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愛していると言えば、嘘になる  作者: 青砥緑
試されるとき
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後悔と希望

「だからよ。お前はここには来たら駄目なんだって。何度言ったら分かってくれるのかね。」

 薄灰色の空間で白い光がふるふると震えている。杏奈は呆然とそれを見上げた。見上げたまま、涙が後から後からこぼれ出す。白い光は驚いたのか目が回る程の早さで杏奈の頭の周りを飛び回った。

「おい、泣くなよ。泣くなって。」

 慌てふためいて白い光が宥めても、杏奈の涙は止まらない。

「・・・鳥さん。」

「なんだ。」

 いつもよりずっと優しい声音で白い光が答えた。

「私、また間違えたんですか。私、また。」

 杏奈は俯いてぐっと両手を握りしめた。

「また、失くしてしまうんですか。」

 白い光はするすると降りて来て杏奈の手の脇で止まった。光が手であれば、杏奈の手に手を重ねたような形になっただろう。

「間違えちゃねえよ。お前のせいじゃない。」

 白い光は世の中に起きることなどお見通しなのだろう。杏奈は何も説明しなかったが彼女の言わんとすることを察して答えてくれた。セオドアが帰って来ないことは杏奈のせいではない。彼女が何かを間違えたのではない。


「私。答えられなかった。好きですって言えなかった。愛してるって言えなかった。怖くて。」

 白い光は大人しく杏奈の手のそばにいた。

「怖くて。今の毎日を失うのが怖くて。セオドアさんに会えなくなるのも。忘れてしまうのも。だから、どうしても言えなかった。」

 杏奈は視線をそっと白い光に合わせた。

「好きなのに好きだと言わないのも、嘘になるの?」

「ならねえよ。お前のせいじゃないっていっただろ。」

 杏奈は大きくかぶりを振った。

「でも、ならどうして。」

「あの馬鹿野郎が、一人でふらふらしてんのはあの馬鹿野郎のせいだ。お前のせいじゃねえよ。あのな、世界はお前だけで回ってんじゃねえんだ。なんでもお前のせいなんてことあってたまるか。」

「一人で、ふらふら?」

 杏奈はぱっと顔を上げた。

「生きてるの?セオドアさん、どこかで生きてるの?」

 白い光はふわっと舞い上がって目を輝かせた杏奈から離れた。

「それは今のお前が知っていいことじゃねえ。俺もお前が可愛いけどな、それとこれとは話が別だ。いつか時が来れば必要な真実は伝えられる。」

 急に硬い口調になった白い光に杏奈は手を伸ばす。捕まえたら教えてくれるような気がして必死に手を伸ばした。白い光はひらりとそれをかわして杏奈の手の届かないところに飛んで行ってしまう。

「お前、一途なのもいいけどよ。ここに来たら駄目だ。お前、この場所の意味わかってねえだろ。もっと焦れよ。」

 焦ると言えばこれ以上なく焦っている。杏奈はむっとして白い光を見上げた。

「話を逸らさないで。」

「大事なことだから言ってんだよ。」

「セオドアさんより大事な話なんてないわ。」

「かー。もう本当にお前は馬鹿だなあ。」

「だから」

 話を逸らさないで、と言おうとおもった杏奈を遮るように白い光が盛大に震えながら大きな声を出した。

「もしその馬鹿野郎が帰って来たとして、お前が死んじまってたらどうすんだよ。」

 声は響くこともなく灰色の中に消えて行ったが、杏奈は投げつけられた言葉の意味が分からなくて困惑顔になった。

「お前、最初いつここに来た?死にかけてた時じゃねえの?もう忘れたか。」

「え。でも二回目は別に。」

 確かに初めてこの白い光に会ったとき、杏奈は生死の境にいた。けれど、そのこととこの空間をつなげて考えたことは無かった。ああいう極限状態では不思議なことが起きると思ったくらいだ。それに二度目にこの白い光にあったときは家で寝ていただけだ。少し深く長く寝すぎたけれど、起きた後も特に問題は無かった。

「あのまま、俺が追い返さずに楽しくおしゃべりしてたらどうなってたと思う?人間は何日食べないで生きていける?」

 白い光は冷たい声音で言う。その言葉は見えないのに確実に杏奈を追い詰める力を持っていた。

「ここは死の淵だ。お前が死ぬ気で馬鹿野郎を待っていればそいつの魂もいつか通るかもしれねえな。でも、その前にお前、死ぬかもしれねえぞ。」

 白い光は少し杏奈の近くに降りてきた。そしてふわふわと杏奈の周りを飛ぶ。彼女をどこかに押し出すように何度も後ろから前へ動いて見せた。

「ここは死にかけか、死に損ないしか用がない場所だ。お前みたいなのが来たら駄目だ。家におかえり。」

「でも」

「大丈夫だ。お前は何も間違っちゃない。何もお前のせいじゃない。信じて待て。あいつがここまできたら、俺がちゃんと叱っといてやるからよ。心配すんな。お前はあの馬鹿野郎に言いたいことがあるんだろう?」

 杏奈は納得がいかなかった。この間もたった一日寝ていただけだ。もう少し話してもきっと大丈夫だ。せめてセオドアが無事かどうか聞くまでは目を覚ます気はない。白い光は絶対に知っているはずなのだ。セオドアが生きているのか。どこにいるのか。杏奈がずっと喉から手が出る程知りたかった答えがそこにあるのにただ去るなんてできない。

「帰る前に教えて下さい。セオドアさんは無事ですか。」

「馬鹿娘。教えられないっていったろ。」

「聞くまで、帰りません。」

 杏奈がじっと白い光を見上げて宣言すると、白い光は「この馬鹿」と言い残して勢いよく飛び去った。

「え?鳥さん?」

 あっという間に光の消えてしまった空間で杏奈は途方に暮れる。あの光はいつもここにいると漠然と思っていたが出て行くこともできるのか。だとしたら、ただ待っていても何も得られない。

「鳥さん!帰って来て!お願い!」

 叫んでも何も聞こえなかった。杏奈は急に怖くなった。もしあの光が帰って来なかったとして自分はどうやってここから出て行くのだろう。どうやって目を覚ますのだろう。目を覚まさなければ、白い光の言う通り寝たままの自分はいつか干からびてしまうだろう。


「大丈夫よ。大丈夫。」

 杏奈は自分に言い聞かせる。そしてきっとどこかに手掛かりがあるはずだとあの白い光の言葉を一つ一つ思い出していった。


 何度繰り返して思い返しただろう。声が聞こえてきた。遠いけれど聞き覚えのある声。


「アンナ。アンナ。君の待ち人が見つかりましたよ。もうすぐ帰ってくる。早く起きないとお迎えが間に合いません。」

「アンナ。セオドアが意識を取り戻すときには君が居てあげないと彼が可哀相ですよ。」


 ミラードの声だった。杏奈は立ち上がって辺りを見回した相変わらず灰色一色の世界。

「ミラードさん。どこですか。セオドアさんが見つかったって本当に?」

 大きな声で叫んでも答えは無い。ただもう一度ミラードの声が聞こえてきた。


「君が自分のために倒れたなんて聞いたら、向こうもまた倒れてしまう。私の声が聞こえていますか。さあ、目を覚まして。」


 目を覚ます。やはり自分は寝ている状態なのだ。一体どうすれば起きられるのだろう。杏奈は当てもなく駆け回った。出口が見つからない。息を弾ませているとふわっと空気が動いた気配がした。

「ははん。なるほどな。お節介な奴もいたもんだ。」

 くるりと振り返ると白い光が浮かんでいる。

「鳥さん!」

「そうだよなあ。いくらお前が間抜けだとはいえ、こんなに何度も死にかけるってのはおかしいと思ったんだよ。そういうことか。」

 白い光はぶつぶつと言いながらふわっと光を広げて行く。光は杏奈に呼ばれた通りの大きな鳥の姿に見えた。光の翼が広がって杏奈を包み込むようにする。

「すまなかったな。お前を泣かして、こんなところに来させて。さあ、帰れ。」

 語りかけながら白い光が杏奈をすっぽり包み込んだ。

「今度こそ幸せになれるさ。迷わなくても大丈夫だ。今度は絶対大丈夫だ。」

光が縮んでまた元の大きさに戻ると杏奈はもうどこにもいなかった。



「ったく。あの野郎。人の女を何度も仮死状態にするなんて正気か。ほんとに死んだらどうする気だ。いい加減な術使いやがって。俺に情けでもかけてるつもりかっての。」


 ひとりぼっちで薄灰色の空間に漂う白い光はあっという間にいつもの調子を取り戻してかつての仲間に毒づいた。もしかしたら聞こえているかもしれないが、聞かれたって構うものかと盛大に弾みながら積年の恨みつらみを言い続けた。

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