第33話 真空の狩人
白亜の遺跡の入り口。
音もなく現れた影たちは、三人を取り囲むように展開していた。
その数、四人。
全身を夜闇のような黒衣で包み、顔には表情のない仮面をつけている。
彼らが放つ気配は、ただひたすらに鋭く、冷たい。
それは、人を殺めることを生業とする者特有の、研ぎ澄まされた殺気だった。
「……待ち伏せとは、感心しないね」
ルーカスが杖を突き、荒い息を整えながら睨みつける。
大気中の魔素が存在しないこの空間では、立っているだけで生命力を削られる。
肺が焼けるような息苦しさに、思考すら鈍りそうになる。
「カイン……気をつけろ。奴ら、この場所の理を知っている動きだ」
ルーカスの忠告に、カインは剣を構えて頷く。
敵の立ち振る舞いには、微塵の動揺もない。
魔素が枯渇したこの環境下で行動するための訓練を受けているのか。
あるいは特殊な装備で身を守っているのか。
いずれにせよ、今のカインたちにとっては最悪の相手だ。
「標的は『娘』のみ。……他は排除せよ」
仮面の奥から、無機質な声が響く。
合図と共に、四つの影が弾かれたように地を蹴った。
「させるかッ!」
カインが咆哮し、マリアを庇うように前に出る。
先頭の刺客が繰り出した短剣の突きを、剣の腹で受け流す。
だが。
「ぐっ……!?」
剣が、鉛のように重い。
普段ならば造作もなく弾き返せる一撃が、今のカインには岩を受け止めるような衝撃となって腕に走る。
魔素欠乏による身体能力の低下。
呼吸をするたびに力が抜けていく感覚。
「遅いな、元騎士団長殿」
刺客が嘲笑うように身を翻す。
カインが体勢を立て直すよりも早く、別の刺客が死角から肉薄していた。
「カインさん、後ろっ…!!」
「しまっ――」
反応が遅れる。
凶刃がカインの脇腹を捉えようとした、その刹那。
ガィィンッ!
硬質な金属音が響き、刺客の短剣が弾かれた。
割り込んだのは、白銀の杖。
ルーカスが、その身を挺して刃を受け止めたのだ。
「ルキ!」
「ぼさっとするな!」
ルーカスは苦悶の表情で杖を押し返す。
魔法使いである彼にとって、この環境はカイン以上に過酷だ。
体内の魔力回路が悲鳴を上げ、全身の血液が逆流するような不快感が襲っている。
それでも、彼は天才的な棒術で敵の連撃をさばき、カインの背中を守った。
「マリア、僕の傍から離れるな!」
ルーカスが叫ぶ。
マリアは青ざめた顔で、ルーカスの背中にしがみつくようにして頷く。
彼女だけは、この空間でも呼吸が乱れていない。
だが、戦闘に関しては無力だ。
彼女を守りながら、万全な状態の暗殺者四人を相手にするなど、正気の沙汰ではない。
(魔法を使えば一掃できる……だが、ここで体内魔力を使えば、後の探索が続かない。いや、下手をすれば僕自身が死ぬ)
ルーカスは歯噛みする。
敵もそれを知っているのだ。
こちらが魔法を使えないことを前提に、物理的な手数で攻め立ててくる。
「チッ、鬱陶しい……!」
カインが剣を振るうが、敵は軟体動物のような動きで回避し、決定打を与えられない。
じりじりと、体力が削られていく。
このままでは、ジリ貧だ。
――その時。
後方で指揮を執っていたリーダー格の男が、懐から奇妙な形の石を取り出した。
男はそれを、遺跡の床にある幾何学模様の窪みへと嵌め込む。
「――仕掛けか!」
ルーカスが叫んだ瞬間、地響きと共に遺跡が鳴動した。
ゴゴゴゴゴ……!
カインの足元の石床が、音を立てて崩落を始める。
「なっ!?」
カインは咄嗟に飛び退こうとしたが、疲弊した体は反応しきれない。
足場が消え、体が宙に浮く。
「カインさんッ!」
「カイン!」
マリアとルーカスの叫び声。
カインは落下しながら、必死に手を伸ばしたが、その指先は虚しく空を切った。
「くそっ……マリアを、頼むッ!!」
カインの姿が、暗い穴の底へと吸い込まれていく。
直後、ガコンという重い音と共に、分厚い石板が動き、穴を完全に塞いでしまった。
――静寂が戻る。
残されたのは、息を切らせて杖にすがるルーカスと、震えるマリア。
そして、四人の暗殺者たち。
「……分断、完了」
リーダー格の男が、冷酷に告げる。
彼らの視線は、もはやルーカスを通り越し、その背後にいるマリアだけに注がれていた。
――邪魔な騎士は排除した。あとは、死にかけの魔法使いと、無力な娘だけ。
「さあ、娘を渡してもらおうか。手荒な真似はしたくないが、抵抗するならその限りではない」
じり、と包囲網が狭まる。
ルーカスは杖を構え直すが、その手は微かに震えていた。
魔素欠乏による眩暈が酷い。
視界が明滅し、立っているだけでも精神力が削られていく。
「……お断りだね」
それでも、ルーカスは口の端を吊り上げ、不敵に笑ってみせた。
「僕の大切な友人から、頼まれごとをされたからね。……この子に指一本でも触れてみろ。後悔することになるぞ」
ハッタリだ。
魔法を使えない今の彼に、四人の精鋭を退ける力はない。
だが、天才のプライドと、背後にいる少女を守るという意志だけが、彼をその場に踏みとどまらせていた。
「愚かな。……殺せ」
無慈悲な号令が下る。
四方から同時に、刃が迫る。
――使うしか、ないか。
ルーカスは覚悟を決めた。
体内魔力を爆発させれば、敵を一掃できるかもしれない。
だが、それは自身の魔力回路を焼き切り、この魔素なき空間で命を落とすことを意味する。
――それでも。マリアを奪われるよりは、マシだ。
ルーカスの瞳に、決死の蒼い光が宿る。
彼が禁忌の一手を打とうとした、その瞬間だった。
敵の一人が、ルーカスの防御をすり抜け、マリアへと肉薄した。
「――ッ!」
ルーカスは思考するより早く、体を動かした。
魔法構築を破棄し、物理的にマリアを突き飛ばすようにして庇う。
敵の短剣が、ルーカスの外套を切り裂き、脇腹を浅く抉る。
「ぐっ……!」
苦痛に顔を歪めながらも、ルーカスは倒れ込むマリアを抱き留めた。
――だが。
体勢が崩れたその拍子に、ルーカスの左手が――手袋をしていない素手が、マリアの首筋に触れてしまった。
ドクン。
ルーカスの心臓が、凍りついたように跳ねた。
傷の痛みとは違う。
――もっと根源的な、死の感触。
指先が触れた場所から、体内の魔力循環が強制的に停止させられていく。
血液が泥に変わり、心臓が鼓動を忘れ、意識が暗黒へと引きずり込まれる。
――停滞。
「か、は……っ」
ルーカスの喉から、空気が漏れる音がした。
膝から力が抜け、その場に崩れ落ちる。
魔素欠乏に加え、マリアの能力による直接的な停止。
それは、魔法使いにとっての完全な死刑宣告に等しかった。
「ルキ様!?」
マリアの悲鳴が響く。
ルーカスの意識が遠のく中、敵の暗殺者たちが、好機とばかりに無防備な二人へと殺到するのが見えた。




