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やきもち

 ヴェスト村の村人が世話になった騎士に挨拶に来ているという情報はセオドアの耳にも入った。仲間と連れだって東屋の方へ向かうとアルフレドと同じ隊の騎士達、それからウィルと杏奈の姿が見えた。誰かが面白いことでも言ったのだろう。顔を見合わせて笑うウィルと杏奈の様子にチリっと胸が痛む。


(この状況で嫉妬など最低だろう。)


 頭で考えてもどうしようもないことだが、見境なく嫉妬する自分にセオドアは苛立った。ウィルと杏奈が会うのは何カ月ぶりのことだろう。あんな状況で出会って、別れたのだから再会を祝ってやらないでどうするのだと自分で自分を叱りつける。頭ではわかっていても不安が胸を苛んだ。

 そんな動揺を顔に出さないままセオドアが歩み寄ると、ウィルは律儀に村を救ってくれたことへの礼を言った。来る者全員にこれをやっているのでは大変だなと思いながらセオドアが見守っていると顔を上げたあとのウィルと思い切り正面から目があった。少し挑戦的にも見えるもの言いたげな瞳。ただ目を逸らすことも憚られて、勢い見つめ返す。そのまま数秒黙って見つめ合う彼らの様子に騎士達も気がついた。あの避難所に半年一緒に暮らした仲である。この二人が目で語り合うことと言えば、何の話かの察しはつく。野暮はすまいとさりげなくそれまでの会話を続けながらも彼らの様子に注意を払っていた。

 実際にはウィルの瞳に込められた思いをセオドアは杏奈に手を出すなと言いたいのかと勝手に解釈し、ウィルは限りなく無表情に自分を見つめ返すセオドアは自分を威圧していると思っていた。どちらも少しずつ本当の思いとは合っておらず意思の疎通は失敗していたわけだが、そこまでは二人はもちろん、歴戦の男達も分からなかった。


 ウィルが「他にもご挨拶をされたい方もいるでしょうから。」とアルフレドに言い出したのは、騎士達はいつまでもウィルの相手だけをしてはいられないと思って遠慮したからで、セオドアを早く遠ざけたいという意思はなかった。しかし最後に輪に加わったのがセオドアだったので騎士達にはそう見えてしまったかもしれない。そのことにウィルが気がついたのは「そうだね」と言いながら他の騎士や参列者の元へと散っていく騎士達が自分に「頑張れよ」と明らかに教師になる勉強を励ますのとは違う調子で次々と声をかけてきたせいだ。しまった、と思ってももう遅い。


(すげえ子供みたいな嫉妬だと思われた。)


 杏奈にまでそう思われてやしないかと彼女の様子をうかがって、おや、と思う。杏奈は彼が見たことのない表情をしていた。名残惜しそうな切ない表情。その視線の先には去っていくセオドアの姿がある。その彼が引きとめる視線に気がついたように振り返り、ふわっと笑顔を浮かべた。優しい笑顔に胸騒ぎを覚えながら、もう一度杏奈を振り返れば、今度は先ほどの切ない表情が嘘のように、嬉しそうに照れたように微笑んでいる。その笑顔もウィルは初めてみた。


(なんだよ、これ。)


 ウィルはもう一往復視線を二人の間で動かしたが、セオドアはもう背中しか見えず、杏奈は自分に向き直っていた。今度は記憶にある通りの明るい笑顔で声をかけてくる。

「ウィル。行こうか。ケイヴさんが待ってるわ。」

 ウィルはなんとか笑顔を浮かべて頷いた。考えるまいとしても最悪の想像ばかりが浮かんでしまい、表情は段々硬くなる。

 帰りの馬車ではウィルは静かになり、杏奈がぽつりぽつりと王都での出来事を話した。彼女が王都で過ごす時間の端々にセオドアが現れる。本当はアルフレドもミラードもアンドリューの話もしているのにウィルにはやけにセオドアの名前が耳についた。とうとう、どうしても我慢できなくなって不自然にならないようにと必死に声音を明るく保ちながら問いかけた。

「セオドアさんと仲良くしてもらっているんだね。」

 その言葉とウィルの様子に、杏奈は少し戸惑ったようにウィルを見た。

「え?」

「楽しそうで良かったと思ってさ。」

 そこまで言って自分の言葉が狭い馬車の中でひどく攻撃的に響いた気がしてウィルは口を閉じた。余計なことを言って彼女を傷つけたくない。嫌われたくない。つまらない奴だと思われたくない。けれども、杏奈がセオドアの話を楽しそうにするのは気にいらない。彼が杏奈の王都での生活に入り込んでいるのが気にいらない。どうして自分はまだ学生で、できることがこんなに少ないんだろう。怖れと苛立ちはウィルの心を真黒に塗りつぶす。何もかもぶちまけてしまいたい衝動をしまい込むために口を固く閉ざすと、馬車の中はひどく居心地の悪い場所になった。


 杏奈はセオドアの話ばかりしたつもりはなかった。だがウィルの機嫌を損ねたのは間違いない。どうしたらいいのかと彼の沈黙を前に途方に暮れてしまう。ひた隠しにしたつもりの恋心が彼にも伝わってしまったのだとしたら、それはやはり自分が悪い。一度は告げられた思いに返事をしたとはいえ、杏奈はウィルの気持ちがまだ自分にあると知っているのだから、思わせぶりな態度があったのだとしたら正さなければいけないだろう。杏奈は大きく息を吸ってぐっと顔を上げた。


「あのね、ウィル。」


 改まって背筋を伸ばした杏奈の様子にウィルはすごく嫌な予感がすると思った。先ほど墓地で杏奈とセオドアが別れの挨拶をするのを見てからずっと胸にひっかかっていた「もしかしたら」という怖れがぐんと強くなる。聞きたくなかった。けれど両手を握りしめて我慢する。聞かないといけない話のはずだ。ウィルはぐっと顔を上げて顎を引き、まっすぐに杏奈を見つめた。そうすると彼女の瞳にある決意が見えた。


「手紙、ありがとう。もっと早く返事をするべきだったのに先に延ばしていてごめんなさい。」


 この流れで、まだ次に杏奈がやっぱり自分のことが好きだと言ってくれる可能性に期待してしまう。ウィルの心臓が高鳴った。


「私、お別れのときよりも今の方が自分のことを良く分かっていると思う。それでね、ウィルのことは大事だけど、でも、やっぱり恋じゃない。」


 ウィルの一瞬の儚い期待は、あっという間に潰えてしまった。ウィルは狭い馬車の中で天井を仰いで後頭部を壁に軽く打ち付けた。そのまましばらく布張りの天井に視線を彷徨わせる。

 分かっていた。この展開では振られるしかないと分かっていたのに一瞬でも期待した自分は随分と夢見がちだ。ウィルは自分を突き離してせせら笑いながら、同時に深く後悔する。つまらない嫉妬を口にしたりしなければ、この言葉を今日聞くことはなかったはずだ。もっと先、もっと胸を張って杏奈に会える時にもう一度考えてほしかったのに。そこまで考えて、それすら駄目だと思い当った。


(そうやって先に延ばしている間中、俺だけお気楽に待っててアンナを悩ませておくつもりだったなんて俺は本当に馬鹿だな。)


 声にならない自嘲の笑いをこぼしたウィルは、姿勢を正してもう一度自分を見つめている杏奈に向き直った。


「ありがとう。」

 思いがけない言葉に杏奈は虚をつかれて目を瞬かせる。

「話してくれて。俺はさあ。」

 そう言ってウィルは髪をぐしゃぐしゃとかき乱して、さらにきちんと締められていたタイを緩めた。そうやって緊張を紛らわしてから意を決して話を続ける。

「今日はアンナの答え、聞かないでおこうと思ってたんだ。聞いたら今みたいに振られちゃうのが何となく分かってたからだと思う。先延ばしにしようとしてたんだよ。でも、そうやって俺の気持ちだけアンナに押し付けて、この先何年もアンナに背負わせておくなんて卑怯だったよね。」

「そんなことない。」

 ほとんど反射のように杏奈は否定したが、ウィルは首を振った。

「そんなことあるよ。アンナは最初にちゃんと正直に考えて答えてくれたのに、俺が無理にもう一度考えてくれって言ったんだ。そうやってお前に全部考えさせてちゃんとアンナの気持ちを受け止めてなかった。」

 ウィルは泣きだしそうな杏奈の顔をみて頭を下げる。

「だから、俺の方がごめん。」

 杏奈は何度も首を横に振ったが言葉が出て来なかった。


(ウィルは悪くない。何も悪くないのに。)


「きっといつか本当に兄弟みたいになれるから、もうちょっとだけ待って。」

 ウィルは髪をかきあげる素振りで杏奈から目を逸らして言う。今の杏奈にはすぐに諦められない思いに心当たりがある。いくらでも待つと言えばウィルは苦笑いを浮かべた。

「アンナは優しすぎるよ。そういうの期待しちゃうから止めてよ。」

「ごめん。」

 思わず謝ると、ウィルは静かに笑った。

 そのまま馬の足音と馬車が小石を跳ねさせる音を聞いていたが、ウィルは外の景色から自分が降ろしてもらう場所が近づいてきていることに気がついた。彼はこのまま乗合馬車にのって寄宿舎へ帰るのだ。次に会う約束を無しにしたのだから、今度こそもう会えないかもしれない。そっと杏奈に視線を向けた。急に美しくなった杏奈。少し浮かない硬い顔のまま別れるのは嫌だった。


「アンナ、好きな人できたでしょ。」

 先ほどウィルへの思いは恋ではないと断言したその裏に彼女が本当の恋を知ったのだという事実が隠されている。そう思って声をかければ、杏奈は相変わらず正直で、その動揺した様子からすぐに答えが分かってしまう。

「見てたら分かるよ。」

 そう言われて、赤くなった杏奈はしばらく悩んでから小さく頷いた。

「頑張れよ。」

 杏奈はしばらくウィルの顔をまじまじと見つめてから笑顔を浮かべた。

「ありがとう。」

 やっと見たかった笑顔を浮かべてくれた杏奈をみつめてウィルは満足げに頷いた。



 杏奈と別れて一人帰路についたウィルは暮れ始めた空を見ながら考える。まだ諦める気になれないし、忘れられるような気もしない。でも、これからは気持ちを杏奈に預けておくのではなく自分で抱えて行こうと思う。胸の中で思い続けるだけならば彼女を悩ませはしないだろうから。

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