第42話 断罪の広場、逆襲の号砲
正午の鐘が、重苦しく鳴り響く。
王都アルジェンティアの中央広場は、かつてないほどの異様な熱気に包まれていた。
広場を埋め尽くすのは、数千の市民たちだ。
だが、そこに祭りのような陽気さは微塵もない。
彼らの顔に張り付いているのは、不安と恐怖、そして魔獣の眷属とされる罪人たちへの、歪んだ好奇心だった。
「見ろ、あれが……」
「騎士様たちが、まさか魔獣の手先だったなんて」
ひそひそと交わされる囁き。
広場の中央には、巨大な処刑台が設えられていた。
その上に、ボロボロになった数名の男たちが、太い鎖で繋がれ、石床に跪かされている。
彼らは皆、かつて聖銀騎士団の鎧をまとい、街の誇りであった騎士たちだ。
だが今は、拷問の末に痩せ細り、虚ろな目で地面を見つめている。
その背後には、顔を黒い布で隠した処刑人が、巨大な戦斧を構えて立っていた。
「静粛に!」
鋭い声が響き、広場が静まり返る。
処刑台のさらに上段。天蓋付きの豪奢な玉座から、一人の男が立ち上がった。
――宰相、ヴァルロア公爵である。
彼は深紅の法衣を優雅に纏い、眼下の群衆を見下ろした。
その細められた瞳の奥には、獲物を前にした蛇のような冷酷な光が宿っている。
「愛する王都の民よ。……私は悲しい」
ヴァルロアが、よく通る美声で演説を始めた。
「ここにいる彼らは、かつて我々の守護者であった。だが、見よ。彼らの魂は今や、あの忌まわしき『魔獣カイン』の毒気に侵され、正気を失ってしまった」
ヴァルロアは大げさに嘆いてみせる。
「彼らは『獣の王』を崇拝し、王都に混乱と恐怖を招き入れた。……もはや、彼らを救う手立てはない。人の皮を被った獣を野放しにすれば、次に牙を剥くのは、君たちの家族かもしれないのだ」
市民たちの間に、動揺が走る。
獣化病の恐怖。
それが身近な脅威として突きつけられ、哀れみは次第に、排除すべき敵への敵意へと変わっていく。
「故に、私は決断した。……彼らの魂を救済し、王都の安寧を守るために。これより、浄化の儀を執り行う!」
オォォォォ……!
群衆から、どよめきとも歓声ともつかない声が上がる。
ヴァルロアは満足げに頷き、処刑人に合図を送った。
「やれ」
処刑人が、ゆっくりと戦斧を振り上げる。
刃が、真昼の太陽を反射して鈍く光る。
跪く騎士の一人が、最期を悟ったように目を閉じた。
斧が、振り下ろされる。
誰もが息を呑んだ、その瞬間。
――ガギィィィンッ!!
空気を切り裂く音と共に、鋭利な『何か』が飛来し、振り下ろされた戦斧を横から弾き飛ばした。
処刑人の手から斧がこぼれ落ち、石床に激しい音を立てる。
「なっ……!?」
処刑人が驚愕に目を見開く。
斧を弾いたのは、一本の巨大な、氷の杭だった。
鋭い日差しの中、その氷柱だけが、冷気を撒き散らして地面に突き刺さっている。
「……その演説、少々聞き苦しいね、宰相殿」
凛とした声が、広場の上空から降り注いだ。
市民たちが一斉に空を見上げる。
広場を囲む建物の屋根の上。
そこに、一人の男が立っていた。
深い紺色の髪を風になびかせ、優雅に腕を組んで見下ろす魔術師――ルーカスだ。
「貴様……魔法師団長か!?」
「やあ。お招きいただいていないが、特等席で見させてもらったよ」
ルーカスは不敵に笑うと、組んでいた腕をほどき、指揮者のように指先を振り下ろした。
「だが、主役が遅れていてね。……開演にはまだ早い!」
彼の合図と共に、広場の入り口付近で爆発音が轟いた。
ドォォォンッ!!
目くらましの煙幕が巻き上がり、警備の兵士たちが狼狽する。
「敵襲だッ!」
「何だ、どこから現れた!?」
混乱する広場。
その白煙を切り裂いて、一団の影がなだれ込んできた。
先頭を駆けるのは、岩のような巨躯を誇る戦士――バルトだ。
「突撃ぃぃッ!!捕らわれた同胞を救い出せぇぇッ!!」
バルトの号令と共に、平民服を纏った騎士たちや、武装した市民たち――義勇軍が、怒濤の勢いで広場へと殺到する。
彼らは武器を振るい、処刑台を取り囲む兵士たちの防衛線を強引にこじ開けていく。
「……ククク。素晴らしい」
その光景を見下ろし、ヴァルロアは玉座からゆっくりと立ち上がった。
彼は芝居がかった動作で両手を広げ、恍惚とした表情で叫ぶ。
「よくぞ来た、愛しき反逆者たちよ!……待ちくたびれたぞ。主役不在のままでは、この断罪劇も幕を下ろせぬところだった!」
その声には焦りなど微塵もない。
あるのは、獲物がかかったことへの嗜虐的な喜びと、自らの脚本通りに事が運んだことへの陶酔だけだった。
「いいだろう、一網打尽にしてくれる!殺せ!一人残らず、反逆者どもを血祭りにしろ!」
ヴァルロアの命令により、待機していた増援の兵士たちが一斉に抜刀し、義勇軍へと襲いかかる。
広場は瞬く間に、剣戟と怒号が飛び交う戦場へと変わった。
市民たちは、悲鳴を上げて逃げ惑う。
数の上では、ヴァルロア軍が圧倒的に有利だ。
義勇軍はじりじりと押され、包囲されつつある。
「ククク……愚かな。所詮は烏合の衆よ。我が精鋭の敵ではない」
ヴァルロアが高笑いする。
絶望的な戦力差。
だが、バルトたちは引かなかった。
彼らの視線は、煙の向こう、まだ姿を見せぬ真打ちの登場を信じて揺るがない。
――その時。
戦場の喧騒を切り裂いて、一陣の風が吹き抜ける。
煙の中から、一人の男が飛び出した。
その速さは疾風の如く。
瞬く間に前線の兵士たちをすり抜け、処刑台へと躍り出る。
翻るマント。
そして、陽光を受けて眩い輝きを放つ、白銀の剣。
男は処刑台の中央に着地すると、捕らわれていた騎士たちの鎖を、流れるような剣技で一瞬にして断ち切った。
「――待たせたな」
男が顔を上げる。
その場にいた全員が、息を呑んだ。
銀灰色の髪。
意思の強さを宿した、黄金色の瞳。
その姿は、禍々しい魔獣などではない。
かつてこの国の誰もが憧れ、称えた、高潔なる英雄の姿そのものだった。
「カイン、団長……!」
解放された騎士が、涙声で叫ぶ。
カインは彼らに頷くと、剣を掲げ、玉座のヴァルロアを真っ直ぐに見据えた。
「……反逆者は貴様だ、ヴァルロア」
凛とした声が、広場に響き渡る。
王都動乱。
その勝敗を決する最後の戦いが、今、幕を開けた。




