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あなたの孤独をほどくまで  作者: らぴな
第1章 忘却の森

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第4話 金色の瞳と希望

 あの騒がしい朝から、数日が過ぎた。

 工房での奇妙な共同生活は、予想外に穏やかに……いや、少し騒がしく続いていた。


「カインさん、そっちは食べちゃダメです!」


 マリアが声を上げる。


 すると、干し肉の袋に鼻先を突っ込んでいた銀灰色の狼が、ビクッと体を震わせて振り返った。

 その口には、既に干し肉が一枚くわえられている。


 狼——カインは「しまった」という顔をして、ばつが悪そうに耳をぺたんと伏せた。


「もう……。お昼ご飯の分がなくなっちゃいますよ」


 マリアが困ったように言うと、カインはトボトボと近寄ってきて、マリアの足元にその大きな体を擦り付けた。


「クゥ〜……」


 上目遣いで見上げてくる金色の瞳は、完全に反省の色を示している……ように見せかけて、尻尾はパタパタと揺れている。


 あの朝、人間の姿に戻った彼は、改めて自身の身分を明かしたのだ。


 騎士だと。王都を守護する騎士。

 それは、雲の上のような高貴で厳格な人物のはずだ。


 ……はず、なのだが。


(……本当に、騎士様、なのかな?)


 マリアは苦笑しながら、その頭を撫でた。


 日中のカインは、基本的に狼の姿で過ごしている。


 彼曰く、『人間の姿を保つのは、呪いの力に逆らい続けることになるため、著しく体力を消耗する』のだそうだ。

 そのため、普段はこの狼の姿で過ごすことで、呪いによる負担を最小限に抑え、力を温存している。


 問題なのは、この姿になると、どうも思考まで本能的な動物寄りになってしまうらしいことだ。

 マリアが本を読んでいれば邪魔をしに来るし、掃除をしていれば箒にじゃれつく。


 そして何より、隙あらばマリアに触れようと甘えてくる。


「ほら、あっちで大人しくしててください」


「ワンッ!」


 カインは嬉しそうに鳴くと、言われた通り暖炉の前のラグへと駆けていき、そこでくるりと回って伏せた。


 マリアは、そんな彼を見て小さくため息をついた。


 人間の時のあの理知的な青年と、この甘えん坊な狼。

 そのギャップに、まだ少し戸惑っている。


 けれど、この賑やかな日常が、孤独だった工房に温かい色を与えているのも事実だった。



* * *



 その夜。

 夕食のスープを煮込み終えたマリアは、テーブルに二人分の食器を用意した。


「カインさん、ご飯できましたよ」


 暖炉の前で丸まっていたカインが、待ってましたとばかりに起き上がり、尻尾を振って近づいてくる。

 彼はマリアの前に座ると、その額を、マリアの手袋をはめた手に、こん、と押し付けた。


「人間に、戻りますか?」


「ワン」


 マリアは頷くと、手袋を外した。

 露わになった素肌。


 カインは、それを待ちわびていたかのように目を細め、自らマリアの手のひらに額を擦り付けた。


「……いきます」


 マリアの指が、銀灰色の毛並みの奥にある皮膚に触れる。


 その瞬間、彼女の掌から冷たく静かな力が流れ込み、カインの体内で荒ぶる呪いの熱を、しゅぅぅ……と鎮めていく。


 ――カッ。


 淡い光が溢れる。

 光が収まると、そこには狼の姿はなく——。


 シャツとズボンを身につけた、人間のカインが座っていた。


「……ふぅ。やはり、この姿が落ち着くな」


 カインは自分の手を見つめ、深く安堵の息を吐いた。


 そして、マリアに向き直る。

 その瞳には、昼間の無邪気さはなく、理知的な光が宿っている。


「ありがとう、マリア殿。……昼間は、その、すまなかった」


 カインは、ほんのり顔を赤らめて咳払いをした。


「どうも、あの姿になると……理性が本能に負けるというか、君に構ってもらいたくて仕方がなくなるんだ。無礼な振る舞いをしていなかっただろうか……」


「い、いえ! 全然!……ちょっと元気だっただけです」


 マリアは慌てて首を振った。箒にじゃれついていたことなど、彼の名誉のために口が裂けても言えない。


 二人はテーブルにつき、温かいスープを口にした。


 カインが人間の姿でいられる時間は、今のところ一日のうち数時間が限界だ。

 マリアの力が呪いを抑えているとはいえ、時間が経てば呪いの反発が強まり、強制的に狼に戻ってしまう。


 だからこそ、こうして言葉を交わせる食事の時間は、二人にとって貴重なひとときだった。


「やはり、君の手が鍵のようだ」


 カインは、スープを飲みながら、真剣な表情で語り始めた。


「俺の呪いを抑える条件はシンプルだ。君がその素手で俺に触れること。それだけで、俺の体内で暴れる呪いの魔力は大人しくなる」


「私の……手」


「ああ。だが、君の手が離れれば、鎮静効果は徐々に薄れ、いずれまた獣に戻る。……今の俺には、君の定期的な接触が必要不可欠だ」


 カインは、テーブルの上に置かれたマリアの手袋越しの手を、そっと見つめた。


「マリア殿。君の力は、俺にとって唯一の希望だ」


 カインの言葉に、マリアは息を呑んだ。


「希望……?」


「そうだ。君のおかげで、俺はこうして人間としての尊厳と、理性を取り戻せる。……君がいなければ、俺は永遠に獣のまま、自我を失っていただろう」


 カインは、マリアの手を、そっと両手で包み込んだ。

 手袋越しに伝わる、彼の体温。


「君のその力は、呪いなんかじゃない。俺を救ってくれた、救済の力だ」


「……っ」


 マリアの目から、涙が溢れた。

 生まれて初めて、自分の力を肯定された。


 害悪だと思っていたこの手が、誰かを救えるのだと言われた。


「ありがとう……ございます……」


 マリアは涙を拭い、カインを見つめ返した。


 この人のために、何かしたい。

 ずっと呪いだと恐れてきたこの力が、彼を救う希望になれるのなら。


「私……協力します。あなたの呪いを解く方法、一緒に探しましょう」


 カインは、マリアの決意に、優しく、力強く頷いた。


 こうして、限られた時間だけ人間に戻れる呪われた騎士と、その鍵を握る魔女の、本当の意味での共生生活が始まったのだった。

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