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あなたの孤独をほどくまで  作者: らぴな
第3章 王都動乱

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第45話 絶望の淵

「グルルルルル……ッ!!」


 王都の中央広場に、地獄の底から響くような咆哮が轟いた。


 宰相ヴァルロアの成れの果て――八つの首を持つ巨大な蛇の魔獣が、その鎌首をもたげ、眼下の広場を睥睨している。

 変貌の瞬間に放たれた衝撃波は、広場にいた全ての者を無慈悲に吹き飛ばしていた。


「……ぐ、ぅ……」


 土煙が晴れた広場は、死屍累々の様相を呈していた。


 ヴァルロアの私兵たちも、カインと共に戦っていた義勇軍の騎士たちも、敵味方の区別なく吹き飛ばされ、石畳の上や瓦礫の山に打ち付けられて動かない。


 皆、気絶しているか、あるいは――。


「バルト……ッ!」


 カインが悲痛な声を上げて駆け寄る。


 瓦礫の陰に、岩のような巨躯が倒れていた。副団長バルトだ。


 彼は仲間を庇うように両手を広げたまま、頭から血を流して意識を失っている。

 その頑強な肉体をもってしても、直撃した衝撃には耐えきれなかったのだ。


 さらに奥を見れば、逃げ遅れた市民たちが折り重なるように倒れているのが見える。


「くそっ……! なんてことを……!」


 カインはギリリと奥歯を噛み締め、剣を握り直した。

 自分とルーカスが立っていられるのは、奇跡ではない。


「……はぁ、はぁ。……間に合ったか」


 隣で、ルーカスが荒い息を吐きながら杖を下ろした。


 彼に展開されていたドーム状の光の障壁が、パリンと音を立てて砕け散る。

 衝撃波が到達する寸前、ルーカスがとっさに白銀の杖を掲げ、広範囲防御魔法を展開して衝撃を和らげたのだ。


 だが、その代償は大きかった。

 ルーカスの顔色は雪のように白く、杖を持つ手は微かに震えている。

 一撃を防ぐだけで、魔力の底が見えるほど、消費させられたのだ。


「……呆れた質量だ。あれを削り切るには、剣が何本あっても足りないかもしれん」


 カインが魔獣を見上げ、低く呟く。


 その声に絶望の色はない。

 あるのは、あまりに巨大すぎる障害を前にした、騎士としての冷静な分析と、それでもやるしかないという覚悟だけだった。


 その巨体から放たれる瘴気だけで、広場の空気が腐食していくようだ。


 周りには動ける者はいない。

 残されたのは、満身創痍の二人だけ。


「ふん……」


 隣で、ルーカスが口の端を吊り上げ、強がるように笑ってみせた。


「ポジティブに考えたまえよ、カイン。あんなに無駄にでかい図体だ。……いい的じゃないか」


 ルーカスの軽口に、カインは口元を緩めたが、すぐにその視線は足元――瓦礫の下で動かないバルトや、倒れ伏す市民たちへと彷徨った。


「……だが、皆が」


「気にするな。彼らは気絶しているだけだ」


 ルーカスが鋭く、けれど力強く告げる。


 彼は震える手で杖を握り直し、石突をカツンと石畳に打ち付けた。

 その瞳には、絶望ではなく、燃えるような闘志と、研究者としての意地が宿っていた。


「僕らが勝てば、助かる。……今は前だけを見ろ」


「……ああ、そうだな。ルキ」


 カインが迷いを捨てて剣を構えるのを見て、ルーカスはニヤリと笑った。


「行くぞ。今の僕の全魔力を、一滴残らず使ってやる。……この一撃で足場を作る。君は奴の核を狙え!」


 とうに限界を迎えているその体は悲鳴を上げ、口の端からは鮮血が流れる。


 だが彼は諦めない。


 ルーカスは杖を振り上げると、枯渇寸前の魔力を無理やり絞り出し、最大級の術式を編み上げる。


「――蒼氷界ニブルヘイム!」


 その詠唱と共に、広場の景色が一変した。


 杖から放たれた冷気が爆発的に広がり、地面を、瓦礫を、そしてヴァルロアの足元を瞬く間に凍てつかせていく。


 さらに、空中に無数の氷の柱が出現し、巨大な魔獣の周囲を取り囲む階段状の足場を形成した。


「駆け上がれッ!!」


 ルーカスの叫びに呼応し、カインが地を蹴った。

 銀色の残像となり、氷の柱を駆け上がる。


「小賢しいわ、虫ケラどもが!」


 ヴァルロアの八つの首が一斉に動き、カインを狙って喰らいつく。

 だが、カインは空中で身をひるがえし、氷の足場を蹴って加速した。


「遅いッ!」


 白銀の剣閃が走る。


 ザンッ!!


 最も太い首の一つが、半ばから切断され、ドロリとした黒い体液を撒き散らしながら宙を舞った。


「やったか!?」


 カインが着地し、振り返る。

 だが、その期待は無惨にも裏切られた。


 ボコ、ボコボコ……。


 切断された首の断面から、黒い肉が泡立つように膨れ上がり、瞬きする間に新たな首が再生したのだ。

 それどころか、一本だった首が二本に分かれ、さらに凶悪さを増している。


「「無駄だと言っただろう。混沌は無限、私は不滅だ!」」


 増殖した首たちが、嘲笑うように揺れる。

 絶望的な再生能力。斬れば斬るほど、敵は増え、強くなる。


「くそっ、キリがない……!」


「カイン、避けろ!」


 ルーカスの悲鳴に近い警告。

 ヴァルロアの全ての首が大きく口を開け、紫色の閃光を収束させていた。


「消え失せろ!」


 ドォォォォォンッ!!


 八方向から放たれた極太の熱線ブレスが、広場を焼き尽くす。

 カインは回避が間に合わず、衝撃波で吹き飛ばされた。


「ぐあ、ッ……!」


「カイン!」


 ルーカスが杖を掲げ、氷の障壁を展開するが、熱線の威力は桁違いだった。


 幾重にも重ねた氷壁が、飴細工のように溶解し、砕け散る。

 余波だけでルーカスの体は木の葉のように舞い、瓦礫の山へと叩きつけられた。


「が、はッ……!」


 ルーカスが血を吐き、地面に伏す。


 杖を持つ手が震え、指先の感覚がない。

 魔力は底をつきかけ、視界が霞む。


 あれだけの大魔術を使っても、傷一つつかない怪物。

 これが、人の身を捨てた代償だというのか。


「ルキ……立てるか……」


 瓦礫を退け、カインがふらふらと立ち上がる。


 鎧は砕け、全身から血を流しているが、それでも彼は剣を離していない。

 カインはルーカスの前に立ち、震える足で踏ん張った。


「まだだ……。まだ、終わらせ、ない……!」


「よせ、カイ、ン……。今の君じゃ、盾にも、なら、な……」


 ルーカスが止めようとするが、声がまともに出ない。


 二人の頭上に、巨大な影が落ちる。

 ヴァルロアが、その巨体で二人を見下ろしていた。


「終わりだ、騎士崩れと魔術師風情が。……貴様らの絶望こそが、私の糧となる」


 八つの首が、鎌首をもたげる。


 その口には、先ほどよりもさらに巨大な、圧縮された混沌の球体が渦巻いていた。

 直撃すれば、骨も残らない。


 ――完全なる死の宣告。


「逃げろ、ルキ……」


 カインが、背後の友に告げる。


 だが、逃げる場所などどこにもないことは、二人とも分かっていた。

 カインは剣を構えることすらできず、ただルーカスを庇うように両手を広げた。


 ――すまない、マリア。約束は、守れそうにない。


 カインが覚悟を決めて瞳を閉じた、その瞬間。


「やめてぇぇぇッ!!」


 戦場に響いたのは、凛とした聖女の声ではなく、喉が裂けんばかりの悲痛な叫びだった。


「――!?」


 カインが弾かれたように目を開ける。

 瓦礫の陰から、小さな影が飛び出してくるのが見えた。


 足はもつれ、顔は涙と煤で汚れ、全身が恐怖でガタガタと震えている。

 それでも、彼女は迷うことなく、死地へ向かって駆けてくる。


「マリア……ッ!?」


 カインの絶叫が、爆音にかき消されそうになる。

 マリアが、二人の前に立ちはだかった。

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