第15話 蒼氷の訪問者
――コン、コン。
再び、静かなノックの音が響いた。
工房の中は、水を打ったように静まり返っている。
先ほどまでの、互いの腹を割り、真実を話そうとしていた緊張感も、その乾いた二度のノック音によって、すべてが凍り付かされた。
カインは、ベッドの上にいるマリアを背に庇うように立つと、既に手元で構えていた錆びついた護身用の剣を、強く握り直した。
(追手か……?いや、だが、この声は……まさか)
カインが、警戒を解かないまま扉に近づく。
「……誰だ」
低く、問う。
「ひどいな、カイン。幼馴染の声を忘れたのかい?まさか、記憶喪失にでもなったのか?」
扉越しに聞こえたのは、どこかふざけたような、軽薄さすら感じる男の声。
その声に、カインは目を見開いた。
「……まさか……ルーカス、か?」
カインは剣を下ろし、意を決して扉の閂を外した。
ギィ……と、新しく組んだばかりの扉が、重い音を立てて開く。
そこには、白い月光を背にして、一人の青年が立っていた。
深い紺色の髪。繊細で優雅な刺繍が施された上等な制服。左耳には、青い宝石が埋め込まれた長いピアスが揺れている。
「やあ。随分と探したよ」
青年——ルーカスは、完璧な笑顔を浮かべていた。
だが、その笑顔は、一歩工房の中へ足を踏み入れた瞬間に、驚きへと変わった。
「……うわあ」
ルーカスは、天井まで煤け、壁が崩れ、床には血の痕跡すら残る工房の惨状を見回した。
そして、包帯だらけで立ち尽くすカインと、奥のベッドの上で小さく怯えるマリアを見る。
「随分と、派手にやられたようだね。……一体、何があったんだい?」
ルーカスの問いに、カインとマリアは顔を見合わせた。
赤き月の暴走、魔獣化、マリアの献身的な制止、そして今の膠着状態。
あまりにも出来事が複雑かつ壮絶すぎて、どこから話せばいいのか分からない。
「……いろいろ、あったんだ。一言では説明できん」
カインが、疲労の滲む声で答える。
「まあ、見れば分かるよ。二人ともボロボロじゃないか」
ルーカスは、呆れたように肩をすくめると、カインの元へ歩み寄った。
「やれやれ……僕の専門は治療じゃないんだけどなあ……。ちゃんと治らなくても文句言わないでくれよ」
彼はそうぼやきながら手をかざし、まずは近くにいるカインに治癒魔法を施そうとした。
「待て」
だが、カインはその手を止めた。
「俺なんかよりも、先にマリアを頼む」
カインはそう言うと、ルーカスを奥のベッド——マリアの元へと案内した。
その必死な横顔と、マリアを見つめるカインの熱っぽい視線。
ルーカスは、一瞬きょとんとした後、すぐにそれ理解した。
(……ほう?)
ルーカスは口元をにやりと歪め、興味深そうに二人を交互に見る。
そして、優雅な足取りでマリアのベッドの前まで進み出ると、貴族のように一礼してみせた。
「初めまして。僕はルーカス。カインの古い友人で、宮廷魔法師団長を務めているよ」
完璧な自己紹介。ルーカスはマリアをまじまじと見つめた。
そのエメラルドブルーの瞳が、スウッと細められる。
「……へぇ」
ルーカスには、見えていた。
彼女の華奢な体から、制御できずに漏れ出している、異質で歪な魔力の奔流が。
彼は、端整な顔を歪め、背筋が凍るほどに美しく、底知れない冷気を孕んだ笑みを浮かべた。
「まずは治療だ。手を出してごらん」
ルーカスが、マリアの素手を取ろうと手を伸ばす。
「っ……だ、だめ!!」
マリアが、叫び声を上げて手を引っ込め、シーツを握りしめて拒絶した。
「触らないで……ください……!」
「ん?」
ルーカスの手が空を切る。
「私……触れた人の命を、奪ってしまうんです……!」
マリアは必死に訴えた。
「だから、だめなんです……」
「……奪う?」
ルーカスは、マリアの言葉に違和感を覚えたように眉を寄せた。
彼はあごに手を当て、マリアを観察しながらぶつぶつと呟き始める。
「君はそう解釈しているのかい?うーん……僕の見立てではもっと違うな……。奪うというよりは……静寂……鎮静のような……」
ブツブツと譫言のように考察を漏らし、自らの思考の迷宮へと入り込み始めたルーカスに、後ろから冷ややかな咳払いが飛んだ。
「ゴホンッ」
カインが、「さっさと治療しろ」と言わんばかりの無言の圧をかける。
「おっと失礼」
ルーカスは悪びれもせず肩をすくめた。
「じっとしていて。治癒」
ルーカスが手をかざすと、青白い光がマリアを包み込んだ。
専門じゃない、と言ったにもかかわらず、その魔力制御は完璧で、マリアの肩の傷や体中の痛みが、見る見るうちに引いていくのが分かった。
「……すご、い……」
マリアは、自分の体が軽くなっていく感覚に目を見張った。
「まあ、応急処置としてはこんなものかな」
ルーカスは涼しい顔でマリアへの治療を終えると、くるりと踵を返し、待たせていたカインの方を向いた。
「さて。お姫様の治療は終わったよ。次は君の番だ、カイン」
ルーカスは呆れたように溜息をつく。
「レディファーストは結構だが、君のその背中の火傷も、肩の傷も、大概じゃないか。よく平気な顔で立っていられるね」
「……ふん。慣れている」
「まったく、大したやせ我慢だよ」
ルーカスは、カインの背中に手をかざし、手際よく治療を始める。
青白い冷気がカインの体を包み込む。
カインの背中を焼いていた熱と痛みが、嘘のように引いていく。
「……助かる」
カインが短く礼を言うと、ルーカスは「礼には及ばないさ」と肩をすくめた。
「さて。二人の治療も済んだことだし、座って話そうか。 積もる話もあるだろう」
* * *
――数分後。
マリアが元気になった体で淹れ直した、温かいハーブティーの香りが工房に満ちていた。
継ぎ接ぎだらけのテーブルを囲み、三人はそれぞれのカップを手に取った。
「ふむ。悪くない味だ」
ルーカスは、優雅にカップを傾けながら、改めてカインとマリアを見た。
「そろそろ情報交換といこうか。……カイン。君がなぜこんな場所にいるのか。そして、王都がいま、どうなっているのか」
その言葉に、カインの表情が強張る。
いよいよ、マリアに全ての真実を話す時が来たのだ。
マリアもまた、カップを握りしめ、真剣な眼差しをカインに向けた。
「……ああ。話そう」
カインは重く頷き、静かに口を開いた。




