第44話 暴かれる闇
「ええい、おのれ、おのれぇぇ……!」
王都の中央広場に、ヴァルロア公爵のヒステリックな絶叫が響き渡る。
戦況は、彼の予想を裏切り、完全に拮抗していた。
数で勝るはずの強化兵たちは、カイン一人に翻弄され、バルト率いる義勇軍の気迫に押されている。
「なぜだ!なぜ貴様らごときに、我が精鋭が後れを取る!」
ヴァルロアが玉座の肘掛けを殴りつける。
その焦りは、広場を埋める市民たちにも伝播していた。
彼らは気づき始めていたのだ。
魔獣と呼ばれたカインが、誰一人として殺さず、ただ仲間を守るために剣を振るっているのに対し、宰相であるヴァルロアが、市民を巻き込むことも厭わずに攻撃命令を出していることに。
「見苦しいぞ、ヴァルロア!」
カインが一閃し、眼前の兵士を吹き飛ばす。
彼は切っ先を玉座の独裁者へと向け、凛と言い放った。
「貴様の化けの皮は剥がれた。……罪なき民を実験台にし、魔獣へと変えた罪、その身で償ってもらうぞ!」
「黙れ、黙れ黙れッ!!」
ヴァルロアは顔を真っ赤にして地団駄を踏む。
自身の権威、完璧な計画、そして支配者としてのプライド。
それら全てが、たった一人の騎士によって泥にまみれようとしている。
――許せない。
愚民どもが自分を見下すような視線も、カインの正義面も、何もかもが許せない。
「……いいだろう。ならば、見せてやる」
ヴァルロアの瞳から理性の光が消え、代わりに濁った狂気が満ちる。
彼は懐から、拳大の、黒い歪な石を取り出した。
それは、地下の実験場にあったものと同質の石だったが、比べ物にならないほどの高純度な混沌の魔素をまとい、禍々しいオーラを放っていた。
「公爵、まさか……!」
ルーカスが戦慄する。
ヴァルロアはニヤリと口の端を吊り上げると、躊躇うことなく、その鋭利な石を自らの首筋へと突き立てた。
「私が導いてやらなければ、貴様らはただの餌だというのに。……全て、食らい尽くしてやるわァッ!!」
ズブリ。
肉を裂く音と共に、石が体内に埋没する。
――瞬間。
ドクンッ!!
ヴァルロアの心臓が、広場全体を震わせるほどの巨大な鼓動を打った。
彼の口から、目から、耳から、ドス黒い粘液のような魔力が噴き出す。
肉体が内側から裂け、骨格がメキメキと音を立てて膨張していく。
「グ、ギギ……アアアアアアアッ!!」
人の形が崩れ去る。
深紅の法衣は引き裂かれ、中から現れたのは、ぬらりと黒光りする鱗と、無数に蠢く首だった。
王城の塔をも見下ろすほどの巨体。
八つの首を持つ、伝説の多頭蛇のごとき異形。
「グルルルルル……ッ!!」
怪物と化したヴァルロアが、天を仰いで咆哮した。
その衝撃波だけで、広場の周囲にある建物の窓ガラスが一斉に砕け散り、石畳が捲れ上がる。
「な……ッ!?」
カインとルーカスは、吹き荒れる暴風に腕をかざし、耐えるのが精一杯だった。
圧倒的な質量と、吐き気を催すほどの濃密な混沌の気配。
それは、人間が太刀打ちできる領域を超えた、災害そのものだった。
「……カイン、下がるんだ!」
ルーカスが叫ぶ。
だが、怪物の八つの首が、一斉に広場の二人を睨みつけた。
巨大な顎が開き、紫色の閃光が収束していく。
ドォォォォォォォンッ!!
放たれた極太の熱線が、広場を縦断し、カインたちを飲み込まんと炸裂した。
* * *
その衝撃は、遠く離れた貧民街にまで届いた。
ズズン……!
隠れ家の地下。
天井から、パラパラと砂埃が落ちてくる。
地面が揺れ、棚の薬瓶がカタカタと音を立てた。
「きゃっ……!」
マリアは咄嗟に身を屈め、頭を守った。
地震?いや、違う。
この揺れには、肌が粟立つような、禍々しい魔力の波長が含まれている。
「な、なんだ今の揺れは……!」
「広場の方角だぞ!」
留守を預かる負傷兵たちが騒ぎ出す。
マリアは、震える手で胸元を握りしめた。
――嫌な予感がする。
心臓が早鐘を打ち、冷たい汗が背中を伝う。
この揺れは、ただ事ではない。
カインたちがいる場所で、何か恐ろしいことが起きている。
(カインさん……ルキ様、バルトさん……)
約束した。『ここで待っている』と。
足手まといになる自分は、安全な場所で祈っていることしかできないと、そう納得したはずだった。
――けれど。
(……もし、皆さんが傷ついていたら?)
あの揺れのような攻撃を受けたとしたら、無事では済まないはずだ。
血を流し、痛みに苦しんでいるかもしれない。
そこに、自分の力があれば。
戦うことはできなくても、傷を癒すことならできる。
命を繋ぎ止めることならできる。
「……っ」
マリアは立ち上がった。
膝が震える。怖い。戦場なんて行きたくない。
でも、それ以上に。
大切な人が傷ついているかもしれないのに、ただ待っているだけの時間は、耐えられなかった。
「マ、マリア殿!?どこへ!?」
驚く兵士たちの声を背に、マリアは隠れ家の扉を押し開けた。
「ごめんなさい、カインさん。……私、約束を破ります」
マリアは、深い色の手袋を握りしめ、地上へと続く階段を駆け上がった。
陽の光の下へ。
愛する人たちが戦う、死地へと向かって。




