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遺されるという使命

 青空の下にピンと背筋を伸ばした濃紺の制服がずらりと並んでいる。両肩には金糸の刺繍。胸にはそれぞれの徽章。腰には礼装用の細身の剣。そして左腕には黒い腕章。彼らは王都にあってこの時間に警備についていない騎士の全てだ。彼らが見つめる先には白い大きな石碑が立てられており、その下には既に黄色や白の花輪が手向けられている。王族の退出後、入場を許された民達は静かなざわめきの中で墓地の隙間を埋め尽くしていった。


 やがて、刻限となると前方で大きな足音がした。ザッという音が一度だけ。杏奈のところからはよく見えなかったが号令に応じて騎士達が姿勢を正した音だった。騎士達が従うのは騎士団長だ。髪にはだいぶ白いものも混じっているが体格は若い者に劣るところは無く、相手を威圧する程の覇気は未だもってどの騎士にもひけをとらない。彼は凛と引き締まった表情で騎士達の前に立ち、石碑に改めて敬礼を行う。そのまま石碑に向かって帰らなかった部下の全ての勇気を称え、忠誠を認める、そしてその働きに深く感謝すると弔辞を述べた。式典はその後、司祭による鎮魂の祈りが行われ、各師団ごとに改めて敬礼が捧げられた。続いて今回の遠征の指揮者として第三師団を率いたアンドリューが石碑の前に立つ。

「今は遠き地に眠る我が朋友に、私は何よりも感謝の言葉を捧げたい。私達と共に歩み、戦い、騎士の誓いを最後まで違えることなく命を賭して民の為に働いてくれたことに心から感謝している。君達を率いることができたことを誇りに思う。」

 アンドリューの声は震えることも詰まることもない。混乱する戦いの最中でも遠くまで届く声は静まり返った式典の会場の隅々まで届いた。

「君達の勇気が多くの民を救い、西方の村々は全滅を免れた。そして更に多くの民の暮らす王都を危険に晒すことなく新たな春を迎えることができた。遺される家族にとって、友人にとって、我々にとっても君達の犠牲は耐えがたいものだ。しかし、我々はその悲しみに屈することなく、君達が守ってくれたこの国を守り続けて行くことを今日ここに改めて誓う。」

 彼は一度礼をしてから今度は会場を振り返り、参列している家族や友人へ向けても深く頭を下げた。言葉はない。彼の胸の内にあった言葉は、彼の立場からこの場で口にしてはいけないものだからだ。師団長としてこの式典に参加している限り、彼個人としての思いは口にされるべきではない。

 アンドリューの言葉が正式な式の次第の最後であったらしく、その後は騎士達も隊列を崩して各々石碑に花を手向けたり参列している知り合いに声をかけたりと動き回り始めた。杏奈とウィルも用意してきた花を手にして石碑に向かう列に加わった。


「思ったより静かなものなんだな。村の葬式は一人亡くなっただけでも大騒ぎだったのにやっぱり騎士の家族っていうのは覚悟が決まっているものなのかもな。」

 騎士団長の言葉も、アンドリューの言葉も重みのある思いの籠ったものだったのは分かるが、参列している家族まで含めてとても静かで泣き声ですら殆ど聞こえて来なかった。もう少し悲しみの感情が露わになることを想像していたウィルはあまりの静かさに拍子抜けしたような気持ちになってしまった。彼の知っている葬儀は村の老人が亡くなった時のものなど身近な人のものばかりだ。その場では多くが泣き崩れいっそ騒がしいほどになる。いくら亡くなってからだいぶ時が経っているとはいえ、数十名の犠牲者を見送る家族の誰もが静かに涙を堪えたり、そっと目尻を抑える程度というのは驚きの光景だった。やはり名誉を重んじる騎士の家族は違うのかと、その誇り高さに感心する一方で少し冷たい印象を受けもする。前後に並ぶ誰が、亡くなった騎士の母かもしれず、父かもしれない。ウィルはそう思ってそれ以上はっきりとは言わなかったが、幾分戸惑うような表情から杏奈にも彼の気持ちは伝わった。

「そうかもしれないね。でも、泣いていないから悲しくないわけじゃないと思う。嘆く声の大きさからは悲しみの深さは測れないわ。」

 小さな声で杏奈は続ける。悲しみは笑顔の下にも隠されているし、語られない嘆きの言葉は耳と一緒に心も済まさなければ聞こえない。それを彼女は王都で出会う人達からもう学んだ。この静かな空気は厳粛な追悼の思いだけでなく、去っていく魂に向けた精いっぱいの虚勢で作られているのだ。

「亡くなった人達が、私達に幸せに生活してほしいと思って命を懸けてくれたなら、私は今日は笑顔でいたいよ。もう大丈夫だよって、安心してって言いたいと思う。」

 ウィルは杏奈の言葉を聞いて丸く目を見開いて彼女を見下ろした。彼女の言葉がとても大人びたものに感じられる。村の子供達のように、自分と同じように思っていたけれど、彼女の世界を見る目はまるで騎士達の視点に立っているようだ。いつの間にか、彼女も騎士の家族になっている。


(変わった、わけじゃないのか。前からアンナはいざというとき強かったもんな。)


 いつもは人のことばかり考えて優しすぎるくらい優しい。ときどきすっぽり抜けていて年相応かそれよりもっと頼りない。でも自分の命が関わるときでも、自分の一生が関わるようなときでも、誰かのことを思いやれる優しさは、強さでもあるはずだ。彼女はいつも優しくいられるだけ強い。ウィルはそのことを思い起こした。


(それでも、なんだか急に大人になられちゃったみたいで焦るな。)


 杏奈が少し遠くに行ってしまったように感じてウィルは苦い思いを噛みしめる。別れる時に恐れたように遠く離れて、違う人に囲まれて過ごす時間は自分達を引き離す。彼女の成長も自分の成長も喜ぶべきことだけれど、焦る気持ちは止められない。ウィルは今はそんなことを考える場ではないと無理やりに気持ちを切り替えて、胸を張って前に向き直った。

「そうだな。守ってもらった皆は元気だよって言ってもらった方がきっと嬉しいよな。」

 前を向いたままそう囁き返すと、隣で杏奈が頷く気配がした。


 騎士達の語り合う低い声でざわめく中、列はゆっくりと進み、やがて杏奈達も石碑の前に立つことができた。大きな白い石碑の前面には年号と西方の地にて眠るという簡潔な文言が大きく掘られている。更に小さな文字で何か続けてあるが、その文章を読める距離まで近づくには供えられた花束が多すぎた。二人は持参した花束を地面にそっと下ろすと、跪いて頭を垂れた。

 杏奈には亡くなってしまった騎士の記憶は一つもない。顔を思い出すことはできないが彼らの犠牲の上に、彼女と小さな家族達の穏やかな時間があったのだと感謝する。ウィルにとっても村に駆けつけてくれた騎士達の群像しか思い出すことはできない。転んだ村人に手を貸すために槍を捨てた騎士がいなかっただろうか。逃げ遅れそうになる老夫婦のために登りかけた山道を引き返した騎士がいなかっただろうか。記憶の断片を拾い集めながら、そうしたうちの誰かが自分の両親を最後まで守ろうとしてくれたに違いないと信じる。

 まだ後ろには長い列がある。あまり長く石碑の前に留まることはできないので、二人は立ち上がるとそっと石碑の前を離れた。人の流れに乗って大きく回り込むようにすると背面にぎっしりと犠牲者の名前が掘られていることが分かる。左右に並んでいる似たような石碑にも同じように名前が刻まれ、大きな犠牲が払われるたびにこうして慰霊碑が建てられたのだということが分かった。この国のために捧げられた命の数に眩暈がするほど、遠くまで大小の石碑は続いている。その光景に杏奈とウィルは騎士という仕事は死と隣り合わせなのであるということを、思い知らされた。特に、身の回りを多くの騎士に囲まれている杏奈は思わず身震いした。アルフレドも、セオドアも、アンドリューも、チェットも、家に来てくれた騎士達も。皆、いつここに名を刻まれても不思議ではない仕事をしているのだ。親は子供よりも先に逝くでしょうといったアデリーンの言葉を当たり前のように聞いたのはつい先日のことだが、それはちっとも当たり前ではないのだ。そう思って改めてみれば、きっと息子や娘、あるいは孫を見送りにきたと思える老人の姿をいくらでも見つけることができた。親よりも長く生きる。自分を見送らせないということが「仕事」だというのは、そういうことかと思った。「仕事」というよりも「使命」と思った方がいいのかもしれない。そのくらい強い意志を持って成し遂げようとするべき大切な、そして困難なことなのだ。喪服が届いたときに改めて代金について少しでも負担したいと申し出た杏奈に「これを着て私達を見送ってくれたら、それでいいのよ。」と言ったアデリーンとアルフレドのことを思い出す。杏奈は騎士ではない。けれども二人が喪服を用意してくれたときに込められた思いはやはり自分達より長く、少しでも長く健やかに、という願いだったのだと思う。杏奈は喪服を贈るのは親の仕事と言ったアルフレドとアデリーンの思いの一端をようやく理解できたような気がした。

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