーガンをみた。

「指揮官として答えてもらいたい。村長には盗賊の頭と同じだけの罪を。追いはぎの連中には盗賊と同じだけの罪を問うというのは妥当だと思うか。」

 モーガンも姿勢を正した。

「指揮官としては同意する。それから、それとは別に、最初に俺たちに嘘をついた罪は鍛冶屋も含めてひっとらえた全員に。」

 アンドリューもモーガンもセオドアの傷を見てはいないが、それぞれ報告を受けた内容から村人の行いが下手な盗賊よりよっぽど残酷であったことを知っている。セオドアに二本の腕と二本の足が残っていたのは幸運にも村人がそれを実行するのに十分な刃物を持っていなかったからであって、彼らは鉄の脛当ての為にセオドアの脚を切ることも本当は厭わなかっただろうことも想像に難くない。それは人を人と思わない悪質な盗賊と同じだ。ただの窃盗として罰する気は無かった。

「分かった。」

 アンドリューが顎を引くと、モーガンは姿勢を崩して続けた。

「立場を忘れて言えば、全員揃って鞭打ちの末に討ち首にしてしまえばいいと思っている。なんなら俺がやってやる。」

 モーガンは狭い室内を余計狭く感じさせる大きな剣をガチャリと鳴らした。アンドリューはちょっと目を細めてそれを制する。

「討ち首にできるものなら、とっくに俺がやっている。」

 アンドリューは冷えた眼差しでモーガンに告げた。アンドリューがこんなことを口に出すのは珍しい。騎士としての誇りを重んじればこそ、人の誇りを傷つける行為には苛烈に怒る。切れそうに研ぎ澄まされた清廉さは潔癖と紙一重だ。いつまでも十代の頃の清廉さを忘れないアンドリューをモーガンは嬉しくも頼もしくも思う。しかし彼はただ口の端を上げて笑って言った。アンドリューは光の当たる道を行くべき男だ。


「お前には似合わねえよ。そういうのは俺に任せておけ。」


 アンドリューは獰猛な殺気を漂わせる友人を見上げて、しばらく黙っていたがやがてため息をついた。

「露悪趣味もほどほどにしておいたらどうだ。奥方に逃げられるぞ。」

「痛いところを。」

 モーガンは先ほど漂わせた殺気をあっさりとしまって笑った。

「それで、セオドアはどうするんだ?」

「会いに行く。チェスターやコンラッドに押し付ける仕事ではないからな。」

 話は粗方済んだとばかりに机の上の書類を動かし始めながらアンドリューが答えるのを聞いてモーガンが一歩アンドリューに迫る。

「それを言うなら俺が行くぞ。あの日は俺の指揮下にあったんだ。」

 セオドアに話をするのは辛い仕事でもあり、難しい仕事でもある。上司だからとアンドリューに押しつけたくは無かった。モーガンは、そういう仕事ほど自分で背負いこむアンドリューの気質を良く知っている。今回であれば自分が代わってやれるはずだ。しかし、アンドリューはもう一度モーガンをみてから首を横に振った。

「なんだよ。」

「お前は怖すぎるよ。」

「は?」

 モーガンは不服そうに大きく声を上げて、ちょっと笑ったような気配を感じた副官のことも振り返ってじろりと睨んだ。アンドリューがその後ろから声をかけた。

「そんなに許せないって顔で説明されたらセオドアの気持ちが狂う。」

 そう言ってアンドリューは苦い笑いを浮かべた。祈るように目を伏せて言う。


「恨まないで済むのなら、あれには誰も恨ませたくはないんだよ。」


 恨まないなんてこと、無理じゃないのか。モーガンは喉元まで出かかった言葉を飲み下した。もしセオドアが村の者を恨めば、彼にはもう第三師団の騎士として民の為に働く気力は残らないだろう。もし気力を保っても、心の奥に不信があればそれは際どい状況で必ず悪い方に作用する。アンドリューにはそれが分かっていて彼を騎士に留めておくことはできない。アンドリューは今、セオドアという男を一人の騎士として生かすか殺すかの話をしているのだ。それを理解したモーガンは引き下がった。戦場で部下を率いる能力では負ける気は無くても、人の心を導くことにかけては、アンドリューの方が遥かに優れている。

「よろしく頼む。」

 モーガンがその日初めて頭を垂れるとアンドリューは表情を和らげて頷いた。

「もちろんだ。」

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