偽死再生
『偽死再生』という言葉がある。
修験道などでよく使われる言葉であるが、修験者は修行の中で、疑似的な死を迎え、
そして再生復活をする。
偽死再生が行われる理由は、修行者を新しい人生に送り出すためである。
そして……
死の夢は見た者を新しい人生に送り出すと信じられている。
……
俺は気が付くと、ベッドの上で寝ていた。知らないベッドの上ではない。
いつも見慣れた風景だった。
傍らには、黒猫のぬいぐるみがあった。
そうか……夢を見ていたんだ。
物語は素晴らしい。たった一行で絶望を希望にかえるのだから。
だから俺たちは生き続けなくてはいけない。
絶望が希望にかわる瞬間をこの目に焼き付けるために。
……
カーテンから漏れる光で私は目覚める。
頭が回らない。
私は死んだのでは。
そう思ったが、どうもここは私の部屋らしい。
そうか……夢を見ていたんだ。
物語は素晴らしい。たった一行で絶望を希望にかえるのだから。
だから私たちは生き続けなくてはいけない。
絶望が希望にかわる瞬間を身体で感じるために。
……
学校にいかなくっちゃ、
俺は準備をする。
そうか……
今日はバレンタインデーか。
不知火さんは誰かにチョコをあげるのかな。
ダメだ。そんな事を考えちゃ。
ダサいよ、俺。
……
私は学校に行く準備をする。
チョコはもった。
あとは緒方健に渡すだけ。
でも他の女子に貰って、その子を好きになったら、どうしよう。
うんうん、そんなの関係ない。
私はクエストをこなすだけ。
……
俺は学校についた。
いつものように下駄箱を開ける。
すると中からチョコレートが出てきた。
三つ……
誰がくれたんだろう。
俺はチョコレートをカバンに押し込める。
あとで誰がくれたか見よう。
そう思った。
これが不知火さんだったら良いのに。
そんな淡い想いを抱いた。
ふと振り向くと、そこには不知火さんがいた。
「おはよう」
と俺は言った。
「おはよう。ずいぶんモテるのね」
と不知火さんは言った。
俺は照れ隠しに笑った。
あれ怒ってる?
「緒方健もチョコレートを貰ったら、好きになったりするの?」
と不知火さんは言った。
少しけんのある言い方だった。
「場合によるかな……」
と俺は言った。
「これで私を好きになりなさい」
と不知火さんは、チョコレートを差し出した。
顔が赤くなって、その手は震えていた。
「ちょっと……、不知火さんこっち来て」
と俺は不知火さんの手を引っ張る。
不知火さんの手は氷のように冷たくなっていた。
そして力が恐ろしく入っていなかった。
校舎の裏に彼女を引っ張ってきた。
どう言えばいい?
考えろ。俺。
「これで私を好きになりなさい」
と不知火さんは、再びチョコレートを差し出した。
それはいつもの冷静な不知火さんではなかった。
弱々しいただの一人の女の子だった。
「違うんだ」
と俺は言った。
「これで私を好きになりなさい」
と不知火さんは再び言った。
「違うんだ。
俺は……、
緒形健はチョコレートなんてもらわなくても、
もう君のことが大好きなんだ。
たまらなく、好きなんだ」
と俺は言った。
その言葉に不知火さんの動きは止まった。
「そうなの。よかったわ。じゃあ相思相愛ね」
と不知火さんは言った。
……
不安という感情が、好きという言葉を聞いた瞬間に、打ち消されてしまう。
好きという言葉ほど、人生に影響を与える言葉はない。
それは地獄を天国に変えるほどの魔力を秘めている。
しかし国語辞典にあるのは、たった17行の記述のみ。
おそらく、世界で最も愛され、しかし同時に世界で最も不遇な扱いを受けている言葉なのだと、私は思う。
だから私は彼に言おう。
私もきっとあなたが好きなのだと思うと。
これが恋という感情ならば、私はあなたに恋をしているのだと。
「私もきっとあなたが好きなのだと思う。
これが恋という感情ならば、私はあなたに恋をしているのだと思う」
と私は言った。
「俺は不知火さんが俺に恋をしてくれてる事を願うよ」
と緒方健は言った。
「そうなの?緒方健は私が君を好きだったらウレシイの?」
と私は言った。
「そりゃもちろんさ」
と俺は言った。
「そうか。私も緒形健が私を好きでいてくれてウレシイ」
と不知火さんは言った。
「なんかスゴクうれしくなってきた」
と俺は言った。
「ねぇ緒形健……。失礼かもしれないけど、健ちゃんとか呼んでも良い?」
と不知火さんは言った。
「もちろん。言って言って」
と俺は言った。
「健ちゃん」
と不知火さんは言った。
健ちゃんと、親や親戚、友達に言われたことは何度もあった。
しかし特にうれしいとも思ったことはなかった。
不知火さんに今日初めて健ちゃんと呼ばれて、
その特別さに心が躍った。
言葉を録音して永久保存したい。
そう思った。
END




