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あなたの孤独をほどくまで  作者: らぴな
第2章 雪解けの旅路

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第30話 安堵と見えざる脅威

 夜の河原には、パチパチと焚き火が爆ぜる音だけが響いていた。


 焼き魚を食べ終え、温かい白湯を飲み干したマリアは、満腹感と安堵からか、カインの隣でウトウトと船を漕ぎ始めている。

 やがて、規則正しい寝息が聞こえ始めると、それまで沈黙を守っていたバルトが、膝の上で拳を固く握りしめたまま、重い口を開いた。


「……団長。申し開きもございません」


 バルトの声は、震えていた。


「私は、貴方のことを信じると言いながら……心のどこかで、ヴァルロアの言葉に支配されていたのです」


「……バルト」


「聞いていただけますか。私が、何を見て、どうしてあのような凶行に及んだのかを」


 カインが静かに頷くと、バルトは炎を見つめながら、ポツリポツリと語り始めた。


「あの悲劇の日……私は遠征に出ており、王都にも、故郷の村にもおりませんでした。駆けつけた時には、すべてが終わっていた。……妻と娘の、変わり果てた姿だけが残されていました」


 バルトの顔が苦痛に歪む。

 守るべき者を守れなかった悔恨が、今も彼を苛んでいるのだ。


「失意の中、王都へ戻ると、そこは既にヴァルロア宰相の庭でした。陛下は病に伏せり、国政は彼が掌握していた。……そこで私は聞かされたのです。『騎士団長こそが王を呪い、魔獣となって村を襲った元凶だ』と」


「……それで、俺を追ってきたのか」


「いいえ。信じられませんでした。あの高潔な団長が、そんなことをするはずがないと。……だから私は、真実をこの目で確かめるために、あえて追撃隊に志願したのです」


 バルトはカインを見た。


「隊に紛れ込み、隙を見て離脱し、ずっと貴方を探していました。そしてあの宿場町で再会し……私は、貴方が人の姿でいることに安堵した。やはり嘘だったのだと」


 そこまで言って、バルトは悔しげに唇を噛んだ。


「ですが……宿での貴方は、私の問いに答えず、目を逸らされた。……あの時、私の中で抑え込んでいた疑念が、再び鎌首をもたげたのです。やはり、何かを隠しているのではないか、と」


「……ああ。その通りだ」


 カインは痛ましげに眉を下げた。


「俺は君に嘘をついた。君の疑念は、正しかったんだ」


「その心の隙を……突かれました」


 バルトは懐から、砕け散ったペンダントを取り出し、焚き火に放り込んだ。


「私が宿を出て、一人悩んでいる時でした。追撃隊に紛れ込んでいた男――赤いローブを纏った魔術師が現れたのです。奴は言葉巧みに私に近づき、こう言いました。『真実を暴くための道具を貸してやろう』と」


 それが、あの黒い魔力の奔流を生んだ媒体だったのだ。


「私は、それが混沌の力を宿した邪悪なものだとは気づけなかった。……ただ、真実を知りたい一心で、悪魔の手を取ってしまったのです」


 バルトが深く頭を下げる。

 カインは、薪をくべながら、静かに言った。


「顔を上げてくれ、バルト。……悪いのは、俺だ」


 カインは、眠るマリアの横顔に優しい視線を落としながら、自身の胸中を吐露し始めた。


「俺は、家族を失ったばかりの君に、これ以上の重荷を背負わせたくなかった。だから、自分の身に起きた呪いのことを隠した」


 カインは、自身の首筋に触れた。


「王都でヴァルロアの罠にかかり、この呪いを受けた俺は、命からがら逃げ出した。だが、北の忘却の森へ逃れる道中で、完全に狼へと変貌してしまったんだ」


「……では、あの姿は」


「ああ。ただの獣として雪山を彷徨い……魔獣に襲われ、致命傷を負った。……人としての理性を失い、あの雪の中で、俺の命は尽きるはずだった」


 カインの脳裏に、あの吹雪の夜が蘇る。

 凍え、血を流し、死を待つだけの獣だった自分。


「そんな俺を拾い、救ってくれたのが……マリアだった」


 カインの言葉に、バルトがマリアを見る。


「彼女の力は、君も見た通りだ。通常の生き物であれば、彼女の素肌に触れただけで、命の灯火を奪われてしまう」


「……はい……」


「だが、俺に対してだけは違うんだ」


 カインは、愛おしそうにマリアの寝顔を見つめた。


「彼女の力は、俺の体内で暴れる混沌の魔力のみを鎮め、獣の檻から救い出してくれる。……彼女だけが、俺を人間に戻し、理性ある騎士でいさせてくれる唯一の存在なんだ」


 その声には、単なる恩義を超えた、深く、切実な響きがあった。


 バルトはハッとしてカインの顔を見た。

 焚き火に照らされたカインの横顔は、かつて見たことがないほど穏やかで、慈愛に満ちていた。


「俺は、彼女に救われた。命も、心もだ。……だから俺は、命に代えても彼女を守ると誓った。それなのに、俺の不甲斐なさのせいで、君を巻き込み、あまつさえ彼女を危険に晒してしまった」


 カインはバルトに向き直り、頭を下げた。


「すまなかった、バルト。……君の忠義を信じきれず、遠ざけようとした俺の弱さが、すべてを招いたんだ」


「団長……」


 全てのピースが埋まった。


 カインが隠していたのは、後ろめたい罪などではなく、部下を思いやる優しさと、一人の少女への献身だったのだ。

 バルトの目から、再び熱いものが込み上げる。


「……勿体なき、お言葉です」


 二人の間に流れていた冷たいわだかまりが、焚き火の熱と共に溶けていく。

 残ったのは、雨降って地固まるような、より強固な信頼。


 ――その時だった。


 焚き火のすぐ横、何もない空間が陽炎のようにぐにゃりと歪んだ。


「――おや。随分と辛気臭いね。何を話していたんだか」


 唐突に響いた涼やかな声と共に、空間の歪みから一人の男が音もなく歩み出てきた。


 深い紺色の髪に、知的なエメラルドブルーの瞳。

 宮廷魔法師団長、ルーカスだ。


「ル、ルーカス殿!?」


「ルキ!」


 バルトが仰天し、カインが安堵の声を上げて立ち上がる。


 だが、ルーカスは二人の方を一瞥しただけで、その視線を一点に固定したまま早足で歩き出した。


「ルキ? おい、どうし――」


 カインの言葉を無視し、ルーカスは一直線にマリアの元へと駆け寄った。

 そして、その場に膝をつき、眠っていた彼女の顔を覗き込む。


「……マリア」


 その声色は、カインたちが聞いたこともないほど切羽詰まった、焦燥と安堵が入り混じったものだった。


 ルーカスは、マリアを起こさぬよう、そっとその体にかかったローブ越しに手を当てる。

 そこから伝わる、生きている人間のぬくもり。


 ――生きている。


 ほっと、今まで緊張していた肩からわずかに力が抜けていく。


 ルーカスの気配に、マリアがうっすらと目を開ける。


「ん……?あ、ルキ様……?」


「……起こしてしまったね、すまない。……無事かい?痛いところはないか?」


 ルーカスは矢継ぎ早に問いかけながら、マリアの体の無事を確かめるように見つめる。

 すると、彼の視線がマリアの髪――本来は漆黒であるはずの毛先が、色素が抜け落ちたように白く変色していることに釘付けになった。


「その髪……」


 ルーカスの顔色が変わる。


 ただ事ではない。


 魔力枯渇による一時的な白化とも違う、もっと根源的な変質。

 彼女の身に、一体何が起きたというのか。

 いつも冷静沈着な彼の瞳が、不安げに揺れる。


「だ、大丈夫です……。カインさんとバルトさんが、助けてくれましたから……」


「そうか……。よかった、本当によかった」


 ルーカスは痛ましげに眉を寄せ、心の底から安堵したように息を吐き出した。


 彼は懐から、深い色をした布を取り出す。

 それは、マリアが宿から連れ去られる際に落とし、ルーカスが探知魔法の媒介として使っていた、彼女の左手の手袋だ。


 ルーカスは、マリアが着けていたカインの予備の革手袋をそっと外す。


 素肌があらわになるが、彼は決してその肌に指先が触れぬよう、慎重に、けれど愛おしむように、丁寧に、本来あるべき深い色の手袋を差し出した。


「……これを、落としていたよ」


「あ……! おばあちゃんの……」


「大切な形見だろう。もう二度と、離しちゃ駄目だ」


 マリアが手袋を受け取り、手を通す。

 手袋には、いつの間にかルーカスの体温が移っていて、温かい。


 ルーカスはマリアが手袋に手を通し終わると、その手袋越しに彼女の手を両手でぎゅっと握りしめた。


「君が無事で……本当に……」


 額をマリアの手に押し付けるようにして呟くルーカス。

 その姿は、まるで祈りを捧げる信徒のような、純粋で切実な想いに満ちていた。


「ルキ様……ありがとうございます」


 マリアが嬉しそうに微笑むと、ルーカスはようやく顔を上げた。

 だが、その視線はまだ心配げにマリアの白い髪を追っている。


「……マリア。少し診させてもらうよ」


 ルーカスは手袋越しにマリアの手首に指を添え、微弱な検知の魔力を流し込む。  


(……髪の組織そのものが、魔素マナの影響を受けて『別の何か』に変質しかけている)


 そして、その奥底に潜む気配。

 マリアの魔力の源泉とも言うべき場所に、異質で、底知れない『何か』が鎮座しているのを、ルーカスは感じ取った。


(……これは、何だ?いや、今下手に刺激すれば、彼女自身に危険が及ぶかもしれない)


 ルーカスは内心で警戒を最大まで引き上げたが、表面上はマリアを不安にさせないよう努めて、穏やかな笑みを浮かべてみせた。


「心配ないよ。急激に魔力を放出したことによる、一時的な副作用だ。体に害はないし、時間が経てば元の黒髪に戻るかもしれない。……今は、勲章のようなものだと思っておけばいいさ」


「そ、そうですか……よかった」


 マリアがほっと胸を撫で下ろす。


 ルーカスは、ローブのフードの上から彼女の頭をポンと軽く撫でる。

 すると、ようやく立ち上がり、呆気にとられているカインとバルトに向き直った。


「……なんだい、その顔は」


「いや……。お前、俺たちのことは無視か」


 カインが呆れたように苦笑する。

 ルーカスは悪びれもせず、肩をすくめた。


「君たちは頑丈だからね。放っておいても死なないだろう?それより、か弱いお姫様のケアが最優先だ」


「相変わらずだな、お前は」


「それにしても、ルーカス殿。馬はどうされたのですか?」


 バルトが尋ねると、ルーカスは事も無げに答えた。


「置いてきたよ。単身で、しかも座標が分かっているなら、馬に揺られるより転移魔法の方が早いからね」


「つい数日前まで、魔力切れで倒れていた男の台詞とは思えないな」


 カインの軽口に、ルーカスはふん、と鼻を鳴らす。



* * *



 それから四人は焚き火を囲み、互いの持っている情報を共有した。


 カインとバルトが目撃した鉱山での惨劇、そしてマリアのもとへ至るまでのあの異質な森の様子。

 マリアを含め、三人が語る詳細な報告を、ルーカスは時折頷きながら、真剣な表情で聞き入っていた。


 一通りの話を聞き終えると、ルーカスは空中に指を走らせ、簡易的な地図を光の線で描き出した。


「……なるほど。状況は把握した」


 ルーカスが地図上の一点を指差す。

 場の空気が、一気に引き締まった。


「まず、今回の敵についてだ。鉱山にいた連中……深紅のローブを着た魔術師たちは、ヴァルロア公爵の私兵ではないだろうね」


「なんだと?」


「ヴァルロアの目的は、あくまでカイン――獣の王の討伐による王権の安定と、自身の権威付けだ。だからこそ、騎士団を動かして派手に包囲網を敷いた」


 ルーカスは地図上の王都の位置を指差す。


「だが、鉱山の連中は違った。彼らの目的はカインじゃない。……マリアだ」


 その言葉に、全員の視線がマリアに集まる。


「彼らはマリアを『至宝』と呼び、執拗に生け捕りにしようとした。恐らく、ヴァルロアとは協力関係にはあるが、目的を異にする別の組織……闇の組織とでも呼ぶべき連中が絡んでいる」


 ルーカスの分析に、バルトが唸った。


「つまり、敵は一枚岩ではないと?」


「ああ。そして厄介なのは、その闇の組織の方が、ヴァルロアよりも遥かにたちが悪いということだね。彼らは目的のためなら手段を選ばないし、ヴァルロア以上に倫理観も持ち合わせていない」


 ルーカスは焚き火に小枝を放り込んだ。

 火の粉が舞い上がる。


「鉱山での一件で、彼らはマリアの力の片鱗を見た。……そして、恐れたはずだよ。生存者がいたとしても……使い物にはならないだろう。だから、直近での追撃はないと踏んでいる」


「それなら、少しは安心できるのか?」


 カインの問いに、ルーカスは首を横に振った。


「逆だ。現場を知る者がいなくなったということは、組織の本隊はマリアの危険性を知らないまま、次なる手を打ってくるということだ。……より冷徹で、強力な手駒を使ってね」


 場の空気が張り詰める。


「街道や宿場町を使うのは、もう危険だ。検問もあるだろうし、何より人目につく。ここからは、道なき道を行くしかない」


 ルーカスが指し示したのは、地図にも載っていない深い森の奥。


 南へ。


 カインの呪いを制御するための古代遺物アーティファクトが眠る、始原の聖域への、未踏の地へのルートだった。


「……過酷な旅になるぞ」


 カインが覚悟を決めたように呟く。


 マリアはギュッとローブの裾を握りしめてうつむいた。


(こんな大事を起こして、このまま迷惑をかけっぱなしにしたくない……。私も、カインさんの、みんなの力になりたい)


 マリアは決意したように顔を上げる。


「私も、行きたいです」


 その瞳には、昨夜までの怯えとは違う、確かな意志の光が宿っていた。

 カインは優しく微笑み、ローブ越しに彼女の肩を抱く。


「ああ。一緒に行こう、マリア」


 夜が更けていく。


 焚き火を囲む四人の影は、揺らめきながら一つに重なっていた。


 だが、その輪の中にいるバルトだけが、自身の戦斧をじっと見つめ、静かな決意を瞳に宿していることに、まだ誰も気づいてはいなかった。

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