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愛していると言えば、嘘になる  作者: 青砥緑
試されるとき
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治癒では消せない痛み

 杏奈は毎日セオドアの元へ通うことが許された。許されたというよりも、誰一人疑うことなく、行くに決まっていると最初から思っていたという方が正しい。ザカリーからも、当面出てくるなというお達しが届いていた。

 ゆえに杏奈は後顧の憂いなくセオドアの元に通い、一夜ごとに本当に奇跡のようにミラードが彼の傷を癒してくれるのを目の当たりにすることができた。最初に腕と手。それから脚。背中や胸、腹に広がる打撲。五日もするとセオドアの傷はみな癒えた。手足が両方治ってから、風呂に入り髭も剃ったセオドアは少し痩せてしまったこと以外に従前との違いはないように見えた。

「以前に申し上げた通り、体力は元通りまでは戻していませんから急に動き回らないでください。しばらくは家の中での療養に専念して。また様子を見に来ますから、それで良ければ外出しても良いですよ。」

 少し仕事が早く終ったと夕方に訪れたミラードは最後の治癒を終えてにっこりと笑った。

「ありがとうございました。」

 セオドアを見守っていた男爵と杏奈もセオドアに従ってミラードに頭を下げた。

「この治癒の代金はいかほどになりますか。」

 セオドアが問いかけると、ミラードは首を横に振った。

「不要です。」

 思わずセオドアは父を振り返ったが、男爵も身に覚えがない。既に父が支払ったか任務中の負傷として騎士団が支払ってくれたのかと思ったセオドアは怪訝な顔でミラードに向き直る。治癒は高額だ。これほどの時間をかけてもらえば、セオドアの半年分の給金にあたる額を求められても当然と覚悟していたのだ。

「どういうことです?」

「教会への支払いは私が済ませておきました。」

 ミラードはさらりと不思議なことをいう。

「騎士団が支払いはしなかったのですか?」

「頼めば当然出してくれたとは思いますが、必要ないと思いましたので依頼しませんでした。」

 セオドアが困惑しているとミラードはいたずらっぽく笑った。そうすると彼は少年のようにも見える。

「セオドアさん、あなたは私の友人の大事な人です。ですからこれは私が個人的にそうしたいと思って勝手にしたことです。」

 無茶苦茶だとセオドアは思った。ミラードは対価を受け取る側であって支払う側ではない。

「せめて自分で支払いますから、教えてください。」

 セオドアが食い下がってもミラードは教えてはくれなかった。

「あなたのおかげで私もいくつか得ることがあったのです。お金に変えられないようなものをね。だから気にかけないでください。それに、こんなことを言うと嫌われるので普段は言わないようにしてますけれどね、もう私は一生かけても使いきれないくらいのお金があるんですよ。だから、返していただいても場所をとるだけで迷惑になりますから。」

 子供のころから、休まず司祭としての務めを果たしてきたミラードのこと。唸るほど金があるというのも冗談や方便には聞こえない。セオドアはどうあっても譲ってくれないミラードにとうとう折れた。

「感謝します。迅速な治癒も、聞けばミラード司祭が直々に方々手を回して下さったとか。」

「遅くなると、治せないかもしれないと思ったものですからね。骨はおかしな形で固まってしまうと後が厄介です。きちんと間にあって良かった。日ごろ、人には親切にしておくものですね。本当に皆さん協力的で助かりました。」

 うふふ、と笑うミラードの様子に協力を無理にとりつけたのではないかという疑いが浮かんだが、とにかく彼は恩人である。セオドアは賢くも余計なことは言わずに相槌を打っておいた。


 今日は少し時間もある。これまでの献身と今日になってわかった大きな厚意への感謝もこめてミラードを夕食に誘った。今日は夜警があるチェットの代わりに杏奈が通いの女中を手伝って夕食を準備するのを知って、ミラードは「それでは是非」と招待を受けた。

 食後、明日の手伝いの相談をしながら杏奈はセオドアが治るということは、こうして毎日セオドアの傍に張り付いていられる生活が終るということだと思い当った。

「あと少し休んだら、またお仕事に行ってしまうんですか。」

「いや、しばらくは休まないといけないだろうな。」

 セオドアの返事はもう少し傍にいたかった杏奈にとっては嬉しいことだが、既に怪我は治ってしまっている。体力が戻ったら休んでいる理由がなくなってしまうのではないか。休んでもいい、ではなく、休まないといけないというのは何故なのか。杏奈が軽く首をかしげると、ミラードが答えてくれた。

「体の傷は治癒で治すことができます。ですが、心はそうはいかない。考えてみてください。例えば大きな火事にあって、火傷を負いました。火傷は翌日に治すことができました。では、あなたは明日からまた同じように火を使って煮炊きができますか?きっと炎が恐ろしいのではないでしょうか。本来であれば体が治るのに必要な時間だけ、体を休めながら心も癒されるはずなのです。治癒によって体を癒す時間を捻じ曲げることはできますが、心に目をやることを忘れてはいけません。」

 つまり、怪我をした時に同時に傷ついた心が癒えるまでを傷病休暇としているということだ。杏奈は咄嗟に馬車に乗せられて返ってきた日のセオドアのことを思い出した。ぼろぼろに傷ついていた。それを傷が治ったからと言って、何もかも元通りになったように考えるのは確かに楽観的過ぎる。セオドアはいつものように静かで、二人で話している時はこれまで通りに笑ってもくれる。けれど、死ぬかもしれなかったのだ。怖かったはずだ。杏奈もモンスターに襲われた後ずっと悪夢にうなされた覚えがある。自分の考えが足りなかったと杏奈が恥じ入ると、ミラードは優しく笑った。

「アンナが思い至らないのは当たり前です。私達も過去の失敗から学んだのですよ。五十年も前は、まだ誰もそのことを考えてもいなかった。その頃はまだ司祭達は戦争に帯同していました。そして多くの重傷者を治し、彼らをまた死地に送り出した。そうして、送り出された兵士が次々と帰らぬ人になるのをみてやっと学んだんです。多くの犠牲が払われました。だから今はこうした怪我の治癒をした場合は、十分な休暇を合わせてとるまで復職は認められていないのですよ。」

 ミラードの言葉は優しい。しかし、その優しい言葉でくるんで示された過去は壮絶なものだ。昨日自分を殺しかけた相手に、怪我が癒えたからと言ってまた翌日に立ち向かう兵士が恐怖に竦んでしまうのは道理だ。そうやって命を落としてしまえば、もう治癒では癒せない。多くの司祭が自分が若い命を死なせたのだと心を痛め、そして本当に心を病んで行った。治癒の力は、人を二度死なせるために与えられた力ではない。そう言って司祭を従軍させることを禁じる法を取り決めたのは当時の騎士団長と最高司祭だ。国王ですら、その言葉と突きつけられた犠牲の多さに反論はできなかった。


 杏奈は納得してセオドアがどれくらい休むことになるのかと問うと、ミラードとセオドアは二人とも首を傾げた。

「待っていれば治った種類の怪我ではないから難しいところだな。一カ月か、二カ月か。」

「そうですね。あとはアンドリューか、彼の麾下の隊長達の判断次第でしょう。」

 それでは、少なくとももう一カ月、彼はどこにも行かないでいてくれる。そのことに杏奈は少しだけ安心することができた。自分は近いうちに仕事に戻らねばならないだろう。それでもセオドアが家にいてくれたら毎日会いに来ることだってできる。

「じゃあ、もう少し会いに来てもいいですか。」

 杏奈が小声で聞くと、セオドアはつられるように小声で返した。

「もちろん。それにお許しがでたら俺も改めてお前のところに挨拶にいかないと。叔母さん達に心配をかけたからな。」


 どこも内緒にする必要もない会話を内緒話にされると、聞いている方がくすぐったい。二人の会話が筒抜けの男爵はミラードと目が合うと、申し訳なさそうに視線を落とした。


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