予想外の助っ人
翌日からもアーニャは少しずつ掃除を続けた。最初のように一日中そればかりということは止めたものの少しずつ、たまにウィルの手や、他の子供たちの手も借りながら。
渡り廊下の床を掃き清めて、床石を磨く。教会の門の内側に泥払いになるような目の粗い敷布を敷くと昼間に村に下りて食料を調達したり、襲撃の後の瓦礫を片付けている騎士達は教会に入ってくる前に泥を払ってくれるようになった。それだけで廊下や、そこから持ち込まれる泥や砂が減り、礼拝堂や食堂の床の状態も段々と良くなっていく。その様子に満足感を覚えてアーニャは益々張り切った。
子供たちも、村の大人たちも、騎士達も彼女が毎日どこかしら磨いていることに慣れ、怪訝な表情をすることも少なくなった。大人たちは相変わらず手伝ってはくれなかったけれど、アーニャは気にすることなく時には鼻歌交じり窓を磨き、落ち葉を集めた。
「お前はよく飽きないな。」
ウィルは食事時に隣に座るアーニャに声をかけた。隣で見ていると最初は白く美しかったアーニャの手が段々赤く荒れていっているのが目につく。だが彼女はまるで気にした風は無い。
「掃除とか、好き、みたいなんだよね。」
アーニャがにこにこと返すと、ウィルは「そんなに楽しいかね。」と言いながらまた自分の皿に目線を戻した。分からないと言いながらも、子供の面倒を引き受けてくれたり、力仕事を手伝ってくれたりしている。照れ屋だが優しい子なのだ。
毎日井戸で水を汲めば、段々腕力も鍛えられるかと思ったが、それはすぐには身につかないようだった。アーニャの力では相変わらず水を汲んで運ぶために時間がかかる。声をかければウィルは力仕事を厭わず手伝ってくれるが、こればかり頼むのも気が引ける。彼に子供の世話を任せて、ぎこちなく井戸を漕いでいると、後ろから声をかけられた。
「手伝おうか。」
耳慣れない男性の声に振り返ると、見覚えのある騎士だった。時折、寝ずの番をしていたり荷運びをしている姿をみかける。そういえば、司祭に掃除道具を貸してくれとお願いに行った日に、その場にいたのも彼だったかもしれない。
「え、いや、あの、大丈夫ですから。」
手伝ってもらっていいものかアーニャは戸惑いつつも断ったのだが、彼は気にした様子もなく、すいと手を伸ばして井戸を漕ぎ始めた。アーニャより遥かに早くバケツを満たしていく。すぐに満タンになったバケツをひょいと持ちあげて「どこへ持っていけばいいんだ」と問いかけてきた。
「えーと。いや。」
まだ混乱しているアーニャが目を白黒させているのに気がついたのか、彼は少し口の端を上げて控え目に笑顔を浮かべた。
「今日は非番だ。俺の好きで手伝うんだから気を使うな。女手にこれは重いだろう。」
アーニャは咳払いして心を落ち着けると、「じゃあ、お言葉に甘えて」と食堂に水を運んでもらうことにした。二人で食堂へ向かって歩きながら、アーニャは騎士の横顔を見上げた。短く刈られた茶色の髪に同じ色の瞳。穏やかな雰囲気の青年だ。
「ありがとうございます。せっかくお休みなのに。」
「気にするなって。」
彼女の方を振り返った彼はそういってもう一度薄く笑顔を浮かべた。
「セオドアだ。」
咄嗟に何を言われたのか、アーニャはまじまじとその顔を見返した。そして彼が居心地の悪そうな表情を浮かべた辺りで名乗られたのかと気がついた。
「セオドア、さん。アーニャです。あの、たぶん、ですけど。」
おかしな名乗り返しにセオドアが眉を少し寄せるようにした。
「たぶん?」
「はい、今はアーニャと呼ばれているんですけど。私、記憶が無くて。本当の名前が思い出せないんです。」
そういうと、セオドアは切れ長の目を数回瞬いた。
「そうか。」
しかし、口から零れた言葉はそれだけで、彼は考え込むように黙り込んだ。
二人が連れだって食堂に向かっていくと、中庭で子供たちを見守っていたウィルが驚いたように駆けてきた。
「馬鹿、なんで騎士様に水運ばせてんだ、お前は。すみません、俺がやりますから。」
慌ててバケツに手を伸ばそうとするウィルをセオドアは片手で制した。
「いや、非番だからといって俺から言い出したんだ。気にしないでくれ。君、今日は子供たちの面倒をみてやる係りなんだろう?」
「え、あ、いや。そうですけど、でも。」
ウィルは、先ほどのアーニャと同じように戸惑ったようにセオドアをみて、さらにアーニャに目をやった。アーニャは小首をかしげる。手伝ってくれるって言っているのだから、有難く受け入れてしまえばいいのではないかと思ったのだが、このウィルの慌てぶりは、やはり不味かったのだろうか。
「うん、じゃあ、子供たちを頼むな。」
セオドアはそう言うと、さっさと進んで行く。アーニャは「じゃあ、ウィル、皆をお願いね。」というと慌ててセオドアを追いかけた。ウィルは呆気にとられて二人を見送ったが、子供たちが喧嘩を始めた声に我に返り中庭に駆け戻った。