第18話 王都の闇と決意
ルーカスの『特効薬』という発言の後、三人は改めてテーブルを囲み直した。
マリアは、少し冷めてしまったハーブティーを新しいものに淹れ直し、それぞれの前に置く。
まずは、互いの情報のすり合わせから始まった。
カインとマリアは、この数日間に起きた出来事――「赤き月」の夜の襲撃、カインの魔獣化、そしてマリアがそれを鎮めた経緯――を、ルーカスに詳細に語った。
「……なるほど。やはりあの夜の魔力反応は、君だったか」
ルーカスは、顎に手を当てて頷いた。
「赤い月の光が呪いを増幅させ、理性を焼き切った。……だが、マリア。君の『停滞』が、その暴走すらも無理やりねじ伏せたわけだ」
彼は、感心したようにマリアを見る。
「君の力は、僕の想定以上に『王都の闇』に対して有効かもしれないね」
「王都の……闇?」
マリアが首を傾げる。
「ああ。ここからが本題だ」
ルーカスは表情を引き締め、カップを置いた。
その瞳には、先ほどまでの研究者としての好奇心ではなく、一国の宮廷魔法師団長としての深刻な光が宿っていた。
「マリア。君はこの国の王について、何か知っているかい?」
「えっと……国王陛下、ですよね? ……お優しそうな方だと、祖母から聞いたことがあります」
「そうだ。だが、その陛下は今、病に伏せっている」
「ご病気……ですか?」
「表向きは静養とされているが、面会は一切謝絶。王太子殿下もまだ幼く、政務を執れる状態ではない。つまり今、王都の玉座は空席も同然なんだ」
ルーカスは、重々しく告げた。
「その空白を埋める代行者として、現在、国の全権を掌握しているのが——宰相であるヴァルロア公爵だ」
「ヴァルロア……公爵……」
初めて聞く名前に、マリアは不安を覚える。
「古くから王家に仕える名門だが、その本性は底知れない野心家だ。……カインを罠に嵌め、呪いをかけたのも、恐らくは彼の手の者だろう」
隣で話を聞いていたカインが、ギリ、と奥歯を噛みしめる音がした。
「……俺が邪魔だったからか。騎士団の力が」
「ああ。今の王都は、ヴァルロアの独裁状態だ。逆らう者は粛清され、市民は恐怖に震えている。……そして、その恐怖を煽るために利用されているのが、『獣化事件』だ」
「獣化……事件?」
マリアの背筋が寒くなる。
「最近、王都で、奇妙な事件が多発しているんだ。一般市民や騎士が、突如として理性を失い、異形の『魔獣』へと変貌して暴れまわる」
「人が……魔獣に?」
「そうだ。……カイン、君の症状とよく似ているだろう?」
ルーカスは、カインを見た。
「ヴァルロアは、これを『呪われた騎士団長カインの毒気が伝染した』と喧伝している。君こそが、この国に災厄をもたらす『獣の王』であり、すべての元凶である、とな」
「なっ……!なんというデタラメを……!」
カインが、激昂して立ち上がった。
椅子がガタッと音を立てて倒れる。
「俺は被害者だ!あまつさえ無関係な民まで巻き込んで……!」
「落ち着け、カイン」
ルーカスは冷静に制した。
「これは間違いなく、人為的なテロだ。奴らは禁忌である黒魔術――混沌の魔素を操るすべを持っていると思われる。君に呪いをかけたのと同じ力で、意図的に人々を魔獣へと変貌させているんだ」
「なぜ、そのような非道なことができる……!」
カインの怒りは収まらない。
全身が震え、爪が掌に食い込むほど強く、拳を握り締める。
「俺が戻って止めなければ……!今の俺にはマリアがいる。彼女の力が鍵なら、俺たちが揃えばヴァルロアの野望を——」
その時だった。
カッ、とカインの体が淡い光に包まれた。
「え?」
「あ……」
カインの表情が、一瞬にして凍りついた。
激しい怒りに燃えていた金色の瞳が、自身の体に起きている異変を察知し、驚愕に見開かれる。
――マリアに触れてもらってから、半日。
話に夢中になるあまり忘れていた、無情な時間切れが訪れたのだ。
「ま、待て……今、大事な話、を……」
カインの必死の抵抗も虚しく、光が弾ける。
そこには——銀灰色の毛並みを持つ、一匹の狼が座っていた。
「……」
「……」
「……ワン」
一瞬の沈黙の後。
狼——カインは、決まり悪そうに視線を泳がせると、トボトボとマリアの元へ歩み寄り、その膝に顎を乗せた。
そして、つぶらな瞳で上目遣いにマリアを見つめ、甘えるように喉を鳴らした。
「クゥ~ン……」
マリアは、苦笑しながらその頭を撫でる。
「よしよし。……大丈夫ですよ、カインさん」
「ワンッ!」
カインは嬉しそうに尻尾を振り、さらにすり寄って、『もっと撫でて』と催促する。
先ほどまでの悲壮な決意や、騎士団長としての威厳は、光の彼方へ消え去っていた。
その様子を見ていたルーカスが、呆れたようにテーブルに肩肘をつきながら、鼻を鳴らした。
「やれやれ。誇り高き聖銀騎士団長の姿はどこへやら。……これじゃあ、獣の王どころか忠犬だね」
「グルルッ……!」
ルーカスの軽口に、カインが反応した。
彼はマリアに撫でられたまま、ルーカスに向かって牙を剥き、低く唸り声を上げた。
誰が犬だ、誰が!と言わんばかりの抗議だ。
「おー怖い怖い。狼になっても相変わらずだねぇ」
ルーカスは肩をすくめ、しかしすぐに、その瞳を鋭く細めてマリアを見た。
カインはもう、難しい話ができる状態ではないと判断したのだ。
「……マリア。見ての通りだ」
ルーカスは、マリアの膝で甘える狼を指差した。
「今の彼は、あまりに不安定だ。……君の力が『特効薬』だとしても、彼自身がこのザマじゃ、王都には近づけない」
「どういう、ことですか?」
マリアは、狼姿のカインの頭を撫でる手を止めた。
「敵は、呪いの根源である混沌……黒魔術を扱う。……もし、戦いの最中に、奴らがその力を使ってカインの呪いを暴走させたらどうなると思う?」
「暴走……」
「ああ。月が出ていなくても、敵がその力を使えば、カインの中の呪いを無理やり暴走させられてしまうかもしれない」
ルーカスの言葉に、マリアの顔色が青ざめる。
「そうなれば……彼は、君の手が離れた瞬間に、あの赤き月の夜のような……理性のない黒い魔獣に堕とされるだろう」
カインの体が、ビクリと震えた。
――あの夜の悪夢。
マリアを傷つけた感触が蘇るのか、彼は怯えたように耳を伏せ、マリアの体に一層強く身を寄せた。
「そうなれば、君を守るどころか、彼自身が君を殺すことになる」
「……!」
「だからこそ、だ」
ルーカスは、どこからともなく地図を取り出すと、テーブルの上に広げた。
彼が指し示したのは、現在地から遥か下——南の山岳地帯だった。
「まずは、ここへ向かう。『始原の聖域』」
「……聖域?」
「ああ。雪に閉ざされたこの森とは真逆の、一年中草木が生い茂る温暖な地にある遺跡だ」
ルーカスは、地図上の一点をコツコツと叩いた。
「そこに眠る古代遺物……『理の楔』。それは、持ち主の体内で荒ぶる魔力の波長を整え、呪いの不安定さを強制的に抑え込むことができるんだ」
「不安定さを……抑え込む?」
マリアが尋ねる。
「そう。今のカインは、時間経過や外部からの干渉ですぐに狼に戻ってしまうだろう?だがその石があれば、呪いの魔力を安定した状態で固定できる」
ルーカスは、狼姿のカインと、マリアを交互に見つめた。
「それを手に入れ、カインの呪いを完全に制御下に置く。……敵の干渉を受け付けない『安定した器』を手に入れて初めて、僕たちは王都という地獄へ攻め入る資格を得るんだ」
ルーカスの言葉に、工房の空気が張り詰める。
その時、カインが、マリアの膝の上にあった手を、濡れた鼻先でツン、と突いた。
金色に輝く瞳が、マリアをじっと見つめている。『戻してくれ』——そう、言っている気がした。
獣の姿でただ従うのではなく、人の言葉で、自らの意志で答えたいのだと。
マリアは頷き、そっと手袋を外した。
「……はい」
彼女の素手が、銀色の額に触れる。
淡い光が溢れ、獣の輪郭が人のそれへと変わっていく。
光が収まると、そこには人間の姿に戻ったカインがいた。
彼は、真剣な眼差しでルーカス、そしてマリアを見据えた。
「……その通りだ、ルキ」
カインの声には、騎士団長としての威厳と、一人の男としての固い決意が宿っていた。
「俺はもう二度と、あの夜のような過ちは犯さない。……マリアを傷つける獣ではなく、守り抜く騎士として、王都へ還る」
「カインさん……」
「行こう、マリア。……共に」
カインが差し出した手を、マリアはしっかりと握り返した。
その手は、大きく、力強く、そして温かかった。
「決まりだね」
ルーカスが、不敵な笑みを浮かべて立ち上がる。
「さあ、準備をしたまえ。……雪解けの旅路は、ここからが本番だよ」
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます!
マリアとカイン、二人の長い夜が明け、第一章「忘却の森」編はここで幕となります。 次回からは第二章! ついに森を出て、広い世界へと旅立ちます。
頼もしい(けれどちょっと変な)助っ人も登場し、物語は雪解けの旅路へと向かっていきます。 二人の運命がどうなるのか、ぜひ続きも楽しみに待っていてください!
次回更新も、よろしくお願いいたします。
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