代理戦争
「師団長に護衛についてもらえばそれは向かうところ敵なしでしょうけど、その分王族でも連れているのかと勘ぐられそうですね。」
チェットがそう返すと、ミラードも頷いた。
「確かに、何事かと思われてしまうかもしれませんね。難儀なものです。彼はおいそれと恋人と旅に出たり、あるいは王都のなかで会うことも自由にはできないでしょうね。人目を引きすぎるのも困りものです。」
ミラードの口から聞くと実に実感がこもっている。彼もまた世間から注目される対象であることは間違いない。
「そうですよね。アンドリュー師団長なんて王都中の令嬢の憧れですしね。下手に女の子に声なんかかけたら舞い上がってついて来られちゃうか、その子が他の令嬢方から苛められるか。とにかく碌なことにならないでしょうね。」
チェットは深刻そうに相槌を打ちながら、アンドリューと付き合っても良いことばかりとは限らないと含ませる。
(おやおや、噂どおり手強いね。)
ミラードはチェットの人好きのする笑顔を見ながら、好敵手を迎えて気持ちが浮き立つのを感じた。なかなかこうしてやりあえる友人には出会えないものだ。さて、と次の手を考える。
「もう長いこと自重して女性との関わりはずいぶん避けているんですよ。とはいえ気苦労も多い仕事ですし、友人としては彼を近くで支えて上げられる女性と結ばれてくれたらと願って止まないのですけれど。優しくて我慢強くて、明るい女性がいいでしょうね。彼は留守がちになるでしょうから、彼が安心して働けるように寄り添って支えてくれる方がいいと思うんですよね。アンドリューが頼りがいのある人間なのは保証しますが、今の状況に加えて奥方にまで全面的に甘えられては可哀想なようで。」
「師団長狙いの令嬢達は師団長と結婚できれば人生は成功だと思っているかもしれないですけど、フォード家の跡取りともなれば後は伯爵か公爵か。領地を拝領して面倒も見なければならないでしょうし、管理する家人の数も多いから奥方は並大抵では務まらないでしょうね。そういうことに慣れた方をと望まれるのも分かります。」
「いや、アンドリュー自身は家柄など全くこだわりはありませんよ。彼の家族もしかりです。おっしゃるとおり貴族の奥方というのは何かと忙しいものですが伝統のある家だからこそ頼りになる執事や女中もいますし、何より大切なのは本人の資質ですからね。わがまま放題、贅沢を当たり前に育った方よりも市井の感覚に近い方の方がアンドリューのために良いかとも思います。」
(この二人、いつまでやるんだろうか。)
アルフレドとセオドアは異口同音に延々と続く二人のやりとりを眺めながら考えた。遠まわしに杏奈にセオドアを勧めたいチェットとアンドリューを勧めたいミラードの攻防から始まったはずだが、二人の表情は段々といきいきしてきて、いまや杏奈のことは二の次で二人の勝負のようになってしまっている。肴にされているセオドアにしてみればいい迷惑なのだが、ここで口を挟むと二人からどんな切り返しがくるか読めないのでせめて話が切れないかと様子を窺っていた。
杏奈はアンドリューは公私ともに悩みが多くて大変そうだと気の毒に思う。結婚や恋を自ら遠ざける理由でもあるのだろうかと以前に考えていたが、今まさにチェットやミラードがいうような彼の地位や将来担うであろう重責を共に背負っていける人というと簡単にはいかないのだろう。それでも誰かみつかるといいのに、と他人事ながら心配になる。あのお城のような家に一人で暮らす姿を想像したら、あまりに寂しかったのだ。
「素敵な方と出会われるといいですよね。」
しみじみ、といった風に杏奈が口に出すとミラードとチェットは二人の会話の本来の目的を思い出したようだ。二人の売り込み合戦に関わらず勝敗は限りなく明らかであるように思われた。
「そうですね。」
ミラードは短く相槌を打って、チェットとの攻防を終わらせることにした。残念ながら、友人の勝機は薄そうだ。これを無理にひっくり返そうとするほど野暮ではない。
(あのアンドリューに命まで救われて、惚れない子もいるんだな。こういう見た目や地位にとらわれない人にこそアンドリューの近くに来てほしかったんだけどね。)
「おい、チェスター。そろそろお暇しよう。夕食は家で食べるんだろう。」
やっと二人の会話に僅かな隙間ができたところでセオドアも口を挟んだ。アルフレドもおもむろに立ち上がり、全身から「もういい加減にして帰れ」というオーラを発している。
「では私も。これほど長居するつもりではありませんでしたのに、すみません。チェスターさん、お会いできて良かったです。楽しいお話をどうもありがとうございました。」
「いいえ、こちらこそ。光栄です。」
ミラードとチェットが必要以上に力をいれて、ぐっと手を握り合う脇でセオドアは杏奈に軽く手招きして扉のほうへ呼び寄せた。
「旅行とはいかないが、暖かくなったから今度湖にでも行ってみるか。」
旅の話が出て以来、実はずっとこれが言いたかったのだ。王都に来る直前に暖かくなったら二人で行こうと約束した大きな湖。今ならもう馬にしばらく揺られてもつらい季節ではない。本当は今日の昼間の話も少ししたかったのだが、これはもう時間が無いから諦めて、またの機会を待つとする。
「あの分かれ道のところの?」
「ああ、暖かくなったらと約束したからな。」
杏奈はぱっと顔を輝かせた。あれから、それほど長い時間がたったわけではないのにもう遠いことのように思える。まだ王都での暮らしがどうなるか分からず、子供たちとも別れたばかりで不安だったときについ甘えてしまった約束。最近とみに忙しいセオドアの様子から叶えられない約束になっても仕方が無いと思っていただけに喜びもひとしおだ。
「ありがとうございます。」
嬉しそうに笑顔を浮かべてセオドアを見上げる杏奈と、優しく彼女をみつめるセオドアの背後では二人を追い越さないと部屋を出られないチェットとミラードが目配せをし合って同時に肩をすくめた。
(代理戦争までしたのがバカバカしくなるくらい、うまくいってるなあ。今日の気合は空回りもいいところか。)
アルフレドも聞こえているはずなのに杏奈に行ってはいけないとも、自分もついて行くとも言わずに聞いているところを見ると最早ヴァルター家公認なのかもしれない。
(はっきり付き合っていますと言ってくれたら、余計な気苦労なかったのに。兄さん、報告が遅いよ。)
チェットは兄に不満を抱いた。さすがの彼も、まさか兄が杏奈の好意に気がついていないとも、杏奈がセオドアの気持ちを知らないとも予想だにしていない。帰り道すがら、隣を行く兄に声をかけた。
「兄さん、上手く行ってよかったね。」
「何が?」
「え?アンナだよ。付き合い始めたんでしょ?急に司祭様が結婚なんて言うからアンナが焦ってたけど実はもう結婚の話まで出てたりして。」
からかい半分問いかけると、セオドアはちらっと弟をみてから目をそらしてぽつりと「別につきあってなどいないさ。」と小さな声で返してきた。
「は?」
あり得ないじゃないか、あんなにいい雰囲気をまき散らかしておいてそんな嘘。のど元まで出掛かった言葉をなんとか堪える。
(いや、待てよ。あり得る。この二人ならあり得るかも。うわあ。鈍いにもほどがあるわ。)
チェットは若干の哀れみをこめてセオドアの背中を見つめた。
「まあ、がんばって。上手く行くように応援しているから。」
力の入らないままそう告げると、セオドアは少し笑ったようだった。
「そりゃどうも。お前こそ、いい加減になんとかしたらどうだ。いつまで俺と親父に気を遣わせれば気が済むんだか。」
普段はチェットの友人、恋人関係など口を挟まない兄に痛いところをつかれてチェットは「ぐっ」と唸る。長年の親友であり彼の思い人でもある少女が最近彼から逃げ回っているのだ。家のことを手伝ってもらっているので当然、セオドアや父にも二人の関係がおかしくなっているのは気づかれている。今日帰り道に遠回りをしてセオドアに行きあったのも、実は彼女の問題を解決する方法が思いつかず、帰りにくかったから思わず道を逸れてしまったのがきっかけだったのだ。本当は人の恋の世話などしている場合ではないのである。
「まあ、お互いがんばろうか。」
ますます力の抜けた調子のチェットに今度こそセオドアは声を上げて笑った。