消えた男
セオドアと別れた騎士は馬を潰す覚悟で走って、騎士の駐屯地に辿りついた。昨日出て行った男が青い顔で駆けてくる様子に騎士達はすぐさま身支度をしながら彼を迎えた。
「隣村に、盗賊が。今セオドアさんが、一人で、残って。早く、援軍を。」
「なんだと」
低い、苛立ったような声が響いた。コンラッドだ。
「あの馬鹿一人で残ってやがんのか。」
言うが早いか、声の主は号令も聞かずに飛び出してしまう。
「おい、お前ら。もう一人の馬鹿を追いかけるぞ。半分俺についてこい。」
先を越された巨漢の隊長の掛け声に駐屯所の騎士達は一斉に出立する。
「ったく。あいつらはよう。誰に似たんだかなあ。」
この騎士隊長は表向きは村の立て直しのために、実際には盗賊狩りのために第三師団の精鋭を与えられて派遣された者だ。第三師団きっての怪力自慢、巨漢の騎士隊長モーガンはぶつくさいいながらも、一秒も無駄にせずに馬に乗り素晴らしい速度で走りだした。ついてこいと言われた騎士達はもうついていくだけで必死だ。
「おらおら、もたもたすんなよ。仲間見殺しにする気かあ。」
途中で檄を飛ばしながらモーガンらは隣の村へ駆けつけた。
(ちっと遅かったか。)
黒っぽい煙が上がっている村が視界に飛び込んでくるとモーガンは不機嫌そうに顔を顰めた。あの煙は燃え終りだ。それにやけに静かだ。
一足先に村に飛び込んだコンラッドは脇目も振らず激しい戦闘の跡の残っている方へ駆けつけた。明らかに盗賊と思われる男が点々と転がっている。段々とその数が増えて来てとうとう硬く門扉を閉ざされた教会の前についた。
この扉が運命を分ける扉だったのだろう。逃げ込もうとして逃げ切れなかった村人と、扉に向かって何者かに阻まれた盗賊がみな教会に向かって手を伸ばすように倒れている。しかしその場に銀色の甲冑はなく騎士の姿は無い。
「おうい。王国騎士団だ。扉を明けてくれ。」
コンラッドが声を張り上げる。教会の扉の向こうに人の気配はあるが、ざわめきからは戸惑いが感じられる。
「ばっかやろう。」
コンラッドは後ろから殴られて頭を抱えた。
「開門させる前に安全確保だろうが。」
追い付いてきた隊長にすごまれるが、コンラッドも負けない。
「もう動ける盗賊はいませんよ。それよりセオドアの姿がない。」
「見りゃわかる。」
そう言いながらモーガン隊長は危険が無いか確認してきた部下の報告を待ってから改めて教会の扉に向かって声をかけた。
「もう盗賊はいない。村に残っていた生き残りは全て捕えた。扉を開かれよ。」
大きな扉の上から数個の頭がのぞいて、ぱっと消えた。騎士団の甲冑を確認したのだろう。重い扉が開かれる。中にはまだ棍棒を構えたままの若者達と村長と思しき男が待っていた。
「もう盗賊らはいないんですね。」
念を押す村人にモーガンは大きく頷いた。その横でコンラッドは視線をあちこちに走らせている。無事なのだったら、今ここにセオドアがいるはずだ。
「セオドアは。ここに一人騎士がきたでしょう。彼はどうしましたか。」
コンラッドの言葉に村人たちは顔を見合わせた。気まずい、躊躇うような気配にコンラッドの苛立ちは増す。
「彼はどこにいるんです。」
重ねて尋ねると、村長が口を開いた。
「ここにはいません。騎士様は最後まで教会の扉を守ってくださった。」
そのまま彼は俯いてしまう。
「それで。」
今度はモーガンが先を促した。
「私達は自分の仲間大事で急いで訊いているわけじゃない。彼ならどれほどの盗賊が逃げ延びたか、どういう奴らだったか役に立つ情報を報告できる。生きているならすぐに話を聞かにゃならん。」
そう重ねられて村長は小さな声で答えた。
「わしらが扉を閉める時には、もう死んでた。死体を引っ張りいれてる間に盗賊が入ってきちまったらおしまいだ。だからそのまま扉を閉じた。申し訳ねえとは思うけど仕方なかった。」
その言葉にコンラッドは顔を真っ赤にする。
(死んだだと。まさか、あの飄々とした奴が。昨日またなと別れたばかりだ。)
信じないと言い張る自分がいる一方で、村長の言葉から嫌な想像が膨らんでしまう。まだそこに生きている盗賊がいて、セオドアが放り出されたなら何が起きたか。騎士に恨みがある盗賊などいくらでもいる。例え死んでいたとしても腹いせにとどんな辱めを受けたか知れない。金目当てであっても王国騎士団の象徴である甲冑や王から叙勲を受けた記念の剣を奪われることの屈辱は耐えがたいものだ。唇を震わせてコンラッドが俯いていると、モーガンが厳しい声で矢継ぎ早に村長んい問いかけた。
「盗賊は何人いた?どっちへ逃げた?馬は?」
目を白黒させてお互いにああだ、こうだと言いあう村人をみながらバシンとコンラッドの背を叩く。
「しっかりしろ。そこにセオドアが転がって無いってことはどういうことか考えてみろ。」
最後まで扉を守って死んだなら、教会の扉の前に彼が見当たらないのはどういうことか。考えてコンラッドはぞっとした。自分で動けなかったのだとしたら答えは一つしかない。盗賊に連れ去られたのだ。何の為に。先ほどコンラッド自身が考えて怒りに震えた正にその為にではないのか。
「生きているかもしれねえな。」
「え?」
「いくら甲冑や剣が欲しくてもよ、あのでかい体丸ごと持っていくかね。どうやそのままじゃ売れないんだから鋳潰すだろう。傷つけたっていいんだ無理やり剥ぐのが普通だろう。それが無いって言うのは、生きていたからなんじゃないかね。」
コンラッドはいよいよ吐き気がしてきた。村人は死んだと言う。しかし彼らが何をみてセオドアが死んだと言っているのか分からない。もし倒れて身動きがとれなかっただけだとしたら。そして盗賊は彼が生きていることに気づいていたとしたら。
「嬲り殺しにされる。」
ぽつりと呟いたコンラッドの言葉にモーガンは片眉を上げた。
「可能性の一つではあるな。一番物騒な奴だけどな。」
村人のなかなか要領を得ない話をまとめると、盗賊が去っていったのはもうずいぶん前のことらしい。教会の扉を閉ざしてからもしばらく扉を破ろうと暴れていたようだが、諦めたのか最後は罵声を浴びせて去っていいたという。恐ろしいので見送らなかったが馬の足音が複数、森の方へ向かったように思うということだった。
「すぐに後を追う。生きて連れて行かれたなら一晩待てん。」
モーガンはすぐさま指示を出して村に残る者と逃げた盗賊を追う者に部隊を分けた。
「村中をくまなく確認しておけ。怪我人、生き残りの盗賊どっちも見逃すな。」
コンラッドとモーガンは仲間と共に森へ向かった。複数の馬の蹄の跡もあり方角は間違いなさそうだ。
「俺達の姿が見えるずっと前に逃げてるってことはだ。おそらく森の奥に根城がある。暗くなったら不自由するようなところだ。だから陽が落ちる前に帰りつく時間で出発した。」
モーガンは辺り一帯の地図を頭に思い浮かべてぶつぶつとつぶやく。横で必死に足跡を追っているコンラッドは今や顔色は蒼白で脂汗が滲んでいる。
夕暮れが近づき、馬の跡を追うことが難しくなってきた頃に盗賊の根城が見つかった。あと一歩遅かったら夜の闇に紛れて見逃してしまっただろう。
「間一髪間に合ったか。」
モーガンはそう呟いて目を細めた。その視線の先に見張りが二人立っている。その背後に半分土に埋まったような洞窟。もしもセオドアが生きて連れ去られたのなら、必ずここにいるはずだ。
「待っても応援が来るわけじゃなし。とっとと片付けるぞ。」
モーガンはそう言って腕のいい射手を二人前に出させた。
「一言も出させんなよ。」
そういって軽く手を振って合図する。白い矢羽が閃いて二本の弓矢は見張りの男に突き刺さる。二人の見張りはその場で崩れ落ちた。
「ようし、上出来だ。」
近寄ってみるといずれもうめき声を上げていて致命傷ではなかったらしい。すぐに猿ぐつわをかませて縛り上げる。そのまま木陰に放り出して彼らは正々堂々と正面から根城に侵入した。
「いくら騎士だって言ってもなあ。入る前に今から狩りに参りますなんて言ってられねよなあ。」
一仕事終えて寛いでいた盗賊を短時間で打ち取ったモーガンは「忍び込むなど騎士のすることじゃねえ」と叫ぶ盗賊にそう言い返した。数が拮抗していれば正規の訓練を受けた騎士の方が遥かに有利だとはいっても危険は少ない方がいいのだ。この種の任務で宣戦布告する必要はない。
「それに俺達は急いでんだよ。」
そう言ってモーガンはコンラッドをちらりとみた。コンラッドは頷いて盗賊の一人を捻りあげる。
「あの村に騎士がいただろう。あいつをどうした。」
「いてえ、いてえって。腕が折れちまうよ。」
「折られたくないなら、さっさと答えろ。」
「知らねえよ!だから、いってえ。いたけどよ、親方にのされて転がってたよ。それっきり知らねえよ。」
コンラッドはすいと手を緩めた。ほっとしたのか盗賊が懲りずに嫌な笑いを浮かべる。
「一人で随分粘ったけどなあ。親方には敵わねえよ。たった二太刀で馬から転げ落ちて動かなくなったぜ。へへ、騎士ったってどうってことねえなっうぷ。」
コンラッドに頭から壁に叩きつけられた盗賊はようやく静かになったが、意識を手放した盗賊の襟首を掴んだままコンラッドは困惑した表情を浮かべる。
「知らない?」
「お前さんは知ってるか?」
今度はモーガンが座り込んでいる巨体を小突いて聞く。この盗賊団の頭領。怪力無双で有名な盗賊だが渾身の一撃をモーガンに振りはらわれて捕えられた。第三師団で怪力自慢といえば、まずこのモーガンだ。だからこそ、この盗賊の噂が出て以来、この地域の担当がモーガンに変更されていたのである。
「そいつの言った通りだよ。右と左。両肩を叩いてやったら馬から転げ落ちたよ。」
「それで。騎士の甲冑と剣が目の前にあったのに置いて逃げたのか?そりゃあ盗賊らしくないよな。」
「そりゃあ甲冑ははずしたさ。良い金になる。剣はもう折れてた。使い物にならねえ。馬にも逃げられるし。あれだけ子分をめった切りにされたにしては見返りが少ねえと。」
そこまで行って一度口を閉ざした盗賊の頭領を見下ろしてモーガンは続きを促す。
「腹いせに蹴っ飛ばしてもびくともしなかったさ。死んでたよ。死体をどうこうする趣味はねえよ。村に置いてきてあっただろ?」
「そうか。お前らはあいつを村に置いてきたと、そういうわけか。」
モーガンは目を細める。長年の勘からするとこの盗賊達の言い分に嘘は無い。念のためアジトを隅々まで調べさせるが、きっと何も出ないだろう。
モーガンはさりげなく盗賊の頭領の腹を蹴っ飛ばしてから考える。村長は教会の扉の外で死んでいたという。盗賊も同じようにいう。そして誰も遺体を動かしていないはずなのにセオドアは影も形もない。
(あいつ、どこ行った?)