文化祭
残念ながら体育祭で二人三脚で不知火さんと組むことはなかった。
不知火さんも俺も別の競技に出る事になったからだ。
こんなことなら絵馬に恋愛成就と書いておけばよかったなと、
ひそかに後悔をした。
そして水晶学園文化祭が開催されることになる。
水晶学園文化祭は、別名推奨祭(誤変換ではない)
と呼ばれ、この地域でもっとも見るべき文化祭として推奨されている。
文化祭というと、どんな出し物をするかで、揉めるというのが定番ではあるが、
1年1組には、アニメ好き、小説好きが割と多く、批判の多い夜須飴子とエトセトラたちも大人しくなったことから演劇。
そしてロミオとジュリエットですんなりと決まった。
当然こうなると、ロミオとジュリエット役は俺と不知火さんがと思うのだが、
ジュリエット役に推薦された不知火さんは。
「ありがとう。みんなは私の美少女っぷりにジュリエット役を推したのだと思うけど、私の性格的にジュリエットのような考えは不可能だわ。
私がやればハッピーエンドで終わってしまう。
そうね。両家の確執を排除するような立ち回りをしてしまうから。
そんな私には無理だわ」
と不知火さんは言った。
これには皆納得をした。
俺もロミオ役に推薦をされたのだけど、
これは大輝をメロンパンで買収してなんだが。
俺も言い訳を考えて断わった。
最終的に
・ロミオ:束田治樹
・ジュリエット:御園恭子
・ティボルト:真田入鹿
……
で配役が決まった。
ロミオとジュリエットを始めほとんどのメンバーは、本人たちも同意しているが、唯一ティボルト役の真田入鹿だけが、ジュリエット役を熱望して譲らない。
それもしかたがない。
彼女は中高と演劇部所属で、ジュリエット役はずっとやりたかった役柄だったから。
ただ真田入鹿のイメージからはジュリエット役がどうしてもイメージできなかった。
本人も薄々は感じているのだろうが、譲れないものがあるのだろう。
議論は完全に膠着状態になった。
俺は裏方で不知火さんと近いポジションを取ることができた。
正直言うと、演劇の出来なんかはどうでもいい。
不知火さんの近くにいるだけ満足なんだ。
しかし
”将来の事は考えつつ、常に可能な限り、楽しむと。
むしろ全てを楽しいものに変えたいと。
そうすれば、この老人のような事を、言わなくて済む……”
そうプールで語った彼女が、そんな演劇の出来なんかどうでもいい。
なんて許してくれるはずはなかった。
「真田入鹿は、なぜティボルトを嫌がるの」
と不知火さんは尋ねた。
「不知火さんは、ティボルトがどんな役か知ってるの」
と真田入鹿は言った。
その語尾には怒りの感情が含まれているのは、俺にもわかった。
「そうね。キャピュレット家の従兄で、
怒りっぽく短気。
モンタギュー家への憎悪が強いわ。
ロミオを見るだけで決闘しようとするし、
メルキューシオを殺し、結果としてロミオに殺されるの。
物語の悲劇を加速させる“火種”よね」
と不知火さんは言った。
「それを知ってて、なぜ嫌がるのというの?嫌がるに決まっているじゃない。
そんな悪役で、しかも脇役よ。
単なる狂犬じゃない」
と真田入鹿は言った。
「演劇ではないけれども、落語の世界に立川談志という優れた落語家がいたわ。
立川談志はこう言ったわ……。
落語は人間の業の肯定であると。
落語には、与太者。
いわゆる落伍者のような人物が頻繁に出てくるの。
多くの落語家は、その与太者をただの阿呆としか表現しない。
しかし立川談志の落語は違った。
与太者であれ。そこに人生の気概というか、なんらかの切なさを表現してくるの。
だから談志の落語は深いと言われる。
あなたの言うように、ティボルトという役はある意味で落伍者であり脇役よ。
でもね。
それはあなたが見た映画やドラマの演出……、
もしくは役者の解釈。
もっと踏み込めば、あなたの解釈で、深みのない役に見えているだけ。
ティボルトという役の本質を理解なさい。
いままでとはまるで違うティボルト像が出てくるわ。
そうしたらどう?
あなたのティボルトという役は、主役を食う役になる。
たとえばセリフがたった1行だって良いじゃない。
目の表情。
間の取り方。
微妙な髪のホツレ。
表情しようと思えば、いくらでもあなたを表現できるわ。
そしてこの高校の歴史にこう刻まれる。
ティボルト役は、真田入鹿に勝てるものはいないと」
と不知火さんは言った。
「主役を食うティボルト……。
ティボルト役は、真田入鹿に勝てるものはいない……」
と真田入鹿は言った。
「バイプレイヤーになりなさい」
と不知火さんは言った。
「バイプレイヤー……」
と真田入鹿は言った。
「そうよ。バイプレイヤー。
主役を際立たせる重要な役柄のこと。
あなたが足をつっこんでいる演劇の世界は、厳しい世界よ。
主役を目指すのはいい。
それは挑戦だし、続けたら良い。
でもね主役をできないからって腐っちゃダメ。
主役は1人でも、脇役は常に複数の枠があるわ。
そしてどんな脇役も常にバイプレイヤーになりうるチャンスがある。
そして名バイプレイヤーは、常に主役に変わりうる」
と不知火さんは言った。
真田入鹿はすっと立ち上がり、
不知火さんに一歩一歩近づき、
不知火さんの前にひざまずいた。
そして真田入鹿は不知火さんの手を握り
「ありがとう。あなたに会えてよかった」
とうつむいた。
身体が小刻みに震えていた。
俺は思った。
こうやってまた不知火さんは、人の心に火をつけていくんだと。
……
推奨祭の準備は楽しかった。
いつもより不知火さんを身近に感じれた。
そして演劇本番、裏方の俺たちは仕事もなく。
劇の仕上がりを見た。
不知火さんの言葉は真田入鹿だけではなく、
全員に届いたらしく。
高校レベルの演劇ではないと、演劇部の顧問も絶賛していた。
特に真田入鹿のティボルト役は本物ではないかと思うほどの狂気があった。
ただの狂犬ではない。
その剣を向けるときの、目の動き、髪の乱れ。
セリフを発さんとする時の間。
演劇を知らない俺でも、
すごい事が伝わってきた。
ふと気が付くと、となりでヒクヒクと動く気配がした。
俺の隣で不知火さんは真田入鹿の演技を見て、
泣いていた。
そうか……
不知火直はただの論理的なクールビューティなんかじゃない。
優しい、優しい、少女なんだと。
その時俺は気が付いた。
胸に熱いものがこみあげてきた。
演劇に感動したんじゃない、
不知火直というドラマに感動したんだと俺は思った。




