勘違い
ウィルがアルフレド達に挨拶がしたいというので、二人は人の輪を少し離れてアルフレドの姿を探した。騎士として特別大柄ではないアルフレドを探すのは難しい。そもそもまだこの場に留まっているかも分からない。二人が背伸びをするようにしていると、一人の騎士がその様子に気がついた。話しあっていた人達の元を離れて声をかけてくれる。
「誰かお探しですか?」
鋭い顔つきの騎士は、意外なほど穏やかな口調で話しかけてくれた。
「はい。約束はしていないのですがお世話になった方にご挨拶できればと思って探していました。」
ウィルがそう返すと、騎士は頷いて「名前は分かりますか?」と尋ねてきた。
「アルフレド・ヴァルター隊長です。」
「たぶんまだおられるでしょう。ちょっと待っていてください。」
騎士が踵を返すとまるで何も入っていないかのように左袖がふわりと大きくそよいだ。二人が何か言う前に彼は仲間に声をかける。どうやらアルフレドがまだ会場に残っているか確認してくれているようだ。いまだ厳粛な雰囲気の残る場で大声で話したりはしないが、彼らは身ぶり手ぶりで何か伝え合っている。
「ヴァルター隊長はまだこちらに残っているそうです。もう少し、そうですね、あちらの東屋で待っていてください。」
「ありがとうございます。」
二人が揃って礼を述べて歩き出そうとすると「ああ、そうだ」と思い出したように呼びとめる。
「念のため名前を。」
「ヴェスト村のウィルと言っていただければ分かると思います。」
「ウィル。分かりました。」
騎士が去るのを見送ってから、杏奈はウィルを見上げた。
「あの村、ヴェスト村っていうのね。」
避難所とはいえ自分も住んでいたのに、いつも「村」とだけ呼んでいた場所に名前があるのだと杏奈は当たり前のことに今気がついた。ウィルの方は知らないのも当然というように「そうそう」と軽く返してきた。
「あの辺りの小さな村をまとめてそう呼ぶんだよ。ヴェスト村の名前はこのくらい遠くに来なけりゃ使う機会はないけどね。」
近隣の村では村長の名前をつけて誰の村と呼ぶのが常だ。今ではウィルたちの村はオルソンの村と呼ばれているはずだ。さすがに王都の騎士が一つずつの村の村長の名前まで覚えているとは思えないので地図に書いてある名前を告げたが、それにしたって実際に行ったことがなければ誰も知らないような小さな村だ。それを恥ずかしく思うことはないけれど、少しだけ王都の住人達に気後れする気持ちもある。自分が田舎者だと言うことを諦め半分認めてはいても、笑われたくはないし、特に杏奈の前で恥をかきたくはない。むしろ少しでも見栄を張りたいのが男心だ。きっと初耳だっただろう小さな村の名前を騎士が聞き返さないでくれてほっとした。
二人はそのまま東屋でベンチに腰掛けた。村の子供達がどうしているか、ウィルの学校での勉強はどんなことをするのか、杏奈の新しい友達はどんな人なのか。二人は抑えた声で話し合う。お互いに新しい友人ができて、学んでいることも多くあるというのは安心の材料であり、よい励みにもなった。二人は同じあの教会の門から世界へ飛び出して、切磋琢磨しながら歩んでいる同志でもあるのだと改めて心強く思う。話の途中で杏奈は思い出した過去の話をウィルに伝えていいものか悩んだが、彼が意識してか無意識にか記憶の話に触れて来ないことに甘えて、何も告げないでいた。一つ話せば、何かを伏せておくことは難しい。もし杏奈が間違えば、またどこかへ飛ばされてしまうかもしれないということを口にすれば、きっとウィルは心配してくれるだろう。それは避けたかった。こうして今日また一つの区切りをつけて、自分達は前に進んで行く。新しい生活に馴染んでも、まだよそ見をできる程の余裕はない。ウィルにはウィル自身のことに集中してほしかった。
先ほどの騎士はきちんとアルフレドを探し当ててくれたようで、杏奈達が話しこんでいると彼はアルフレドが数人の騎士を連れて東屋にやってきた。二人は立ちあがって騎士達に歩み寄る。
「やあ、久しぶりだね。ウィル。なんだ、やっぱりアンナじゃないか。な、だからザカリ―の間違いだと言っただろう?」
後半の言葉の意味が分からずに杏奈とウィルが顔を見合わせている間にアルフレドに「な?」と言われた騎士達の口から「ああ」と失望とも安堵ともつかないため息がこぼれた。
「失礼、失礼。こいつがヴェスト村のウィルという若者とその妻が私を探していたと言ったものでね。ウィルが奥さんを紹介してくれるものかとこいつらが急に張り切ってしまってね。私はちゃんと今日はアンナと一緒のはずだと言ったんだが聞きやしない。」
アルフレドが片目をバチっとつぶって説明すると、やっと騎士達のため息の理由が分かって杏奈とウィルは苦笑いしながら顔を見合わせた。確かに少し二人を大人びて見せる黒の正装のおかげで若夫婦に見えるのかもしれない。
「なんだ、ザカリーさんの勘違いか。ぬか喜びだったなあ。」
騎士達は隻腕の騎士に不満をぶつけながらも、嬉しそうにウィルを見る。
「確かに、すっかり大人びて嫁どころか子供の一人もいても良さそうだけどな。」
「元気そうじゃないか、ウィル。しっかりやってるか?」
「まさか村から来たわけじゃあるまい?今はどこにいるんだ。」
村の教会でウィルを見守ってくれていた騎士達は口々にウィルに声をかけ、痛いくらい肩や背中を叩いて再会を喜んでくれた。矢継ぎ早にかけられる質問に一つずつ答えながらウィルは子供達は元気にやっているし、村の再建も領主や騎士の手を借りながら進んでいるようだと報告した。
「俺はまだ一度も村に帰ってないから、自分の目で見たわけじゃないですけどオルソンさんがたまに手紙をくれるんです。やっとあっちも雪が溶けて、そろそろヤクを買おうと思うって。」
騎士達は白い歯を覗かせて目を細める。彼らが、彼らの同僚が守ろうとしたものがこうやって傷から立ち直ろうとしている様子を今日のこの場で聞けることは彼らにとってこれ以上なく報われる出来事だ。丸一日馬車にゆられて駆けつけてくれたというウィルに誰もが良く来てくれたと礼を言った。
「やめてください。お礼を言われるようなことじゃないですよ。」
ウィルは恐縮するが、騎士達は笑顔のまま「でも、嬉しいんだ。いいじゃないか。」と取り合わない。
「困ったことがあれば連絡しろと言ったのに、ちっとも手紙が来ないから困ってないのか手紙も書けないくらい困っているのか分からなくてな。」
騎士の一人はそう言って腕組みをする。
「別に困ってなくても連絡をよこせ、と言うべきだったと後悔していたところだ。」
その言葉に騎士達はそれは名案だな、などと相槌を打つ。段々と人数が集まって来て十人近くが、それがいいと頷き合うのを見てアルフレドが口を挟んだ。
「お前達がいかにいつも私の話を聞いていないのかが良く分かった。ウィルから連絡があったことはきちんと伝えていたつもりだぞ?だいたい一人で毎月十何人にも手紙を書いていたらウィルが勉強する暇がないだろうが。お前達は馬鹿なのか。」
アルフレドが部下達を呆れたように眺めまわすと、彼らは「そうでしたっけ?」としれっと聞き返した。
「隊長は最近、お嬢さんの自慢ばっかりだからどうも話半分に聞く癖がついてしまって。」
「確かに相変わらず美しくて自慢したくなるのも分かりますが。」
今度は騎士達の注目は杏奈にうつる。一人がさりげなく手を取ろうとするとアルフレドが素早く間に割り込んだ。その彼の背中の後ろでウィルが「お嬢さん?」と杏奈に問いかけた。女中見習いをさせてもらうと聞いているが、お嬢さんとは話が違うのではないか。杏奈は、そういえばその説明がまだだったと慌てて「実は」と補足する。
(貴族の養い子って。普通の養女と何が違うんだ?)
爵位は厳密には世襲ではないが、実際のところはほとんどの場合で親子や兄弟間で引き継がれているし、財産も基本的には親子での相続だ。養い子と正式な養子や養女の違いは貴族の世界に縁のないウィルには分からない。これは、杏奈がゆくゆくは貴族様になってしまうということなのかもしれないとウィルは予想を越えた展開に驚いてアルフレドの背中を見つめた。アルフレドはきっと自分の気持ちに気がついていると思っていた。それでなお、杏奈を自分の養女にするというのならウィルとの仲は認めないということなのだろうか。杏奈に関して彼と約束したのは彼女が一人で生きていけるようになる手助けをしてほしいということだけ。だから約束を破られたわけではない。それでも、ウィルは拠り所にしていた人に裏切られたような気がして色を失った。
「ウィル?」
彼の様子を心配して、杏奈が背中に手を添えて顔を覗きこんでくる。
「うん、いや。ちょっとびっくりして。アンナが貴族なんて。」
「ああ、ウィル。違うのよ。養女じゃないから家を継いだりはしないの。隊長さんが私の保護者になってくれているっていうだけで、私が家や財産を継ぐんじゃないし、貴族になったりもしないわ。」
彼らの小声の会話が聞こえたアルフレドが振り返った。
「その通り。私はアンナの保護者だが、逆に言えばそれだけだ。アンナが迷子になったらうちに送り返される。けれどアンナが自分の意思で出て行く場合はいつでも、どこでも好きに出て行くことができるんだよ。」
付け加えると、これは昔慈善家の貴族が良かれと思ってたくさん養子をもらったらあとで跡目争いで大変なことになった教訓を汲んでつくられた法で、とアルフレドはさらに説明を加えたが、ウィルはほっとしてそれを聞いてはいなかった。
「まあ、何にしても大事なのはだね。」
アルフレドは明るい調子でウィルの肩を叩いた。
「私がアンナの保護者を引き受けた以上、私を納得させられない男などにアンナは渡さないということだよ。」
そう言って立ち上がったアルフレドはくるりと振り返って部下達に「分かっているよな?」と呼びかけた。
ウィルは、なんとも言えない表情で頷く騎士達をみて段々と驚きが抜けておかしくなってきてしまった。
「すごい過保護なお父さんみたいだね。」
「うん、とても大事にしてもらっていて。心配し過ぎなくらいよ。」
「うん。すごい伝わった。」
二人は自分達に背中を向けたまま仁王立ちで部下に睨みを利かせているアルフレドを見て顔を見合わせて笑う。
(ああ、これは安心かな。)
ウィルは虫よけに余念のないアルフレドの背中に向かって、心の中で「ありがとうございます」と呟いた。