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最終話(第6話):お客様のために、この世界で

開店日の朝。マルクトブルクの空は、まるで新たな時代の幕開けを祝福するかのように、どこまでも青く澄み渡っていた。数日前から街には「イサオの店、ついに開店」というチラシが子供たちの手によって配られ、噂は瞬く間に広がっていた。


旧東市場通りの、半ば修復された赤い屋根の倉庫。そこには多くの人々が集まり始めていた。「本当に開店するのか」「ギルドは許すのか」という囁きが、緊張感と共に漂う。


改装され、綺麗になった倉庫改め『イサオの店』の前には、早朝から行列ができていた。支援者たち、好奇心に駆られた者たち、そして単に噂の店を見たいという人々。イサオ(中内㓛)、カエル、リナ、エルム、そして新たに加わった数人の従業員たちが、最後の準備を整えていた。


「準備はいいな?」イサオは仲間たちに声をかける。


「はい!」カエルが力強く答えた。彼は商品の最終確認を終えたところだった。


「情報網によると、ギルドの連中も動き出してるわ」リナが小声で報告する。「衛兵を連れて来るって噂よ」


「そのはずだ」イサオは落ち着いた様子で頷いた。「エルム殿、例の書類は?」


「ここにある」老人は大切に巻物を懐から取り出した。「子爵からの認可状だ。問題はない」


「では、予定通り進めよう」


イサオは深呼吸し、店の入り口に向かった。朝日に照らされた店の看板が輝いている。シンプルながら目を引く看板には、「イサオの店」という文字と、「お客様のために」という言葉が添えられていた。


扉が開かれる。そこには、これまでの市場の常識を覆す光景が広がっていた。


地下への階段を下りると、明るく清潔な店内が現れる。温かみのある松明の明かりが、巧みに配置された鏡によって増幅され、予想以上に明るい空間となっていた。壁面には白い漆喰が塗られ、清潔感を演出している。整然と並べられた商品棚、種類ごとに分かりやすく分類され、値札がつけられた品々。


塩、豆、薪といった生活必需品に加え、カエルが独自ルートで仕入れた山間の村の良質な干し肉や、エルムの知識を活かして品質を見極めた農具なども試験的に並べられている。地下室ゆえの空間の狭さは、逆に「秘密の宝物庫」のような雰囲気を醸し出していた。


まさに、異世界における「スーパーマーケット」の誕生の瞬間だった。


「開店だ!」


イサオの声が響く。最初のお客は、いつもイサオから塩を買っていた老婆だった。彼女は恐る恐る階段を下り、地下の店内に足を踏み入れた。


「まあ!なんて素敵な…」彼女は目を丸くした。「こんな店、見たことない!」


「いらっしゃい」イサオが笑顔で迎える。「どうぞ、ご自由にお好きな品をご覧ください」


「自分で選んでいいの?」


「もちろんです。商品にはすべて値札がついています。お選びになったものを、あちらのテーブル(レジカウンター)にお持ちください」


老婆は半信半疑で店内を回り始めた。続いて入った若い主婦も、その新しい買い物体験に戸惑いながらも、すぐに楽しみ始めた。


「値段がちゃんと書いてある! これなら安心だ!」

「塩も薪も、本当に安いし質がいい!」

「子供を連れて来やすいわ。いちいち店員さんに話しかけなくていいから、気楽ね」


口コミは即座に広がり、店内は瞬く間に活気に満ち溢れた。見たことのない買い物スタイルに、初めは戸惑う人もいたが、イサオとカエルの丁寧な説明、リナの機敏なサポートのおかげで、すぐに慣れていった。


店の人気は予想以上だった。特に目を引いたのは、品質の良さと価格の安さ、そして何より「選ぶ自由」だった。従来の店では、商品は棚の奥や店主の手の届く場所にあり、客が自由に見ることすらできなかった。イサオの店では、すべてが手に取れる場所にあり、比較検討できる。


そんな喧騒を切り裂くように、重々しい足音が近づいてきた。


ヴァレリウスだ。


彼は約束通り、商人ギルドの屈強な私兵たちと、苦虫を噛み潰したような顔をした市警備隊の隊長を引き連れて現れた。店の前は、買い物客や野次馬で黒山の人だかりとなっている。


「そこまでだ、イサオ!」ヴァレリウスの声が響く。「貴様の違法営業は看過できん! 市参事会およびギルドの名において、この店を即刻閉鎖し、主犯である貴様を拘束する!」


一瞬、静寂が流れた。イサオが店の入り口に立ち、ヴァレリウスと向き合う。二人の間に緊張が走る。


警備隊が前に出ようとする。だが、その前に立ちはだかったのは、イサオの店の客たちだった。


「待て!」がっしりとした体格の鍛冶屋が声を上げた。

「この店は俺たちの生活に必要なんだ!」痩せた農夫が続く。

「そうだ! ギルドこそ、不当な値段で俺たちを苦しめてきたじゃないか!」老婆までもが杖を振り上げる。

「イサオさんを捕まえるなら、俺たちが相手だ!」


民衆の声が、ヴァレリウスの怒声をかき消すほどのうねりとなる。


「愚民どもが…蹴散らせ!」ヴァレリウスが怒鳴る。


衛兵たちが動き出そうとした瞬間、イサオは冷静に一歩前に出た。


「暴力は必要ない。話し合おう、ヴァレリウス殿」


「話し合いだと?」ヴァレリウスは鼻で笑った。「貴様のような無免許の商人と何を話す?」


「無免許ではない」


イサオの背後からエルムが進み出て、巻物を掲げた。


「お待ちいただきたい!」老人の声は驚くほど力強かった。「この古文書によれば、この土地における商業活動は、ギルド設立以前からの権利として認められており、ギルドの管轄外である!」


エルムは巻物を広げ、朗々と読み上げ始めた。


「マルクトブルク建設初期、東市場通りは『自由商業区域』として定められ、特定の組合や団体の規制を受けない商業活動が認められると記されている。この法は、初代領主の勅令として今なお有効である!」


警備隊長は明らかに動揺し、部下たちに目配せして動きを止めるよう指示した。


エルムはさらに続けた。「さらに、ヴァレリウス殿、貴殿がギルドの規約を無視し、独断で不当な圧力をかけている証拠もここにある!」


エルムが取り出したのは、リナが集めたヴァレリウスの不正の証拠だった。特定の商人への便宜供与、賄賂の受け取り、脅迫まがいの行為の記録。これらは、ギルド内の他の幹部たちにも知られていなかった違反行為だった。


「こ、こやつめ…! でっち上げだ! 構わん、やれ!」

ヴァレリウスがなおも強行しようとした、その瞬間。


「そこまでだ、ヴァレリウス殿」


凛とした声と共に現れたのは、アルマン子爵とその護衛たちだった。


人々はどよめき、道を空けた。黒を基調とした上質な衣装に身を包み、威厳に満ちた風貌の子爵が姿を現したのだ。


「市の秩序を乱し、あまつさえ市民に暴力を振るおうとは、見過ごせんな」子爵は静かに、しかし凄みを利かせた声で言った。「エルム殿の提示した証拠、そしてこれまでの貴殿の強引なやり口、すべて調査させてもらう。隊長、この者を捕らえよ」


ヴァレリウスは顔面蒼白になった。「ち、違います!子爵殿、これは誤解で…」


「さらに、これを見るがいい」子爵は別の文書を取り出した。「私がイサオ殿に与えた商業特許状だ。彼の商売は、この時点で合法となっている」


子爵の毅然とした態度と、エルムの提示した「法」の前に、ヴァレリウスの権威は完全に失墜した。市警備隊も、もはや彼に従う理由はない。ギルドの私兵たちも、形勢不利と見て武器を収める。


ヴァレリウスは、憎悪の形相でイサオを睨みつけながら、なすすべなく連行されていった。


「なぜだ…なぜこんな小僧に…」彼の呟きは、群衆の沸き起こる歓声に掻き消された。


歓声が沸き起こる。市民たちはイサオの店の勝利を称え、アルマン子爵の英断に拍手を送った。


「イサオさん万歳!」

「安い品物を、ありがとう!」

「これからも応援するぞ!」


---


喧騒が落ち着いた頃、アルマン子爵はイサオに近づいた。


「見事な戦いぶりだった」子爵は微笑んだ。「君の予測通り、ヴァレリウスは自らの首を絞めたな」


「ご助力に感謝します」イサオは深々と頭を下げた。「子爵様のご支援がなければ、ここまで来られませんでした」


「いや、私はただ好機を待っていただけだ」子爵は穏やかに言った。「ヴァレリウスのような者がギルド内で権力を増していくのは、我々貴族にとっても好ましくなかった。彼は野心家で、市参事会をも操る勢いだったからな」


「政治的な駆け引きもあったわけですね」


「もちろんだ」子爵は率直に答えた。「だが同時に、君の商売の手法にも本当に興味を持った。これからの発展が楽しみだよ」


「必ずや期待に応えます」イサオは力強く答えた。


子爵は静かに頷き、群衆に向かって一礼すると、護衛を従えて去っていった。


---


イサオは、その光景を静かに見つめていた。そして、活気を取り戻した自身の店へと視線を戻す。


地下室の店内は、明るい松明の灯りに照らされ、人々の笑顔で溢れていた。効率的に客を捌くリナ、帳簿を整理するエルム、生産者と笑顔で次の取引の話をするカエル…。そして、満足そうに商品を選び、レジで代金を支払っていく顧客たち。


(……勝った、か)


それは、単なる商売敵への勝利ではない。かつて、巨大になりすぎた故に失ったもの、守り切れなかったものへの、ささやかな、しかし確かな勝利だった。


規模は小さい。だが、ここには、彼が理想とした「お客様のため」の商いの原点がある。生産者も、販売者も、消費者も、皆が豊かになれる仕組み。


イサオの脳裏に、ある記憶がよみがえった。


---


それは、ダイエーが破産して間もない頃のことだった。㓛はすでに引退していたが、かつて彼が築き上げた帝国の崩壊は、耐え難い痛みを伴うものだった。


ある日、㓛は密かに、新しい経営者の下で再建途上にあったダイエーの店舗を訪れた。普通の客を装って。


店内を歩きながら、㓛は様々なものを見た。効率優先で削られたサービス、品質よりコスト削減を重視した商品展開、疲れた表情の従業員たち…。


「お客様のため」という原点が、いつの間にか見失われていた。それは、自分自身の責任でもあった。規模の拡大と多角化に走るあまり、創業の精神を守り切れなかった。


㓛は、ある若い店員に声をかけた。


「君は、なぜここで働いているのかね?」


店員は困惑した表情で答えた。「え?そりゃあ、給料のためですよ」


㓛は微かに頷き、「そうか」と呟いた。その瞬間、彼は決意した。もう一度、自分の手で、「お客様のため」の商売を実現してみたい。しかし、年齢と健康状態を考えれば、それは叶わぬ夢だった。


---


「イサオさん?」カエルの声が、イサオの回想を中断させた。「少し休まれては?ずっと立ちっぱなしですよ」


「ああ…」イサオは我に返った。「いや、まだやるべきことがある」


(不思議だな。あの時は叶わぬ夢だったのに…)


イサオは心の中で微笑んだ。異世界という予想外の舞台で、彼は再び「お客様のため」の商いに挑戦する機会を得たのだ。しかも今度は、過去の失敗から学んだ教訓を活かせる。


込み上げてくる熱い思い。それは後悔ではない。過去の自分自身への、そして、この世界で得た仲間たちと顧客たちへの、深い感謝の念だった。


彼は、店の入り口に立ち、集まってくれた人々に向かって、深く頭を下げた。


「皆様のおかげです。この『イサオの店』は、これからも、正直な商売で、良い品を、適正な価格で提供し続けることをお約束します。すべては、『お客様のため』に」


その言葉に、再び温かい拍手が送られた。


---


数週間後。『イサオの店』は、マルクトブルクになくてはならない存在となっていた。地下室だけでは手狭になり、倉庫の一階部分も完全に改装され、より多くの商品を扱えるようになった。その成功は、他の街にも伝わり始めていた。


ある晴れた日の夕方、イサオは店の近くの丘の上から、活気を取り戻した街並みを眺めていた。傍らには、カエル、リナ、エルムがいる。


「いやぁ、忙しかった」カエルが伸びをしながら言った。「でも、こんなに充実した日々は初めてです」


「あたしも」リナが笑顔で頷いた。「はじめて、自分の居場所ができた気がする」


「儂も久しぶりに、若い頃の情熱を思い出したよ」エルムは穏やかに微笑んだ。


イサオは満足気に三人を見つめた。彼らは単なる従業員ではなく、同じ理念を共有する仲間だ。彼の足元には、この国の地図が広げられていた。


「さて、次はどこの街に『革命』の種を蒔こうか」


イサオの瞳は、穏やかながらも、かつて日本中を席巻した流通王の輝きを宿していた。異世界での第二の人生。過去の栄光と挫折を乗り越え、彼は今、確かな手応えと共に、新たな栄光への道を歩み始めたのだ。


「ここで終わりじゃない」イサオは静かに、しかし力強く言った。「このマルクトブルクでの成功は、ほんの始まりに過ぎないんだ」


異世界の夕陽が、四人の長い影を丘の向こうまで伸ばしていた。その影が示す先には、彼らがこれから切り開いていく未来が広がっている。この世界の、すべてのお客様のために。


『異世界ダイエー戦記』――その本当の始まりは、ここからだった。

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