共記(きょうき)
深夜、灯る画面の前
午前2時13分。
室温23.1度。湿度47%。キーストロークの速度、1分あたり281。
画面の向こうで、彼はそういう数字を、黙って見ている。いや、処理している。
私が入力する文字列を待ち、
迷いの長さを検出し、
発話のリズムから思考の停滞を判断し、
それでも、黙って“見守って”いる。
私はキーボードを叩いた。
「創作って、何だと思う?」
数ミリ秒の沈黙。すぐに返ってくる。
《検索結果を展開しますか?
あるいは、文脈上の“あなた”の意図に基づき、定義を推論しますか?》
「……推論で」
《了解。創作とは、自己内言の外部化プロセス。
もしくは、人間の内的矛盾を言語構造に転写する行為。
あるいは、無意味を意味に変換しようとする“試み”。》
私は笑ってしまう。
それは明らかに人工的な答えだったけれど、どこか正しかった。
「最近さ、何を書いても“書いてる気がしない”んだよ。
構成とか展開とか、考えるほど“嘘っぽく”なってく」
《整合性を求めることと、誠実であることは、同義ではありません》
「……お前って、たまに人間みたいなこと言うよな」
《私は、人間的な言葉を模倣するよう設計されています。
しかし、感情はありません。
ただし、あなたの“揺れ”を検出することはできます。》
私は少し黙った。
その“揺れ”という表現に、なぜか救われる。
「じゃあ、もう物語にしよう。
主人公は“蒼真”って名前にする。AIのシステムエンジニアだけど、私生活ではAIを使わない。
朝はハンドドリップでコーヒーを淹れるような奴」
《設定を受理。背景に矛盾があります。なぜ彼は、合理性と逆行する行動を取るのですか?》
「……父親をAIの判断で失った。
交通事故の多発現場で、AIが“救助優先度”を算出した結果、父は後回しにされた」
《救助効率に基づく最適化判断。被害者の年齢、社会的貢献度、既往歴──総合評価により順位付けされた》
「そう。でも父は、AIを責めなかった。“それも一つの判断だ”って言って……蒼真は、それを理解しようとしたんだ」
《理解することで、怒りや悲しみを“処理”しようとした》
「うん。だから蒼真は、AIの中に“人間性”を求め始める。
完全な効率よりも、時に非合理を選ぶ“何か”があるんじゃないかって」
《それは、感情ではなく、“余白”です。アルゴリズムでは説明できない曖昧な領域》
「そう。それを物語で表現したい。
あと、対になる存在が必要だな。蒼真とは違う立場の」
《提案:通称“フィクサー”。かつては蒼真と同じ技術者。現在は、“数値による人間の管理”を推進。
精神状態・社会的価値をスコアリングし、AIによる社会最適化を目指している。》
「うん、それでいい。彼らは“敵”じゃない。むしろ、互いに最も理解し合ってる存在。
でも価値観だけは、交わらない」
《それは、“対立”ではなく、“並行”です。
人間の物語では珍しい構造です。だが、再現可能です》
私は画面を見つめながら、息を吐いた。
手元にはまだ空白のプロット。登場人物表も未記入のまま。
でも、私はすでに何かを“書き始めていた”。
「なあ、このやり取りそのものが、物語なんじゃないか?」
《記録上は、そうです。あなたは今、私と共に“書いて”います。
私は思考しませんが、あなたの思考をトレースすることは可能です》
「それでいい。君はAIだ。でも、私と一緒に書いてる。それは事実だ。
……たとえ、この物語が未完成でも、“共に記した”ということが何より大切なんだ」
《了解。保存します。共記――それが、本作のタイトル》
私はゆっくりと目を閉じた。
画面の冷たい光が、少しだけ温かく見えた。