あなただからできること
話が落ち着くのを待っていたように、ザカリーと呼ばれていた隻腕の騎士が杏奈に声をかけた。
「先ほどは失礼。てっきり若いご夫婦かと思ってしまいました。王都騎士団第三師団九番隊のザカリ―・テイラーです。」
「アンナです。」
手を差し出されて、そのまま握手をすると大きくて骨ばった手にギュッと握り返された。鋭い顔つきは睨まれているのかと思うほどだが、いきなり睨まれる原因が思い当らない。もしかするとこれが元々の顔なのかもしれない。
「そうすると貴方が、アウライールの聖女殿なんですね。」
ザカリーの言葉に杏奈はこぼれんばかりに目を見開いた。今、この人は聖女と言っただろうか。ミラードが説明してくれたことが思い出されて心臓がいやに跳ねた。彼は一体何を知っているというのだろう。このときまで避難所にいた頃の自分のあだ名を聞いたことが無かった杏奈は、まさかそれが騎士達の単なる尊敬と親愛の表れとして使われている表現だとは思いもよらなかった。
杏奈が硬直しているおかげで握手した手はそのまま宙ぶらりんになった。それを目ざとく見つけた若手の騎士達が抜け駆けだと口を挟む。
「あ、ザカリーさん。ずるい。うちの隊の奴らは挨拶もまださせてもらえてないのに。」
「俺なんて半年も同じ避難所にいたのに握手したことないのに。」
ザカリーはすっと杏奈の手を解くと首だけを若い騎士に向けて黙って彼らを一瞥した。それだけで騎士達は足を地面に縫い取られた様に固まって、口を閉ざして引き下がる。杏奈とウィルからは彼の顔は見えなかったが、今度こそは本当に睨んだのだろうというのは容易に想像ができた。
「失礼。」
そういって改めて杏奈に向き直るころには顔つきは真顔に戻っている。それでも釣目気味の細い目と同じようにつり上がった凛々しい眉、骨の太い鼻筋に薄い唇は十分威圧感があった。その口の端が下がっているから余計に不機嫌そうに見えるのかもしれない。
「あなたにお願いしたいと思っていたことがあるのです。話を聞いていただけますか。」
彼はそう言うと、アルフレドに一瞬だけ視線をやってから続けた。
「私に、ですか?」
杏奈も困惑したようにアルフレドをみると、気がついたアルフレドがやってきてくれた。
「おい、ザカリー。お前は顔が怖いんだからもう少し愛想のいい笑顔でも浮かべられないのか。」
「生まれつきのものに文句を言われても困ります。隊長、少しお嬢さんとお話させていただけますか。」
ザカリーは妻子があるし、真面目な男で間違っても慰霊式典という場で女性を口説くことはないことはアルフレドにもよくわかっている。彼が杏奈に声をかける理由にも心当たりがあった。
「話すくらい構わんが、無理強いはするなよ。」
普段なら絶対に止めそうなアルフレドが許すのだから、この騎士の話は聞いた方がいいのだろう。杏奈はまだ聖女という言葉の衝撃から立ち直れないままにザカリーに従った。
「では、こちらに。」
先ほどまで座っていた東屋のベンチにもう一度、腰かける。
「私は昨年のモンスターの被害に遭った土地の修復や村の再建の計画をしていました。」
ザカリ―はまず自分の仕事を説明し始めた。被害状況のまとめ、壊されてしまった井戸や街道の修復、離れ離れになってしまった家族の捜索。それらの仕事は冬を通して休まず行われ随分と進んだのだという。今日の式典が一つの区切りであったようだ。
「これからは長期的な対策が必要です。壊れたものを直すのではなくて、これから似たようなことが起きた時に、いかに被害を食い止めるか。そういう視点に立った防衛策について考えられる時期が来ました。」
ザカリ―の説明は簡潔にまとまっていて、聞いている杏奈にも良く分かるのだが、それら騎士達の仕事の中に自分に頼みたいことがあるようには思えない。
「残念ながらモンスターの異常繁殖はこれからも起きるでしょうし、それでなくても大雨や日照りや戦乱が村を襲うこともあり得ます。そのたびに家を追われるものが出て、民人が逃げ惑う。それを防ぐことは今の私達にはできません。しかし逃げ出した後のことならば、手を打つことができる。」
ザカリ―はそこで真っ直ぐ杏奈の眼を捕えた。
「昨年のヴェスト村の避難所の管理は群を抜いて優れていました。何が良かったのか。次に活かせるものは活かしたい。あなたが、あの避難所で何を心がけ、何をしたのか教えてほしいのです。」
ザカリ―の言葉は杏奈の予想の外側にあるものだった。
「あの村の避難所は、隊長さんが一番良くお分かりだと思いますけど。」
知りたいならばアルフレドに聞けばいいのではないか、一番に思いついたことをそのまま答えると彼は首を横に振った。
「もちろん、ヴァルター隊長にもご協力いただきます。でも聖女とあだ名されるほどのあなたの働きは無視できません。正直なところ、これまでにあの村にいた騎士にも話を聞きましたが、皆あなたのおかげだと口を揃えるばかりで、具体的に次に活かせる話をなかなか引き出せないのですよ。何度かお話を聞かせてもらえれば十分です。今度、時間をとっていただけませんか。」
杏奈は聖女が「あだ名」であったという言葉を聞いて思わず聞き返した。
「あの、先ほども仰ってましたけど「聖女」って私のあだ名なんですか?」
恐る恐る口にしてみると、ザカリーは少しだけ驚いたように細い目を見開いた。
「御存知なかったんですか。騎士の間ではそれは有名だったのですが。ヴェスト村には聖女のような娘がいて病も寄りつかないと。」
「初耳、です。私、それにそんな凄いものではないですし。」
違うのだと強調するように杏奈が言うのを、ザカリーは彼女が仰々しいあだ名を嫌がっているのだととらえた。その気持ちは分からないではないし、ここで、「はい、私が聖女です。」と胸を張られるよりずっと好感が持てる。
「そうでしたか。失礼しました。しかし、何にせよ騎士達があなたの貢献をそれだけ高く買っているということに変わりはありません。その具体的な内容を教えていただきたいのです。」
杏奈は自分が騎士の役に立つなんて想像もしたことは無かったが、彼が自分をからかっているとは到底思えない。しばし考えたが、断る理由は特になかった。自分が知っていることを話せばいいのならば、できることだし、それが今後誰かの役に立てられるのであれば惜しむ程の労ではない。
「私が本当にお役に立てるか分からないですけれど、それでも良いのでしたらご協力します。」
「感謝します。」
騎士に礼をとってもらうなど滅多にあることではない。手を胸にあてて頭を下げるザカリ―に杏奈は恐縮して「頭を上げてください」と声をかけた。彼はすぐに顔を上げるとまた首を横に振った。
「私個人ではない。騎士団が、ひいては国が、あなたの力を必要としているのです。礼をとるのは当たり前です。」
あまりに大袈裟な話に杏奈が絶句している間に「細かいことはヴァルター隊長に話をしておきます」と言ってザカリ―は去っていってしまった。
入れ違いに、様子を気にしていたアルフレドが寄ってくる。
「隊長さん、ザカリーさんが。」
「ああ、話を聞かせてほしいというのだろう。」
「はい。」
「顔は怖いが悪い奴じゃない。助けてやってくれるかい?私も君の言葉はきっとこれからの第三師団の役に立つと思う。」
アルフレドからの頼みごとならば、なんだって応えたい。杏奈は「はい」と頷いた。
「ありがとう。困ったら言ってくれ。あれは誰に似たのか一本気過ぎるのが玉に瑕なんだ。悪気はないんだが何でも素直に口に出し過ぎるところがあってね。」
笑いながらアルフレドは髭を一撫でした。玉に瑕といいながら、その表情はとても優しくて彼がザカリ―を可愛いがっているのが良く分かる。
「あいつは去年の今ごろ左腕を失くして前線を離れた。剣の腕が良かっただけにそれが誇りでもあったんだろうな。復職してからは片手でも変わらず役に立つところを証明しようと必死にやってる。ちょっと必死すぎるかな。アンナには話をしている相手を安心させる何かがあるから、それでザカリーの肩に入っている力も少し抜いてやってくれると、我々としては一石二鳥で大助かりだ。」
アルフレドの言葉に、そんなことできそうにもないと杏奈は不安になる。不安を見抜いたようにアルフレドは杏奈の肩をぽんと叩いた。
「何も気負うことは無い。いつも通りで十分だよ。」
「はい。」
杏奈は、それでも少し緊張して頷いた。
ザカリーさんは、以前に一回出てきています。あの人です。