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愛していると言えば、嘘になる  作者: 青砥緑
試されるとき
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野営の夜

 セオドアは騎士団長からの依頼文を持って各地を転々としていた。野宿になる日は連れの若い騎士と交代で眠る。相棒の寝息を聞きながら夜明けまで無言で耳を澄ます時間は長い。そのたびに最後に杏奈と話した時のことを繰り返し思い出すので、もう何度目か分からなくなってしまったその日のことを飽きもせずまた思い返す。


 慰霊式典の日。黒いドレスを着て、髪をきちんと結い上げた杏奈はいつもよりずっと大人びて見えた。最初に出会った時に14、15の子供かと思ったこと思えば魔法にかけられて急に大人になってしまったように見えてどきりとした。そして彼女の隣に立っていたウィルも少し会わない間に大きくなり、ザカリーが夫婦と勘違いしたのもうなずける程二人は似合いだった。何より並んで仲良く笑う姿に胸が焼けた。更にセオドアを焦らせたのは、他の騎士と話し込む杏奈を目で追うウィルの様子だ。あの目に、半年もの間気がつかなかったのだとしたら自分の目は節穴だと言われても仕方ない。彼の表情は杏奈に恋焦がれる気持ちが溢れていた。


 これまでセオドアは他の男を脅威に感じたことはあったが、嫉妬したことはなかった。国で一、二を争う色男が杏奈の恋人候補として噂されていても、実際に杏奈とのやりとりをみて不安に思うほどのことはなかった。アンドリューが杏奈と話していても、彼自身からは他の女性に向けるのと同じ優しさや穏やかさしか感じなかった。杏奈が頬を染めて彼の美貌に見惚れているのは面白くは無いが、男ですら一度や二度は目を奪われるのだから仕方ないと諦めもつく。なにより見惚れているだけで、その表情はお伽噺に夢中になる少女や、煌びやかな装身具を見つめる娘達のものと変わらなかったはずだ。ミラードと杏奈が話しているところはあまり見たことが無いが、やはり杏奈の彼に対する様子は尊敬する司祭以上のものではなかった。アルフレドの家でミラードが弟と何やら言い合っていた時には際どいことも言っていたように思うが、セオドアにはそれは本気には見えなかった。他の有象無象の騎士達など話にならない。彼らが彼女のことをどれだけ話していても、町一番の器量良しを噂するのと同じで本気ではなかったからだ。だからこそ、余裕をもっていられたのである。

 でもウィルは違った。掛け値なしの本気だ。例え星祭りでアルフレドに入れ知恵されていなかったとしても今回は気がつくことができたと思う。それはセオドアが杏奈を見る目が変わったせいでもあるし、おそらくウィルの態度や気持にも避難所にいた頃と変化があったからだろう。


 式典が終っても、仕事が全て終わったわけではない。ウィルと杏奈の他にも参列してくれた人々の中に挨拶すべき遺族がいたし、隊に戻ってやるべき仕事もある。ウィルと杏奈を残して戻るときに後ろ髪を引かれる思いで一度だけ振り返った。杏奈は自分を見ていつものように笑ってくれた。目があったことも笑いかけてくれたことも、自分を見送ってくれていたのだと思って嬉しかったが、背を向けた後でやはり不安になった。思い人を彼女を好いている男と二人で残して行かなければならないのは、どうしても心配だ。ウィルは杏奈にもう思いを告げただろうか。まだならば、今日ほどいい機会はない。学校に通い始めたウィルは一年か二年で一人前の教師になるだろう。そうしたら杏奈を養って生きて行く道筋が立つ。迎えにくるまでもう少し待っていてほしいと言われたら、彼女はどうするだろうか。彼女が一人で生きていけるようになることに強くこだわっているのは分かっている。アルフレドの家で世話になり続けるよりも、妻としての居場所を得られることを選ばないとは限らない。

 セオドアには自信がなかった。これまでの杏奈の様子から、もしかしたらと期待はある。けれど確信ではない。時が経つに連れて湖畔で頬を染めて自分を見ていた彼女が、同じようにウィルと向かいあう様子まで想像してしまい、不安と苛立ちが募った。常になく冷静さを欠き、書類の整理が手につかないのを見兼ねて同僚が今日はもういいから帰れと半ば追い出すように彼を解放してくれたときには、杏奈のこと以外ほとんど頭になかった。

 幼い頃から面倒を見てもらい、気心のしれているヴァルター家の女中モイラにも彼が思い詰めた様子であることはすぐに分かったのだろう。何も考えずにまっすぐ杏奈に会いに来たセオドアに茶を持たせて、杏奈のいる部屋に案内してくれた。


 杏奈はもう黒いドレスは脱いで、いつもの簡素なワンピース姿で洗濯物の山に埋もれていた。家に帰っていた。たったそれだけのことに少しだけ安堵する。そして眉間に皺を寄せて一つずつシーツを片付けて行く彼女の姿を少しの間みつめてから開け放たれていた戸を叩いた。

 何を話したのか全く記憶にないが、最初は普通に話せていたはずだ。しかし頭の中はウィルに何を言われたのかということで一杯で、きっとそれが態度にも出たのだろう。懸命に話しかけていてくれた杏奈が不安げな表情になってやがて黙ってしまった。気を遣わせて、怖がらせて一体何をしているのかと情けない思いにかられた。


 本当は思いを告げてしまうつもりはなかった。だが嘘は無いし、この先もそう簡単に気持ちが変わるとは思えない。間違った選択ではなかったと思っている。それに何も言葉にして答えてはくれなかったが杏奈の驚きの他に歓喜を含んだ表情は彼の期待が間違っていないと告げていた。杏奈の気持ちは自分にある。やっと確信がもてたのだ。それだけで半日彼の心に居座った苛立ちも不安も、すっかり消し飛んだ。理性も一部消し飛んでしまったが、鼻先に口づけるくらいは許してほしい。欲を言えば、淡い色合いの唇にも赤く染まっていた丸い頬にも余すところなく口づけたかったのだから。

 彼女がはっきりと答えられないのには、彼女なりの理由があるのだろう。気持ちに迷いがあるのかもしれないし、他にも何か考えるところがあるのかもしれない。けれど去り際に引きとめたときの縋るような瞳と初めて自分を抱きしめ返してくれた腕には彼女の精いっぱいの想いが籠っていた。今はそれだけで良いと思う。自分に対する不安ならいくらでも言葉を尽くして、できる限りの方法で取り除いてやりたい。しかし、彼女が乗り越えなければならないことならば待つしかない。

 いくらでも待つと言ったのは嘘ではないが、早く答えてほしいと逸る気持ちがあるのも本当だ。少しでも早く彼女の迷いがなくなるように、これまで通り傍にいて話がしたかった。追い詰め過ぎないように、けれど逃げられないように。


 そんなセオドアの思いとは裏腹に、彼には急ぎの指令が入りあちこち駆け回る羽目になった。王都を出てからもう十日以上経つ。各地で増えている盗賊の被害を食い止めるための騎士の再配備を知らせ、さらには盗賊の情報を集めて持ち帰らなければならない。さらに何日帰れないかもまだしれない。


(好きだと言って、それっきり挨拶もなく会いに来ない男をお前はどう思っているのだろうな。俺が待つと言ったけれど、アンナも俺の帰りを待っていてくれるだろうか。)

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