大聖女の最後の仕事〜七英雄最後の一人、親友を連れて天界に殴り込みに行く〜
ねぇリーリー、あの日は暑かったよねぇ。
魔王もさ、もう少し早く帰ってくれたら良かったのにね。
そうしたら、魔法使いが極大魔法を使うことだってなかったから、私の髪が熱でチリチリになる事もなかったのに。
『そうだったよねぇ。あの日は本当に暑くて……。ドラゴンのブレスのせいで、大地から蒸発する水分だって蒸し暑くてさ』
吹き荒れる風の中心、ゆっくりとうごめく黒いモヤの中から静かな声が返ってきた。
いつだって、「あの日は暑かったよね」と言うと、私たちはあの日に戻る。
魔王に勝利した日。長い長い戦いが終わった日。
ねぇリーリー。そんなに……悪霊になるくらい思い詰めていたなんて知らなかったよ。貴女の旦那の女癖が悪いって噂、私も知っていたのに。
『…………』
存在も忘れられた、大森林の奥の古城。その目の前に広がる湖面に、漆黒のモヤを纏ったリーリーが浮かんでいる。
濡れたように艶のある黒紫の髪が、綺麗な紫色の瞳が、モヤの中で、闇に浮かぶ星のようにきらめく。
『……せい、じょ?』
あぁ。あんなヤツ、魔界まで殴り飛ばしてやれば良かった。貴女の旦那様だからって、遠慮なんかしなきゃ良かった。
こんなに腹を立てても、今さら過ぎる。本人は数年前に天寿を全うした。リーリーは、もっとずっと前。数十年前に病で早逝している。英雄王として国を統治した勇者も、穏やかな晩年を送って眠りについた。賢者も。魔王ですら。誰も彼も先に逝ってしまって、もう全てが過去のこと。
長く生きすぎた最後の最後で、貴女とこうして会えるなんて思いもしなかった。
ねぇリーリー。私も、そろそろ死ぬんだよ。
もう新しい年を迎えることは出来ないだろうなぁと思いながら、過ごしていたの。
その老体が、古城に棲み付いている死霊の浄化に指名されるなんて。何を考えたらそうなるの? と思ったけど。貴女だったのね。
みんなが気を使ってくれたのかしら?
それとも、悪霊と一緒にポックリ逝ってくれたらラッキー♪ とか思われたかしら?
「そんな事、絶対にありません!! 大聖女様は、ほんっと、何でこう…!!」
少し離れた場所から、私の補佐官の青年が文句を言っている。でも、その声は泣いているようだった。
『こいつは、昔っからだよ? ひねくれ者なんだよねぇ』
あら? リーリー、貴女しっかり意識がもどったのね。
じゃあ、一緒にいきましょうか。
『迷惑をかけちゃったなぁ』
ええ、本当にね。
でも良いわ。きっと、私の名前は後世まで残るでしょうよ。魔王を退けたのちも、最後まで、平和のために尽力した聖人、ってね。
さぁさ、あの世に殴り込みに行くわよ!
貴女がここで苦しんでいた長い年月……。あいつはきっと、あの世でナンパでもしてるのよ? 腹ただしい!!
『あはははっ。カルミア、とんでもなく元気な最期だね』
ええ、そうね。でも、貴女にまとわりついてる亡霊たちを引っぺがして、貴女の魂から淀みを払って、あの世への道筋を作って……。私の全てを消費して、やっとってトコなのよ。
貴女ほどの魂が堕ちると、ムダに力の強い死霊になるのねぇ。参考になったわ。
それにしても、こんなに存在感のある霊なのに、今まで全く気づかなかったなんて。
『ふふ、斥候だからね。気配を隠すのは得意なんだ』
そう……そうね。おかげで、貴女を何十年もひとりぼっちにしてしまった。もっと早く気づく事が出来ていたら良かった。
ここは忘れられた古城……。昔、みんなで野営をした事があったかしら? 七人で旅をしたのも、ずいぶん昔ねぇ。今となっては全てが、ただ懐かしい。
さてと。七英雄、最後の一人。
聖女カルミアが、最後の仕事をしましょう。
淀みを払って、澄んだ魂に戻して――天界へ送る。
誰にも、英雄リリアナの名を穢させはしない。
「大聖女様……!! 私も! 私も補助を! そうすればきっと――」
あらあら。だめよ。これは、そんな大げさな事じゃあないの。古い友人と二人、ちょっとあの世にいる友を片付け――コホン、話し合いに行くだけですもの。今を生きる若者を巻き込むような話じゃないの。
「そんな! 私はあなたに救われたんですよ! どうして最後まで一人で決めるんですか!! 大聖女様ぁ!!」
大聖女だなんて大仰な名前で呼ばれるようになってしまったけど。ふふ。最後の仕事は、魔王の討伐でもない。死者の蘇生でもない。昔懐かしい場所で、友人と二人、浮気者の殴り込みの準備をするのよ。人生って不思議ねぇ。
さぁて、盾の戦士。今から行くから待ってなさいよ……!
リーリーがこんな事になってるのに気づきもせず、さっさとあの世に行った薄情者め。じっくり話し合いましょうね?
◇
吟遊詩人が歌う伝説の一端が、今まさに目の前で繰り広げられていた。圧迫された空気に、カルミア様の神気が加わり、呼吸もままならない。カルミア様は呑気な雰囲気で会話していたが、そんな事はない。それは超常の方々の話だ。
悪霊から放たれる強すぎる圧が暴風へと変わり、立っている事すら出来ない。加えて、濃厚な闇の気配。
近づくこともできずに膝をついている自分と異なり、悪霊の目の前で、真っ直ぐ伸びた綺麗な立ち姿を維持している小柄な女性。カルミア様は老いてなお、やはり英雄であると強く思う。
桃色がかった銀髪は後ろで一つに結い、白地に深緑の縁取りの法衣ごと、風で激しく揺れている。
戦争孤児であった自分たちを拾って、あたたかい場所に連れてきて下さった方。色々お世話になりっぱなしで大恩ある方だが、それだけではなく、優しくて、怖くて、茶目っ気があって。心が強くて。憧れる、という感情を初めて知った。もっと一緒にいたい。幼い頃から、ずっと助けになりたくて、ようやく補佐官になって。やっと、まだ、これから――
「……っ。カルミア様ぁ〜!!」
こちらを向いたその人は、泣きそうな私を見て、微笑みながら小さく頷いた。
翡翠の瞳が光る。
「花が……咲いて……?」
カルミア様の背後に、淡い桃金色の光が広がる。
星みたいに弾ける、花弁の幻影。
次の瞬間、無数の花が夜空に咲き乱れた。
それはまるで、カルミア様の命が咲いているようだった。
一瞬だったのか、それとも永遠のような長い時間だったのか。夜空ごと砕けて降ってくるかのように、無数の花弁が舞い落ちる。
目も眩む光はやがて静かに弱まり、きらきらとした花の幻影が粒子になって散っていく。
そして――
そこには、満天の星を映す湖面だけが静かに残されていた。
◇
「おい、お前のカミさんと大聖女が、ついに殴り込みにくるぞ」
「あんなヤル気に満ちたテンションでこっちに来るやつ、初めて見る。すごいのが爆誕しそうだな」
「除霊に命の灯を全部使って天界に来るとか...。意味わからん」
「えっ? ちょ、ちょっと待って??」
天界のどこかで、呑気な会話が聞こえる。
『む。余は復活の準備の為、再び地上に降りるとするかな』
「あっ! お、おい魔王! 逃げるのか!?」
『ふっ。余は世界の均衡を保つ者。世界に揺らぎを起こす装置にすぎぬ。ゆえに! 間違っても大聖女に浄化されるわけにはイカン! 剥き出しの魂の今、あのテンションの大聖女に相まみえるなど……さらばだ、盾の聖人よ!』
魔王は天界を去った。
そして、天界の上空がゆっくりと揺らぎ始める。
揺らぎはやがて方向性を持った流れとなり、白桃色の光と漆黒の光が渦を巻き始める。
「……やばくない?」
「おぉ……」
「盾よ。がんばれよ」
聖職者も、咎人も。英雄も、無名の民も。
命を終えたすべての魂が、等しく天へと導かれ、最初にたどり着く場所。
天界の入り口――魂の門。
その神聖なる門の遥か上空で、何かが生まれようとしていた。
(完)
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