図書室
「おはよう緒方健」
黒猫を拾った日から、不知火さんは俺の名前を覚えて、
声をかけてくれるようになった。
「おはよう不知火さん。ところでなんでフルネームで呼ぶの?」
と俺は尋ねた。
「近くに他の緒方さんがいたらややこしいじゃない。それに近くに他の健さんがいたらややこしいじゃない」
と不知火さんは言った。
「まぁそうだよね」
と俺は言った。
「私の不知火という名字は珍しいから、あまり問題ないけど、基本的に人はフルネームで呼ぶのが礼儀よ」
と不知火さんは言った。
「えっ。そうなの?」
と俺は言った。
「だって、病院とか銀行、役所ではフルネームでしょ。公の場所ではフルネームで呼ばれるわ」
と不知火さんは言った。
「たしかにそうだよね」
と俺は言った。
「学校はプライベート?」
と不知火さんは言った。
「いや公の場に近いと思う」
と俺は言った。
「そうでしょ。では学校では緒形健でいいんじゃない」
と不知火さんは言った。
「たしかに。じゃあプライベートでは変えるの?」
と俺は言った。
「変えないわ」
と不知火さんは言った。
「えっなんで?」
と俺は言った。
「だって癖ついてるから」
と不知火さんは言った。
「そっか。ちなみに結婚したらどうするの?」
と俺は言った。
あれ……
俺なに聞いてるんだろ
「例えば緒形健と結婚したとしたら健かな。健ちゃんかな。旦那様とか、親方様とかとは言わないと思う」
と不知火さんは言った。
俺は”緒形健と結婚したとしたら”の言葉に、ドキドキした。
「そ……、そうか」
と俺は言った。
「そうよ」
と不知火さんは言った。
……
俺はある日、不知火さんが図書室に入り浸っていることを知る。
俺はアニメ好きだが、小説も嫌いではない。
まぁここは社会勉強ということで図書室を覗いてみる事にする。
図書室の窓は開け放たれていて、暖かく気持ちいい風が入ってくる。
窓際を見ると、不知火さんの長い髪が風に揺れていた。
不知火さんは本に集中しているようだ。
気付かれないように……
俺は息をこらす。
あれ?
俺気付かれたくないのか。
不知火さんを追ってきたのに、追ってない振りをしたい。
俺はヘタレだな。
そう感じだ。
不知火さんの座っている机の裏の棚に俺は移動する。
本を探すふりをして……。
「あの不知火さん」
と声をかけてくる女子がいた。
あれはたしか図書委員の……
「どうしたの?貝原あかね」
と不知火さんは言った。
「あの不知火さん。あなた小説好きでしょ。これ読んでみて欲しいの」
と貝原さんは言った。
「わかったわ」
と不知火さんは言い、貝原さんの手渡すコピー用紙の塊を読みだした。
「ありがとう」
と貝原さんは言い、そこでじっとしている。
「見終わったら、呼ぶから仕事をしておいて」
と不知火さんは言った。
「ありがとう」
と貝原さんは言い、図書委員の仕事に戻った。
俺は横目で不知火さんを観察しながら、自分に合いそうな本はないかと探す。
10分ほどで不知火さんは読み終わり、貝原さんを呼んだ。
貝原さんは、忍者のような小走りで不知火さんの元までやってきた。
「面白かったわ。
特にラストのネズミが実は猫でネズミの皮をかぶった猫だったというくだりは、スッキリしたわ」
と不知火さんは言った。
「そうか。ありがとう。
今度ね……。
学生向けの文学賞があって……、
それに出したいんだけど自信がないんだ。
今回初めて書くし。
それに私、陰キャだし。
目立つのが苦手だし。
ほら能ある鷹は爪を隠すとか言うし、
もっと大人になってからでもいいかなとか」
と貝原さんは言った。
「そうね。
たしかに能ある鷹は爪を隠す。
ということわざもあるわ。
しかし能ある鷹が爪を隠すのは、目標に到達する寸前まで、一生隠すわけではないの」
と不知火さんは言った。
「目標に到達する寸前までか……」
と貝原さんは言った。
「そうよ。
今あなたは爪を出す瞬間よ」
と不知火さんは言った。
「でも、もっと上手い人はいっぱいいると思うし」
と貝原さんは言った。
「もちろん。上手い人なんていっぱいいる。当然だわ。みんな心の底でプロを目指すものたちなんだから」
と不知火さんは言った。
「だから勝てないかなとか思って……」
と貝原さんは言った。
「それでも戦いなさい。
襲いなさい。
獣のように。本来あなたが持っている獣性をさらけ出すの」
と不知火さんは言った。
「私……、
戦うのとか苦手なんだ」
と貝原さんは言った。
「わかるわ。私も戦うのは苦手。
でもね戦うと言っても、あなたは作品を出すだけ。
それだったら怖くないでしょ」
と不知火さんは言った。
「そうだね。それなら怖くない」
と貝原さんは言った。
貝原さんは何度もお辞儀をして、図書委員の仕事に戻っていった。
不知火さんはすごいな。と俺が感心していると。
「緒方健。何を借りるの?」
と不知火さんが突然話しかけてきた。
「うわ。ビックリした」
と俺は言った。
「そう。何を借りるの?」
と不知火さんは言った。
「これなんだけど……」
と俺は借りようと思っていた小説を見せる。
「……へぇ。この本が好きなら、気が合いそうだわ。おすすめの本を教えなさい」
と不知火さんは言った。
それから俺は、いくつかの小説を不知火さんに教えた。
彼女も読んでいた本。
逆に彼女が読んでいない本がわかった。
「不知火さん、こういう感じの本を読むんだ……」
と俺は言った。
「そうね。こういう感じの本は比較的好きよ」
と不知火さんは言った。
「月にどれくらい読むの?」
と俺は尋ねた。
「そうね。テストのない時は1日1冊は読んでるわ」
と不知火さんは言った。
「すごいな」
と俺は言った。
「時間が空いてると不安なのよ」
と不知火さんは言った。
「……そっか。なんか、そういうのわかる」
と俺は言った。
完璧に見える不知火さんでも不安とかあるんだ。
俺はそう思った。
「そう」
と不知火さんは言った。




