始業式
始業式が終わって教室に戻った。
元気を出さなきゃって思っているのに、どうしても今朝の光景が忘れらない。
昨日の夜パパが帰ってこなかった。
月に一度か二度帰ってこない時がある。
今朝パパが帰ってきて。
ママと喧嘩を始めた。
パパは仕事があるからと、さっさと着替えて仕事にでかける。
そうしたらママは必ず私に当たり散らす。
「昔はあぁじゃなかった」
「あなたが産まれてからあぁなった」
「あなたが志望校に入りさえすれば」
もう変えようのない、仕方のない事を何度も何度も執拗に責める。
楽しい時間も、ママのヒステリックな声が聞こえると、ふっと消える。
ママは幸せを消す天才だ……。
……
「鏡花……どうしたの?」
と順子が言った。
あぁまた心配かけてしまった。
順子は中学1年と2年で同じクラスになり、高校1年で同じクラスになった。
小説好きの友達。
「ママとまた喧嘩しちゃって」
と私は言った。
順子はうちの事情を少しは知っている。
心配かけるのが悪い気がする。
でも顔にでてしまうし、それをごまかすこともできない。
「また?こないだも」
と順子が言った。
「そう。でも私が悪いの……、私が頭悪いから」
と私は言った。
私は最終的に自分の頭の悪さでごまかしてしまう。
「高木鏡花……どうしたの?元気ないわよ」
と遅れて教室に入ってきて不知火さんが言った。
「ママとまた喧嘩しちゃって」
と私は言った。
言わないでおこうと思っているのに、勝手に口が開いてしまう。
私は何を期待しているのか。
「鏡花のママひどいのよ」
と順子が言った。
「順子ちゃん」
と私は言った。
止めようとする声は、予定調和に聞こえた。
そう私は順子ちゃんを止める気なんてなかった。
私を擁護して欲しかった。
でもそれに気が付いている自分が情けなくて、恥ずかしくて仕方がなかった。
「どうひどいの?」
と不知火さんは言った。
「鏡花にバカだ。バカだ。って言うのよ」
と順子が言った。
「もう順子ちゃん良いのよ。私バカだもん」
と私は言った。
そう言いながら、私はバカだと思ってない。
そんな自分を感じるのが恥ずかしかった。
「でも高木鏡花は成績悪くないわよね」
と不知火さんは言った。
「そうなんだよ。鏡花のママの要求水準が髙過ぎなのよ」
と順子が言った。
「だってママもパパも賢いから。私がバカなせいで喧嘩ばかりだって……ママが。
私が悪いの。私さえ賢かったら、二人とも喧嘩しないし、平和なんだから」
と私は言った。
本音だった。
でも本当に私が賢かったら、二人とも喧嘩しないのかっていうのは、疑問だった。
「人間関係って複雑ね。
相手が悪い場合でも、自分が悪いんじゃないかって思う事はあるわ。
自分が悪いんであれば、自分さえ改善すれば解決する。
逆に相手が悪いと思えば、その問題は自分では解決できないことになる。
だから相手が悪い場合でも、自分が悪いと思う事は、自分にとってもメリットがある。
精神的にね。
でもね。
本当は相手が悪いのに、自分が悪いと思い続けて、努力しつづけると、無力感がつもり重なってしまい、どんどん自己否定のループにハマってしまう。
それも人生のいい経験になるかもしれないけど。
すこし辛いわよね。
だからそんな時は相手が悪い、自分が悪いと善悪白黒をつけるのをやめにして。
これは自分を成長させるための、イベントだったと思い込むの。
私はこれでレベル3つは上がったってね。
なんなら、ドラゴンスレイヤーみたいな称号をつけたっていい。
人間問題初級合格者とかね。
そして忘れる。それが一番よ。
パンダだってそうでしょ。シロクマでもないし、黒いクマでもない。
白黒つけられないから、パンダって名前になってるのよ。
あれ。白黒熊だったら、あそこまで人気になってないわ。
白黒つけずに、パンダという名前だから人気なのよ。
白黒なんてつけなくてもいいのよ」
と不知火さんは言った。
不知火さんの言葉が怖かった。
いや……
正直うれしかったのかもしれない。
でも怖かった。
人は自分のいままでいた場所と違う場所に移動するとき、
恐怖を感じる。
そうか。
私は今救われたのかもしれない。
そうか。
私は今救われたから恐怖を感じたのかもしれない。
そう思った。
「白黒つけずに、パンダか……」
と私は呟いた。
「面白い例えね」
と順子が言った。
そうか……。
私は無意識の中で白黒をつけようとしていた。
ホントはママとパパの問題だと思っていた。
子供になすりつけるなよ。
そう思っていた。
でもそれを言葉にできなかったし。
しなかった。
その一線を越えると、全てが崩壊しそうで怖かった。
子供ながらにそれは感じた。
その瞬間……、
スケープゴートという言葉が頭に浮かんだ。
スケープゴート。
それは生贄に捧げられるヤギのこと。
その集団の罪を一身に背負い、スケープゴートは処刑または野に放たれる。
私は無関係のヤギが可哀そうで仕方がなかった。
あまりにもヒドイと思えてしかたがなかった。
そうか。
私もスケープゴートだったんだ。
だから同情したのか。
一線を越えると崩壊しそう。
そうか、
スケープゴートは一線を越える事を防止する目的で身代わりになるんだ。
あぁこんな物語多いよな。
そして、人は皆言う。
あんなひどい事をしてはならないと。
過去にスケープゴートを扱う物語は何百もあっただろう。
そして、その時々で
あんなひどい事をしてはならないと感情が動いただろう。
しかし、
凸版印刷が始まり、書籍が自由に流通し、図書館もある。
サブスクもあるなかで、未だにスケープゴートが繰り返されるのはなぜだろう。
私は不知火さんへの畏怖と感謝。
そしてスケープゴートへの疑問が私を混沌へと押し流す。
「高木鏡花……大事なのは忘れる。それが一番よ」
と不知火さんはその小さくキレイな顔を私の顔に近づけて言った。
その瞬間。
混沌の牢獄はとけ、さわやかな風が私の中に入り込んでいた。
気が付くと、涙があふれ、
不知火さんを抱きしめていた。
不知火さんのシャンプーのいい匂いがした。
この人は恐怖の対象なんかじゃない。
そう気が付いた。




