第1話 追放先はゴミ屋敷
第1話 追放先はゴミ屋敷
湿った空気が肺にまとわりついていた。
ダンジョン深層特有の鉄臭さに、今日は妙な腐臭まで混じっている。アルトは背負子の紐を握り直し、重たい荷物を肩に食い込ませながら前を歩く仲間たちの背中を見た。
「おいアルト! 足止めんな! ノロマ!」
先頭を歩く戦士ガルドが怒鳴る。怒声が石壁に反響し、耳の奥をびりびり震わせた。
「……ごめん」
アルトは小さく答え、散らばった荷物を拾い集める。さっきミナが乱暴に投げた回復薬の瓶が床を転がっていた。ひび割れたまま放置されている。
気持ち悪い。
どうして蓋を締めないんだ。
どうして割れた瓶をそのままにするんだ。
どうしてみんな平気なんだ。
アルトは瓶を拾い、布でぬぐい、荷袋の中へ丁寧に戻した。
「ははっ、また始まったよ」
後ろから盗賊役のゼインが笑う。
「整理整頓ごっこ。ほんと好きだなぁ、お前」
「だって散らかってると危ないし……」
「誰でもできる雑用だろ、それ」
ミナも鼻で笑った。
「戦えもしないくせに、荷物いじるしか能がないもんねぇ」
笑い声が広がる。
アルトは唇を噛んだ。
言い返せない。
実際、自分は弱い。剣も下手だし、魔法も使えない。魔物が出れば真っ先に後ろへ下がるしかない。
だからせめて、みんなが動きやすいようにしていた。
荷物を整理して、傷薬をすぐ取り出せるようにして、壊れた装備を繕って、魔導具の魔力配線を整えて、食料が腐らないよう温度を管理して。
それしかできないから。
でも、それすら誰も見ていなかった。
「おい」
突然、ガルドが立ち止まった。
振り返った顔には、露骨な苛立ちが浮かんでいる。
「前から思ってたんだが、お前もういらなくね?」
空気が止まる。
アルトは目を瞬かせた。
「……え?」
「荷物持ちなんか替えが効くだろ。むしろ食料食う分だけ邪魔だ」
「ちょ、ちょっとガルド……」
リーゼが眉を寄せた。だがその声は弱い。
「だいたい最近、魔物も増えてんだよ。足手まとい抱えてたら危ねぇだろうが」
「でもアルトが装備管理を――」
「整理なんか誰でもできる」
ガルドは吐き捨てた。
「なぁ?」
「まぁな」
「だよねぇ」
ゼインとミナが笑う。
リーゼは口を閉ざした。
アルトの胸の奥が冷えていく。
ああ。
そうか。
本当に、そう思ってたんだ。
自分はただの荷物。
いてもいなくても同じ。
「じゃあ決まりだな」
ガルドがにやりと笑った。
その瞬間、背中を強く押された。
「――え?」
足元が消える。
視界が反転した。
崖。
深い縦穴。
奈落。
アルトの身体は暗闇へ投げ出されていた。
「がっ――!?」
肺から空気が抜ける。岩肌に肩をぶつけ、背中を打ち、何度も転がる。鋭い痛みが全身を貫いた。
最後に鈍い衝撃。
アルトは泥のような床に叩きつけられた。
しばらく呼吸ができなかった。
喉が焼ける。
鉄の味が口に広がる。
頭上遥か遠くから、笑い声だけが降ってきた。
「じゃあな、ゴミ処理係!」
「そこで掃除でもしてろよ!」
声が遠ざかる。
やがて静寂。
残ったのは、ぴちゃ……ぴちゃ……という不快な水音だけだった。
アルトは震える腕で身体を起こした。
鼻を刺す腐臭に顔をしかめる。
「なんだよ……ここ……」
暗い。
寒い。
空気が重い。
壁一面に黒い結晶がこびりつき、床には粘つく泥のようなものが脈打っている。紫色の煙がゆらゆら漂い、腐った卵みたいな臭いが喉にまとわりついた。
最悪だった。
まるで巨大なゴミ溜めだ。
しかも、ただ汚いだけじゃない。
床に積もる黒いヘドロは、どくどくと脈動している。まるで生き物の内臓みたいに。
そのたび、空気がびり、と震えた。
気持ち悪い。
耐えられない。
アルトは思わず頭を抱えた。
「なんで……なんでこんなになるまで放っておくんだよ……」
黒い泥が通路を塞ぎ、割れた結晶が散乱し、壊れた魔導装置が火花を散らしている。
ぐちゃぐちゃだ。
めちゃくちゃだ。
見ているだけで吐き気がする。
胸の奥がざわざわした。
呼吸が乱れる。
頭が痛い。
なのに視線が勝手に汚れを追ってしまう。
あそこも片付けないと。
あの配線、捻じれてる。
結晶の並びがおかしい。
魔力の流れが詰まってる。
だめだ。
気になる。
気になって仕方ない。
アルトは震える息を吐いた。
「……汚すぎるだろ」
死ぬかもしれない。
そんなことはわかっていた。
でも今は、それより先に。
この惨状が許せなかった。
アルトは近くに転がっていた棒切れを掴むと、床にこびりついた黒いヘドロを力任せに掻き出した。
ぐちゃり、と嫌な感触。
「うわ……っ」
腐臭が一気に広がる。
だがアルトは顔をしかめながらも、さらに泥を剥がした。
その瞬間だった。
――ゴォン。
低い音が遺跡全体に響く。
「……え?」
壁が、光った。
ひび割れていた紋様に青白い光が走っていく。
まるで血管みたいに。
びり、びり、と空気が震え、淀んでいた魔力が流れ始める。
冷たかった風が変わる。
腐臭が少し薄れた。
アルトは呆然と周囲を見回した。
「なんだ……これ……」
返事はない。
ただ、遺跡の奥深くで。
長い長い眠りから目覚めるように。
何かが、静かに脈動していた。




