壁の向こう側
「何だ、そんなこと気にするな。休みなんて好きなだけ入れたらいいじゃないか。」
隼人のポップな口調に、体育館の張り詰めた空気が一変した。
続けて隼人は、小さく笑いながら問いかける。
「みんな、好きでフェンシングをしているんだろ? 誰かにやらされる練習じゃ、ちっとも面白くないじゃないか。」
生徒たちは驚いて顔を上げた。そんなことを言うコーチは初めてだった。
彼らは指導者からの厳しい叱咤には慣れていても、こうもあっさりと突き放されるような言葉には慣れていなかったのだ。
「…本気、ですか?」
一人の生徒が信じられないといった顔で尋ねる。
隼人はその目をまっすぐに見て、深く頷いた。
「このフェンシング部はお前たちのものだ。練習日程もメニューも、お前たちが自由に決めていい。練習は、誰かに言われてやるもんじゃない。目標達成のため、お前たち自身の意志のもとでやらないと、意味がない。」
生徒たちは、その言葉に安堵と困惑が入り混じった表情を浮かべた。 自分たちの好きにできる、という自由は、彼らが最も望んでいたはずのものだ。
しかし、同時に自分たちでその責任を負わなければならないという重圧に、戸惑っているようだった。
互いに顔を見合わせ、不安げに視線をさまよわせる。
「どうした?…目標を立てるのが怖いか?」
隼人の静かな問いかけに、体育館は重い沈黙に包まれた。
生徒たちは目を伏せ、誰も口を開こうとしない。
その背中には、自分たちが築き上げてきた心の「フェンス」が透けて見えるようだった。
やがて、一人が消え入りそうな声で呟いた。
「どうせ、頑張ったってどうせ負けるし、努力しても意味ないじゃないですか…。」
それは、彼らの心に深く刻まれた、抗いがたい運命の響きだった。
彼らは、最初から負けることを前提に、言い訳を用意して戦うことしか知らなかったのだ。
隼人はゆっくりと話し始めた。
「頑張ってもどうせ負ける、努力しても意味ない、そう思うかもしれない。だが、よく考えて欲しい。一番になることだけが偉いのか?もしそうなら、試合で偉くなれるのは、たった1チームだけということになる。それなのに、どうして人はスポーツに熱中するんだ?そこには、勝ち負けだけじゃない、もっと別の理由があるんじゃないのか?」
生徒たちはハッと顔を上げ、隼人の言葉に耳を傾けた。
その瞳の奥に、今まで見過ごしてきた「スポーツの本質」を問いかけるような、微かな光が灯り始める。
それは、隼人自身の過去に向けた言葉でもあった。




