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まるで恋する乙女のような

 セオドアとチェットがヴァルター家を訪ねると、執事は実に複雑な表情を浮かべて迎えてくれた。驚きと、少し面白がるような意地の悪い笑顔と、いつも通りの純粋な好意と、それからほんの少しの不安。兄弟にはその内容を分析することはできなかったが、どうもいつもと違うしその感情を自分たちが引き起こしたということも分かる。ついお互いに顔を見合わせてみるが、どちらも答えられはしなかった。

「良いところにいらした、と申し上げるべきでしょうかね。」

 執事が二人を案内する間も彼らの姿に目を止めた家人たちは一様にいつもと違う反応をする。女中たちは顕著に面白がっているように感じた。互いをつつきあって何事か囁き交わしている。

「なんだか皆、落ち着かないみたいだね。」

 チェットが声をかけると執事は二人を振り返った。

「身内同然のテッド様、チェット様といえどもお客様に気を遣わせてしまって身の至らなさを恥じ入るばかりです。女中達にも良く言っておきます。しかし、お二人もすぐに事情はお分かりになると思いますよ。本日は他にもお客様がありまして。旦那様もお嬢様もその方とお話中なのです。」

「アンナも?珍しいね。ディズレーリ先生かな。」

 杏奈を直接訪ねてくる客は限られている。なぜならばアルフレドがそれを許さないからだ。これまでに杏奈の口から聞いたことのある客人は軍医とミラードだけである。軍医がいたとしても、執事や女中があんな反応を示すとは考えにくい。軍医の名を口に出した後でチェットは自分の間違いに気がついた。これはミラードが来ているのではないだろうか。そしてアルフレドがお目付け役として同席している。確かにそこに自分はともかくセオドアがやってくるのは気になる事態だろう。恋の鞘当が見られるかと女中達が期待するのも頷ける。チェットはちらりと横にいる兄に視線をやった。兄も誰が来ているかくらい想像がついていそうなものだが、その顔にはうっすらと困惑の表情が浮かんでいるだけである。


(この人に恋の鞘当なんて芸当ができるかな。心配だ。)


 まして相手はミラードだ。風の噂に兄が同僚のオズワルドと杏奈をかけて決闘したと聞いたが、そんな風には行くまい。真っ向から向かってきてくれれば返り討ちにしようもあるが、搦め手で来られてはそれも難しい。


(相手が誰でも兄さんの恋路の邪魔なんかさせるもんか。)


 セオドアの迷惑そうな様子をものともせずに付いてきたのは正解だったかもしれないとチェットは一人で闘志を奮い立たせた。

 執事が二人を次の間に待たせて応接間にいたアルフレド達に来客を知らせると、そのまま通してよいと告げられた。改めて執事に伴われた二人が応接間に入ると予想通りアルフレドと杏奈が相手をしているのはミラードだった。いつもの司祭服ではなく淡い萌黄色のシャツに濃い色のズボンとブーツ姿であるところだけがチェットの予想とは違っていたが、セオドアにしてみれば昼間に会ったのと同じ服装なので、それすら意外ではない。

「お邪魔してしまいましたか。」

 チェットがにこやかに挨拶してからそう聞くと、ミラードはゆるく首を横に振った。

「いいえ。最近あったことなどをお話していただけです。」

「そうですか。でしたら良かった。」

 お互いの存在は知っていたが、チェットとミラードはほぼ初対面である。ミラードは国中で有名だし、チェットは無骨なセオドアの気の利く弟として杏奈のことを気にかける人の間では相変わらず要注意人物だ。

「それで、どんな話を?」

 セオドアがアルフレドと杏奈に急な訪問を詫びている間にチェットはミラードに話しかけ続ける。ミラードもにこにこと応じながら視線がときどき彼らの向こうで話している杏奈とセオドアの方へ向く。


(うーん、やっぱりアンナ狙いっていう噂は本当なのかな。夜会で見たときは微妙な感じだったんだけどな。)


 好意はあれど恋ではない。そういう印象を受けた。むしろ危ないのはアンドリュー師団長の方だと思っていたのに、とチェットは考える。とにかく、いつまでも二人だけで話しているわけにもいかない。セオドアの挨拶が一通り終わったあたりで話の輪をひとつに戻した。世間話と言っていたのは本当のようで特に会話に終着点はないようだ。主にミラードが遠隔地を訪ねたときのことを物語のように話して聞かせている。王都と西方の村を少しだけ知っているきりの杏奈は一生懸命に頭の中で地図を描いてこれまでに聞いたことがある地名同士を関連付けようとした。

「確かにアルザス伯爵領で間違いないがその山は少し遠いな。街から馬で二日三日かかる。あの領地は広い。」

 空中に指を躍らせて地図を描こうとする杏奈に横からセオドアが口を挟んで助けてやる。国中を巡っているといえばミラードよりもセオドアに分がある。大きな町を中心に癒しを施しにいくミラードと内乱や飢饉の起きている土地を山間だろうが僻地だろうが回るセオドアでは知っている情報の詳細さが違う。

「だが、山の麓までいけば新鮮な山の幸が手に入る。食べるものが旨いという意味では山の近くの方が返っていいかもしれないな。」

「やっぱり果物でも採れたての方がおいしいですか。」

 色気より食い気。以前にチェットが抱いた印象は間違いではないらしく杏奈は食べ物の話への食いつきが良い。話の中心が自然とセオドアに移るのをチェットは満足げに見守った。分かってるじゃないか、意外とやるな、と兄を見直す。


(家ではどこの何がおいしかったかなんてろくに話してくれないのに。)


 しかし、チェットが安心していられたのは長いことではなかった。食べ物からミラードはさりげなく話題を入れ替えてきた。

「旅も良いものですが、やはり女性一人では難しいことも多いですから誰か信頼のおける同行者が必要ですよね。特に僻地にいくならば腕が立って旅慣れている方が良いでしょう。」

 杏奈は馬に乗れない。だが馬車で旅行というのは贅沢だ。生活にゆとりがあると宣言しながら旅しているようなもので護衛をつけていなければあっという間に山賊に襲われてしまうだろう。誰かの馬に乗せてもらうか、乗馬を習わなければならい。そうやって段々と旅の同行者に話は移り変わる。

「父や兄のような近親の家族でない男性と旅行というのもまた危険ですから。結婚後の楽しみになってしまうでしょうか。」

 ミラードはさらりと結婚という言葉を口にする。その言葉にアルフレドが微妙に髭を揺らして反応し、セオドアも思わず身じろぎする。そのくらいは何も意外なことではない。ミラードにとっても、チェットにとっても、とにかくその場にいた全員にとって一番意外だったのは、杏奈が驚くほど動揺したことだ。


(け、結婚。結婚。結婚。)


 杏奈は壊れてしまったようにその言葉を頭の中で繰り返す。あの星祭りの翌朝のセオドアのプロポーズまがいの発言以来、結婚やそれにまつわる話に敏感になっているのだ。その後、セオドアに真意を問いただす勇気はなく、けれども気になって仕方が無く忘れようと自分に言い聞かせても言い聞かせても、ふとしたきっかけで思い出し人目が無ければ叫んで走り回りたい衝動に駆られるのだ。結婚して夫と旅行、なんていう話題を持ちかけられたらとても平静でいられない。ましてや馬に乗せてもらうという行為も、遠い旅先の案内人という役割も、いとも簡単にセオドアに結びつくものだ。あまりにもすんなりとセオドアに馬に乗せてもらいながら旅する自分の姿が想像できて一人で照れる。

 目を泳がせた挙句に赤くなったり首を振ったり忙しい杏奈にそれぞれ違う思いを込めた四対の視線が集中したが、杏奈はそれどころではない。


(どうしよう。どうするも何も、何も言われてないんだしどうもしなくていいんだ。これってもう妄想癖なんじゃないかな。どうしよう。どうしよう。)


 もしもチェットが杏奈の考えていることを音に出して聞けたなら、それは妄想癖ではなく恋なのだと断言しただろうが、杏奈の思考は口から飛び出ることは無かった。それでも彼女の反応は想い人と結婚するところを思い描いて照れているようにしか見えなかったので、結果としては声に出していてもいなくても大差は無かった。

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