おとなげない
杏奈がアルフレドと共にアンドリューの家を辞そうとしたところ、それまで世間話などに興じていたミラードがついてくると言い出した。アルフレドは急な来客では満足にもてなしもできないと遠まわしに断ろうと試みる。
「普段は質素倹約を家訓としておりましてな。司祭殿に失礼があってもいけません。予めお知らせいただければヴァルター家一同うち揃って歓迎致しますよ。」
しかしミラードはにっこりと微笑んで退かない。
「いえ、夕食前にはお暇しますから。お気になさらず。」
アルフレドの意図に気づかないはずもないのに、強引についてこようとするミラードに杏奈は何か用事があるのだろうかと考えてみる。もし何かあるなら自分のことのような気がする。
「あの、お話があるのでしたら、アンドリューさんさえ宜しければこちらでもう少しお話させていただくのではいけないのですか。」
杏奈が問いかけるとミラードは眉を下げて悲しげな表情を浮かべてみせる。
「おや、アンナ。迷惑でしょうか。たまの休日に友人の家を訪れたいと思っただけなのですが。」
綺麗な人が悲しい顔をすると、必要以上に悲愴に見える。杏奈は言葉に詰まってしまった。
(何を企んでいるんだろうなあ。)
アンドリューは傍観しながら、友人の振る舞いの意味を考える。杏奈と懇意になって本当に恋仲になりたいとでも思っているのだろうか。あり得ない話ではないが、これまでのミラードの恋愛遍歴を考えると懐疑的になる。彼もアンドリューのことをあれこれ揶揄できる立場ではなく、見事に浮いた噂がない。ミラードの場合は多少のことがあってももみ消している可能性はあるが、慈愛に溢れた愛情深い印象を裏切って男女の情に関しては淡白な性質のはずだ。
(いや、逆にそのあいつが気になって仕方ないというのだから重く考えておくべきか。アンナもセオドアといい、ミラードといい難しい男にばかり気に入られるものだな。)
自分のことを思い切り棚にあげてアンドリューが同情をこめて杏奈を見やると、その視線をどう解釈したのかアルフレドがため息混じりに折れた。
「では、本当にお構いできませんが。」
「いえ、こちらこそ無理を申し上げて申し訳ないです。ありがとうございます。」
無理だと思うならば言うな。アルフレドの顔にそう書いてあると誰もが思ったが、その場は大人同士和やかに過ぎた。見送ってくれるアンドリューに口々に礼を述べて広い広い家を後にする。
「こんなに大きなおうち、生まれて初めて見ました。今日通していただいたお部屋もお庭が見えてとっても綺麗で。お話ももちろん、なんていうか、ためになったんですけど、お城を見に来たみたいで楽しかったです。」
杏奈の素直な感想にアンドリューも、並んでいた執事も笑顔で頷いた。特に執事にしてみれば丹精こめて磨き上げた自慢の邸宅だ。褒められて悪い気はしない。
「もし良ければ、また遊びにくるといい。俺がいなくても誰かに案内させよう。」
アンドリューの言葉を社交辞令と捉えた杏奈が「ありがとうございます」と返すとミラードが「僕が案内しましょうか。小さいころにずいぶんとお世話になったから詳しいですよ。」と名乗り出た。ミラードの後ろにいるアルフレドの苦虫を噛み潰したような顔といったらない。振り返ってそれをみた杏奈は思わず、養父に気をとられて笑ってしまった。
「おかしかったですか?」
アルフレドの顔が見えていないミラードは不思議そうにするが、杏奈は「いいえ、いいえ。」というので精一杯でそれ以上大笑いしないように必死で堪えた。どこか人を食ったような、飄々とした雰囲気のあるアルフレドがこんなに手を焼く相手をはじめて見た。ミラードとヴァルター家の執事の組み合わせではどちらが上手だろうかなどと明後日なことを考えてしまう。
「ミラード、お前がわざわざ来なくても我が家には優秀な執事もユーリもいるんだがな。」
年中家にいる弟の名前を挙げてアンドリューが間に入ると、ミラードは「そうだね」と頷いて「今日は会えなかったから、今度久しぶりにユーリにも会いにくるよ。」と杏奈の案内を諦めたとも諦めていないともとれる返事をした。ここは突き詰めないで終わらせる方が話が早い。アルフレドとアンドリューはそう判断して改めて別れの挨拶をして話を打ち切った。
帰りの馬車の乗客は三人になる。行きとは打って変わってアルフレドは不機嫌だ。それを分かりやすく表現したりはしないが、行きの上機嫌さを数時間前に見たばかりの杏奈にしてみれば明らかだ。一方のミラードは穏やかな笑顔を崩さない。男性二人が向かい合う位置に座ると互いの脚が邪魔になってしまうのでやむを得ずアルフレドとミラードが並び、二人の向かいに腰掛けた杏奈は対照的な二人を視界に収めて、何の話をしてこの道中を乗り切れば良いのかと頭を悩ませる。先ほどまではアンドリューがうまく間に入ってくれていたのだが、彼女にはそれほどの話術も機転もない。彼女がアンドリューに勝るとしたら、その困ったような表情に残りの二人がどれほど積極的に助けてやろうと思うかという点につきる。交互にアルフレドとミラードの顔を見て口を開こうとしては諦める様子を目に留めて、アルフレドは胸の中だけでため息をついて自分の大人気ない行動を反省した。自分が杏奈を困らせてどうする。ミラード相手では調子が狂うが、もともと腹のうちを悟らせない実の無い会話など得意中の得意だ。
「ところで、先日大変見事な春告草の花束をいただきましたが東方はいかがでしたか。」
アルフレドが世間話を始めてくれて杏奈は目に見えてほっとする。ミラードも杏奈の様子から状況を変えないといけないと思っていたところだったので当たり障りのない返事を返した。アルフレドの目論んだとおり和やかに実り無い会話は続き、やがて馬車はヴァルター家へと到着した。それでも馬車から降りた瞬間に杏奈の口からは音も無く大きな息が漏れて、やはり気詰まりだったようだとお互いへの牽制に夢中になりすぎた大人二人を反省させた。