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あなたの孤独をほどくまで  作者: らぴな
第3章 王都動乱

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第46話 静寂の介入

「マリア……ッ!?」


 カインの絶叫が、爆音と土煙にかき消されそうになる。


 瓦礫の陰から飛び出し、二人の前に立ちはだかったのは、あまりにも小さく、華奢な背中だった。

 足はもつれ、顔は涙と煤で汚れ、全身が恐怖でガタガタと震えている。


 それでも彼女は、逃げるどころか、死地へと身を投げ出したのだ。


「馬鹿な……!何をしている、逃げろマリア!!」


 カインが血を吐くような思いで叫ぶ。


 体は動かない。指一本動かす力も残っていない。


 目の前には、山のように巨大な魔獣。

 その八つの首が鎌首をもたげ、口元には世界を終わらせるほどの質量を持った死が、渦巻いている。


「虫ケラが増えたか」


 頭上から、嘲笑うような声が降ってくる。

 八つの首を持つ魔獣ヴァルロアが、眼下の少女を見下ろしていた。

 その瞳にあるのは、獲物を屠る、残虐な光だけ。


「まとめて消えろ!」


 ヴァルロアの八つの顎が、一斉に開かれた。


 それぞれの口に溜め込まれていた紫色の閃光が、中心の一点に収束し、太陽をも飲み込むほどの巨大な、混沌の球体となって放たれた。


 直撃すれば、骨も残らない。

 広場どころか、国ごと消滅させる、回避不能の高密度な魔力。

 それが、音を置き去りにする速度でマリアへと迫る。


「あ……」


 マリアは、迫りくる死の影を見上げた。


 怖い。足がすくんで動かない。呼吸が止まる。

 本能が『逃げろ』と叫んでいる。


 ――けれど、どこへ?


 目の前で渦巻く巨大な力の塊は、全てを消し飛ばすほどの質量だ。


 私がここで逃げようと、その場に留まろうと、結果は変わらない。

 私たち全員、跡形もなく消えてなくなる。


(それなら、どうして……私は、前に出たの?)


 策なんてなかった。勝算なんてあるはずがない。


 ただ、ボロボロになったカインとルーカスが、これ以上傷つくのを見たくなかった。

 大好きな人たちが失われる瞬間を、指をくわえて見ていたくなかった。

 それだけの想いで、体が勝手に動いてしまったのだ。


 後のことなんて、何も考えていない。

 どうすれば助かるのかなんて、分からない。


 ただ、嫌だ。

 この結末だけは、認めたくない。


「……やめて」


 マリアは、恐怖でギュッと目を閉じた。

 そして、反射的に両手を前に突き出した。


「来ないでぇぇぇッ!!」


 悲鳴にも似た絶叫。


 それは、ただひたすらに拒絶を願う、魂の叫びだった。


 私に触れるな。私の大切な人たちを傷つけるな。

 この場所から、その悪意を消し去りたい。


 ゴオオオォォッ!!


 すべてを飲み込む紫色の奔流が、マリアの華奢な体を呑み込んだ――はずだった。


 ――。


 いつまで経っても、衝撃は来なかった。


 痛みも、死も訪れない。


 代わりに聞こえてきたのは、シュウゥゥ……という、熱した鉄を水に入れたような、何かが急速に冷えて消えていく音だけ。


 マリアがおそるおそる目を開ける。

 そこで彼女が見たのは、信じられない光景だった。


 眼前の空中で、巨大な混沌の球体が止まっていた。

 いや、止まっているのではない。


 マリアが突き出した両手、その手袋は焼き切れていたが、露出した肌の先に触れた部分から、強大な魔力塊が音もなく無へと還っていたのだ。


「な、なんだ……?」


 ヴァルロアの驚愕の声が響く。


 彼は信じられないものを見る目で、自身の放った必殺の一撃が、少女の掌一つで吸い込まれるように消滅した光景を凝視していた。


「私の力が……消えた……?」


 ヴァルロアは呆然と呟いた。


 魔法による防御でも、相殺でもない。

 これは、もっと根源的な――理の否定だ。


「……ぐっ」


 ヴァルロアが、後ずさった。


 本能的な恐怖。

 絶対的な強者であるはずの自分が、あんなちっぽけな小娘一人に、底知れぬ脅威を感じている。


「貴様……貴様は、何だぁぁぁッ!?」


 ヴァルロアが咆哮する。


 残った魔力を振り絞り、触手のような前足や、牙による物理攻撃を繰り出そうと身構えた。

 だが、その本能は『触れてはならない』と警鐘を鳴らし、動きが鈍る。


「マリア、逃げろ!」


 カインが叫ぶ。


 だが、マリアは動かなかった。

 彼女は自分の震える両手を見つめていた。


(止められた……。でも、これは守る力じゃない)


 目の前で霧散した混沌の球体。


 それは、彼女が願った通りに無かったことになった。

 彼女の力は、対象の魔力循環を止め、存在を改変し、無へと帰す力。


 あの巨大な怪物を止めるには、この手で触れて、その命を強制的に奪うしかない。


(この手が汚れてもいい。人殺しになってもいい。……あなたが生きていてくれるなら)


 マリアは涙を拭い、振り返った。


 そこには、必死の形相で彼女を見つめるカインがいる。


 彼は首を振っている。

 そんなことをする必要はない、と。


 マリアは、震える唇で、精一杯の笑顔を作った。


「……ごめんなさい、カインさん。私、行きます」


 マリアは前を向いた。


 その瞳に宿るのは、怯えではない。悲壮なまでの覚悟。

 彼女は地面を蹴った。


 怪物へ向かって、たった一人で走り出す。


「小娘ぇぇぇ!近寄るな!近寄るなぁぁぁッ!!」


 ヴァルロアが、初めて恐怖を叫んだ。


 巨大な魔獣が、小さな少女に怯えて後退する。

 吐き出される毒霧も、混沌の光線も、マリアが手をかざすだけで砂となり、光となって消え失せる。


 誰も、彼女を止められない。

 マリアは嵐のような攻撃をかいくぐり、ついにヴァルロアの傍まで近寄った。


「……ごめんなさい」


 謝罪と共に、彼女の手が、魔獣に触れる。


 キィィィン……。


 世界から音が消えた。


 ヴァルロアの巨大な肉体が、足元から頭頂部まで、ピタリと止まる。

 魔獣の中の暴れ狂う強大な混沌の魔力が、マリアが触れた一点から急速に停滞していく。


 それはあたりの空気までを凍てつかせるような、静寂だった。

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