第43話 白銀の帰還
「……反逆者は貴様だ、ヴァルロア」
カインの凛とした声が、広場に響き渡る。
その一言は、凍りついていた時間を溶かす劇薬のように、広場を埋め尽くす群衆に波紋を広げた。
「あ、あれは……カイン騎士団長?」
「人間の姿だ……。魔獣じゃないぞ?」
ざわめきが広がる。
市民たちは、ヴァルロアの布告により、カインが理性を失った醜悪な魔獣に成り果てたと聞かされていた。
だが、今、彼らの目の前に立っているのは、銀灰色の髪を風になびかせ、磨き上げられた白銀の鎧を纏った、かつての英雄の姿だった。
その瞳に宿るのは、獣の狂気ではない。
王都を守り、民を愛した、高潔なる騎士の黄金色の輝き。
「馬鹿な……!貴様、なぜここにいる!?とうに野垂れ死んでいたはずではなかったのか!?」
玉座のヴァルロアが、驚愕に顔を歪めて立ち上がった。
彼の計算では、カインはとうに呪いに蝕まれ、自我を失った獣として山中を彷徨い、誰にも知られず朽ち果てているはずだった。
二度と王都の土を踏むことなどあり得ない――それが、彼にとっての既定事項だったはずだ。
――なのに、なぜ。
協力者である魔術師たちからは、『カインの獣化は進行している』と報告を受けていた。
死んでいるどころか、なぜ全盛期と変わらぬ、いやそれ以上に神々しい騎士の姿で、我が目の前に立っているのだ?
「貴様の呪いは、もう俺を縛れない」
カインは、自身の胸――理の楔が融合し、温かな脈動を刻むその場所に、強く手を押し当てた。
「俺はもう、二度と獣には堕ちない」
それは、ヴァルロアへの宣言であり、自分自身への誓いでもあった。
カインは迷いなく剣を掲げ、広場を見渡す。
「王都の民よ、聞け!私は魔獣ではない!聖銀騎士団長、カインだ!ここに捕らえられた騎士たちは、魔獣の手先などではない。国を想い、正義を貫こうとした誇りある同胞だ!彼らに罪を着せ、処刑しようとする者こそが、この国を蝕む真の悪だ!」
カインの言葉は、魔術による拡声なしでも、朗々と広場の隅々まで届いた。
市民たちの目に、迷いの色が浮かぶ。
彼らが信じていた正義と、目の前の真実。どちらが正しいのか、心が揺れ動く。
「黙れ、黙れ黙れッ!!」
ヴァルロアが金切り声を上げた。
自身の権威が、完璧だったはずの支配が、たった一人の男の登場によって揺らいでいる。
その事実が、彼のプライドを逆撫でした。
「その男は魔獣だ!人の皮を被り、言葉巧みに人を惑わす悪魔だ!衛兵、殺せ!その化け物の首を刎ねよ!」
ヴァルロアのヒステリックな命令が下る。
処刑台を取り囲んでいた兵士たちが、一斉に槍を構えて殺到した。
彼らはただの衛兵ではない。
ヴァルロアによって強化を施された、自我の薄い私兵たちだ。
その動きは人間離れして速く、目には狂気が宿っている。
「来るか」
カインは静かに剣を構えた。
数は三十以上。四方八方から突き出される殺意の刃。
だが、カインの瞳に焦りはない。
「――遅い」
ヒュンッ――。
風が鳴る音と共に、カインの姿がブレた。
彼が体内に取り込んだ理の楔は、呪いを抑え込むだけでなく、彼自身の身体能力を極限まで高め、固定している。
今の彼は、全盛期をも上回る速度と力を手にしていた。
ガギィンッ!
先頭の兵士の槍が、見えない刃に弾かれたように宙を舞う。
カインは懐に飛び込み、剣の柄頭で兵士の鳩尾を的確に打ち抜いた。
「がはっ……」
兵士が泡を吹いて崩れ落ちる。
カインは止まらない。
流れるような足運びで敵陣の中をすり抜け、次々と兵士を無力化していく。
斬撃ではない。
峰打ち、足払い、関節技。
圧倒的な力と速度を持ちながら、カインは決して敵を殺さなかった。
「くっ、速い……!捉えきれん!」
「これが、魔獣の力か……!?」
兵士たちが恐怖に声を上げる。
だが、それを見ていた市民たちの反応は違った。
「違う……あれは……」
最前列にいた老人が、震える声で呟く。
「あれは、『白銀流』……。我らが騎士団に伝わる、護りの剣術だ……!」
獣のように暴れまわるのではない。
洗練された所作。無駄のない動き。
そして何より、敵の命すら奪わずに制圧する慈悲の心。
それは、市民たちがかつて憧れ、頼りにしていた『聖銀騎士団長カイン』の姿そのものだった。
「おのれ、おのれぇぇ……!なぜだ、なぜ貴様ごときが!」
自分の兵士たちが子供扱いされる光景に、ヴァルロアは顔を紅潮させて地団駄を踏む。
カインは、最後の兵士の武器を弾き飛ばし、切っ先をヴァルロアへと向けた。
「終わりだ、ヴァルロア。貴様の作った舞台は、もう幕引きだ」
静寂が戻った広場に、カインの声が響く。
その背中には、かつての部下たちが、そして広場を埋め尽くす市民たちが、熱い視線を注いでいた。
恐怖は、消えつつあった。
代わりに芽生え始めたのは、英雄の帰還に対する、抑えきれない期待と希望の灯火だった。




