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愛していると言えば、嘘になる  作者: 青砥緑
試されるとき
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家路

 セオドアは馬上にあった。

 愛馬の背から見る景色は見慣れた高さだが、あいにくと自分がどこにいるかは分からない。腕が思うように動かず、手綱を握ることもできない。一度馬を降りればもう自力で登ることはできないだろうと、馬には申し訳ないが乗りっぱなしで数日になる。もう足にも力が入らずゆっくりと歩いてくれる馬から落馬しないで済んでいるのは一重に乗馬が体に染みついているからとしか思えない。



 あの巨漢の盗賊の最後の一太刀をすんでのところで鞘ごと抜いた短剣で滑らせた。首筋に入っていれば首が吹っ飛んでいたかもしれない一撃だった。それほどの太刀を逸らせたとはいえまともに肩当てに食らって、たまらずに馬から落ちた。受け身をとる余裕もなく頭から落ちて気を失った。そのあとの記憶は混濁している。次にセオドアがはっきりと意識を取り戻した時、彼は見知らぬ林に打ち捨てられていた。甲冑ははぎ取られ、腕当てやブーツ、盾に折れてしまった長剣の鞘、短剣。あらゆるものが失くなっていた。当然愛馬の姿も無かった。身を起こすこともできずしばらくただ転がっていた。一晩どころか朝が来ても誰も通らないその草むらで、いつまでも転げていては死ぬと思った。どう痛めたのか両腕が思うように動かず片足がひどく痛むが、とにかく人のいるところまで行かなければ飢えるか、傷から毒が回る。のたうつようにしてなんとか立ち上がると酷く眩暈がした。返り血も随分浴びてどす黒い服からは意識が無い間の自分の失血量は分からないが、血が足りないと直感的に思った。足を引きずるように歩き出す。甲冑も鎖帷子も奪い去ってくれた者に感謝する。あのように重たい装備をつけたままではきっと一歩も歩けなかった。昼日中は暑く体力を消耗する。暗い夜中に歩き続けた。


 そして、とうとう道らしきものに辿りついた。ここに転がっていれば人が通るだろうか。もうこれ以上歩ける気がしないと、歩くことを止めてしまう誘惑にかられて左右を見回すと、月灯りの下に馬の影が見えた。

「なんだ、ステラじゃないか。俺は死んだのか?」

 見慣れた馬が寄ってくる。愛馬のステラだ。盗賊と打ち合いになって落馬した。あれだけ盗賊に囲まれていたから愛馬は奪われたかと思っていた。ここにいるということは逃げようとして矢でも射られてしまったのだろうか。そして自分を迎えに来てくれたのかもしれない。ああ、そうだ。だから最近目が良く見えなかったのか。痛みを感じなくなっていたのか。思い当たる節はいくらでもあるぞ、とセオドアは考える。そして薄く笑った。死出の旅路に愛馬と一緒に旅立てるならば本懐だ。ずいぶんと上出来ではないか。

 もう腕を上げることもできないセオドアは自分の真横まで歩み寄ってきた愛馬を撫でてやる代わりに、体をもたれかけさせて掠れる声をかけた。

「なあ、村はどうなった?半分も助かったか?」

 一人で村一つ救えるとは思っていない。けれどせめて全滅を免れたのなら自分が飛び込んで行った甲斐があるというものだ。馬は答えずに静かにそこに立ち止っている。

「夜が明けるなあ、ステラ。お前、朝日に溶けたりしないよな。」

 視界はぼやけているが、日夜共にすごした馬の匂いと感触は生々しくそこにある。朝日が昇って行くのを見ながらセオドアは一人の娘の顔を思い出す。

「アンナ、どうしているかな。」

 もし自分が死んだと言うなら重い体などいらないから、王都へ飛んで帰らせて彼女がどうしているか見せてくれたっていいではないか。自分の訃報が入ったらきっと悲しむ。幽霊になって何もできなくてもせめて傍にいたい。無性に彼女の顔が見たかった。笑顔が見たかった。


 朝の金色の光を浴びても愛馬は溶けて消えたりせず、セオドアもまた同じように小道に立ちすくんだままだった。長く伸びる一人と一頭の影を見てセオドアは頭を馬にこすりつけた。

「まだ、生きてるみたいだな。」

 そう言ってセオドアはゆっくりとまた歩き出す。生きているのなら自分の足で帰る以外に杏奈の元に帰るすべはない。重い体を引きずって歩く。愛馬はただ自分についてきた。

 道の途中で家でも建てる予定なのか小高く積まれたレンガがあった。それをみてたセオドアは愛馬に頭を軽くぶつけて脚を止めさせた。

「お前になら、乗れそうな気がする。」

 次に落ちたら本当に死ぬかもしれないけど、と呟きながらセオドアはレンガの山を登った。真横で自分を見上げる愛馬を呼んでゆっくりとその背にのる。そうすると愛馬は心得たように彼を乗せてまたゆっくりと歩き出した。王都の方角へ。

 そうして数日、気が遠くなるたびに、杏奈のことを思い返して気をつないだ。焦らず考えろ、いくらでも待つと言ったのに自分がいなければ答えることもできないではないか。帰ってやらねば、真面目な杏奈のことだ、返事をできなかったことを悔やむに違いない。帰らなければ。ああ、でも帰ったら杏奈は連絡がなかったことを怒るだろうか。答えはもう出ているだろうか。今度こそ、自分の言葉に応えてくれるだろうか。

 セオドアは彼女の笑顔を思い出し昼も夜もなく馬を進めた。これほど家路が遠く長く、そして恋しい道であったことはなかった。



 ひたすらに歩き続けた一人と一頭が行商の一行に発見され、さらに騎士団に連絡が届いたのはセオドアが姿を消してから半月も後のことだった。


「おい、あれ。噂の亡霊じゃねえか。」

「馬鹿いえ、あれは本物だよ。生きてるよ。影があるじゃないか。」

「おおい。そこの。」

 騒がしい声が追いかけてくる。


(呼び止めないでくれ。俺は急いでるんだ。急いで王都に帰らなければ。可愛い娘にお前を待っていると言ったばかりなのにこっちがいなくなったりしたら格好がつかないだろう。)


 セオドアはもう声も出せなくて、心の中で言い返しながら進んで行く。

「おい、医者を呼んで来い。騎士様もだ。こりゃひでえ。」

「兄ちゃん、しっかりしなよ。もう大丈夫だからな。」


 いなくなったところから随分と離れたところではあったがその特徴を聞いてコンラッドはそれが間違いなく行方知れずになっている自分の友人だと確信した。

 酷く衰弱した男が両腕が使えない癖に一人で馬に乗っていた。あちこち血に濡れて靴も履いていないが、身分の卑しい者には見えない。耳も聞こえないのか呼んでも反応はなかったが、引きずり降ろされるまで王都に向けて歩み続け決して止まろうとはしなかったという。

「確認に行きます。」

 弾かれた様に立ち上がるコンラッドをみて、モーガンは頭を掻いた。

「正直、今お前に抜けられるのは厳しいんだがなあ。確認したら後のことは他に任せて帰ってこいよ。」

「あいつの無事を確認したら戻ります。」

 返事を言い終わるや否やコンラッドは風のように立ち去って行く。あっという間に外から蹄の音が聞こえてきて、そして遠ざかっていった。

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