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愛していると言えば、嘘になる  作者: 青砥緑
試されるとき
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ザカリーの依頼

 セオドアとのことをどうすればいいのか一日中でも悩める杏奈にとって、救いになったのは意外なことにザカリ―からの依頼だった。

 依頼の内容そのものは彼の質問に答えるという単純なものだった。ザカリーの顔は怖いし冗談も言わないが、言葉遣いは丁寧だ。また 頭脳は明晰で、ものの考え方は公正だ。ここまでならば、大変なことはない。しかし嬉しい予想外だったのは彼がその公正さを杏奈に対しても例外なく発揮してくれたことだ。普段、幸か不幸か自分を甘やかしたがる人に囲まれている杏奈を、ザカリーは最初から彼女の過去や生い立ちに捕らわれずに一人の大人として贔屓目なしに見てくれた。それは杏奈に失望されてはいけないと良い緊張を与えるものだった。それゆえに毎回、騎士達の働く建物に出向くだけでも緊張するというのに、ザカリーと向かいあってその質問に答えるとそれだけで一日分の体力を根こそぎ持っていかれてしまった。騎士団へ赴かない日は今まで通り女中修行と勉強がある。そんな忙しい生活は彼女から悩む暇を十分に奪ってくれた。


 新しい仕事が始まった最初のうちは、あらかじめ聞いていた通り杏奈が避難所でしていたことについての質問だった。何と言っても自分の経験を答えるのだから、それほど難しいことは無いだろうと思っていたのだが、それは全く見通しが甘かった。彼が投げてくる質問の中には難しい、取り様によっては意地の悪いものもあったのだ。

 例えば身寄りのない子供達の面倒を見ていた、という話から「どうしてそうしようと思ったのか。」と理由を問われたときのこと。

「子供は大人の助けが必要ですから。だれの子供でも、子供は子供でしょう。誰か助けてあげないと。」

 杏奈にしてみれば当たり前の感覚でそう答えると、ザカリ―は眉間の皺を深くする。

「誰の子供でも?」

「人間の子供は放っておいても動物みたいに自分で生きて行くことはできないですよ。」

 ザカリ―は、ペンの先で額を突きながら質問を重ねる。

「一人で見てやれる子供の数はどれくらいですか。もし自分の手に余る数だったらどうします?手の届くところの子供だけでも面倒をみて、他の子供は放っておきますか。」

 この問いかけは、うがった見方をすればそんなのは偽善だと責めらているように受け取れる。杏奈は当初こうした質問を受ける度に自分が責められているように感じてびくついていたのだが、慣れてくると彼に含むところはないということが分かってきた。その証拠にどういう答えをしても彼は笑いも怒りもしない。ザカリー自身に悪意はなく、ただ起こりえる事態を想像して疑問があれば率直に口にしているだけなのだ。そうと分かれば杏奈にできることは、とにかく一生懸命に考えて一番良いと思われること答えることしかない。

「助けを得ようとしたと思います。他に一緒に面倒を見てくれる人を探したり、食事だけや洗濯だけでも。手が届かないからと言って諦めることはしたくないですし。そうやって皆が諦めてしまったら、その子達は本当にひとりぼっちになってしまうでしょう。」

 ザカリーは表情を変えずに、答えを聞いてさらに質問を重ねていく。杏奈は一つ一つの問いに答えると、ある程度納得がいったところで彼はメモを取り始める。左手で紙を抑えることができないので、書きとることはとても手間がかかる様で、ゆっくりとペンが紙をひっかく音を聞いて杏奈は次の質問を待つ。


 彼を待つ間、杏奈はよく窓の外の小さな中庭を眺めていた。杏奈がいつも通される部屋は大きな机が三つほど置いてあり、それぞれに担当者が一人ずつ座っているだけの無愛想な小さな部屋だが、庭だけは程良く手入れされていて心が和む景色だ。最初は春風にそよぐ花が美しかった庭の景色も、何度も通ううちに日差しがきつくなり、部屋は日によっては蒸すほどになってきた。しかし、いつでも窓は閉ざされたままだ。風で紙がそよいだら、ザカリ―は文字が書けないと分かっているので部屋にいる誰も窓を空けようとも、暑いとも言わない。杏奈にもそれは分かっているが、これ以上気温があがれば辛くなってくるだろうと心配になる。



 何度かの訪問を経ると、それまでのやりとりから思いついたことをザカリー達が調べて来るようになった。話される内容も質問というより相談が増えている。

 ある日、彼はアンナにいくつかの書類を示した。

「先日、定期的に掃除や洗濯をしないといけないとおっしゃったでしょう。過去の例を調べました。ちょっとこちらを。」

 几帳面に記された内容は避難所の環境と伝染病の関係で、そこには明らかな因果関係が見てとれた。

「ああ、やっぱり場所が谷だったりすると環境が良くないのですね。」

 杏奈がそう言って目を上げるとザカリ―は珍しく目を細めた。最近ようやく見慣れてきたが、これが彼の笑顔らしい。

「あなたは本当に何というか。聡いですね。どこで何を学ばれてきたのか記憶が無いことが残念でなりません。」

「と、言いますと?」

「仰る通り、谷です。圧倒的に谷間に作られた避難所での病死者が多い。これだけの因果関係を見出すのに私達は何日もかかったのですよ。」

 彼はため息交じりに二人の会話を聞いている部下二人を見た。彼らもザカリーの言うことは本当だというように頷いてみせる。

「どうして谷間では病気が広がりやすいと思われますか?」

 問われて杏奈は小首をかしげる。

「風通しが悪かったり、日当たりが悪かったりして病気の元が増えやすいのではないでしょうか。食糧事情は配給だとするとどこも変わらないかもしれませんけど、湿気の多いところは傷みも早いでしょうから他に比べればやはり厳しいのかもしれません。栄養の偏りが続けば体は弱ります。」

 最後に取り戻した遠い世界の記憶に触れながら杏奈は答える。あまりにこの世界の常識とかけ離れたことを言ってはいけないと言葉だけは注意するが、何か役に立つのなら情報を出し惜しみするつもりはない。

 ザカリ―はふむ、と言ってまたペンを額にあてる。ものを考える時の癖なのだろうがいつも話が終る頃には額に赤い跡がいくつも残ってしまっていて痛そうだ。

「日当たり、風通し。」

 そう言って彼はペンを額から離した。

「うちの妻と同じようなことをおっしゃいますね。」

「奥様?」

「洗濯ものを干すのに日当たりと風通しが大事だと。私や息子が体調を崩すと毎日シーツや寝巻を取り換えさせて洗ってくれるのですが、太陽と風の力で悪いものを吹き飛ばした新しいものを使えというんです。」

 ザカリ―はペンを下ろして窓の外へ目をやる。

「そういう母から子へ言い伝えられてきた当たり前の生活の知恵を活かせ、ということなんでしょうか。」

「避難所でも生活は生活ですから。きっと役に立つと思います。」

 杏奈の答えに、ザカリ―はふっと肩の力を抜いて杏奈を見る。

「どこにいても生活は生活。あなたはものの本質をいとも簡単に言い当てる。しかも、言葉にされてみれば気付かなかったこちらが恥ずかしくなるようなことばかりだ。」

「へ?」

 我ながら間抜けな声を出したと杏奈が赤くなると、ザカリ―は初めて杏奈の前で声を立てて笑った。いつもの厳めしい顔からは想像できないような明るい笑い声だ。その笑い声が潜められると小さな声で「惜しいですね。」と呟く。

「何ですか?」

「今は、ここにいらっしゃるとき以外は女中をされていると聞いています。女中には惜しい、と申し上げたのです。その知識や洞察力はもっと活かす道があると思いますよ。違う職業を考えて見られてはいかがですか。女中が悪いとはいいませんが、ただ本当に惜しく思えますね、私には。」

 ザカリーは褒め言葉に杏奈は驚いた。彼は丁寧な態度で接してはいても、どこか杏奈に対して距離をおいている雰囲気があったのにやっと笑ってくれたと思ったら、予想を超える褒め言葉だ。ザカリーは御世辞を言うような人物ではない。彼の褒め言葉は杏奈を喜ばせ、その心に少しの自信を持たせてくれた。


 その後、ザカリ―はそれ以上杏奈の職業については触れなかったが、彼は避難所での出来事を聞き終っても杏奈を呼び出すことを止めなかった。当初、一度か二度通えば済むと思っていたお手伝い感覚だったものが、いつの間にかザカリ―の部下の一人のようになって、いつまで通い続ければいいのかも分からない有様だ。そうやってザカリ―の大きな机の向かいに臨時でおかれていた椅子が座り心地の良いものに取り換えられて、まるで杏奈専用になってくるころには他の騎士にも、ここに頻繁に杏奈が訪れることが知られるようになり、ザカリ―と彼の数少ない部下は用もないのにやってくる来客を追い返す仕事が増えていた。


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