9 美味しいという気持ちは大切です
リオンに食事を食べさせた後、エミリアは薬の入った瓶を持ってコップに移していく。それを見て、リオンは心底嫌そうな顔をして呟いた。
「せっかく美味しいと思えた食事も、薬のせいで台無しだな」
(そういえば、前にリオン様は食事を美味しいと思ったのは初めてかも知れないとおっしゃっていたわ。あれって、どういう意味なんだろう?)
チラリとリオンの食べ終えた食器を眺める。食器は全て空になっており、しかもあっという間に平らげていた。
「リオン様、食事は美味しかったですか?」
「ああ、エミリアに食べさせてもらったからさらに美味しく感じた。エミリアと一緒だと今まで美味しいと思わなかったどんな食べ物も美味しく感じるから不思議だな」
「……前にもおっしゃっていましたけど、今まで食べ物を美味しいと思ったことがなかったんですか?」
不思議そうに言うエミリアに、リオンは小さく苦笑する。
「ああ、俺は食事をしていて美味しいと思ったことがない。食事はただ生命を維持するためだけのものだと思っていた」
(ははーん、なるほど。そういうことですか)
リオンであればそういう考え方をしていてもおかしくない。出会った頃であれば、そんな考え方をするなんてと驚いたかもしれないが、一緒に過ごすうちにリオンの偏った考え方にも随分と慣れてしまったようだ。エミリアが少し呆れたような顔でリオンを見つめるが、リオンは気づかないようでそのまま話を進める。
「だけど、君は何かを食べる時にとても美味しそうに食べるだろう。それを見ているうちに、同じように美味しい気がしてきて、いつの間にか美味しいと思えるようになっていた。不思議だな」
(えっ、それって私が食い意地はってるということ?リオン様のことだからそんな意味では言ってないんだろうけど……。でも、そう思ってくれるならなんだか嬉しいな)
フフッと嬉しそうに微笑むリオンに、エミリアは少しだけムッとしつつも心がほんわりと暖かくなる。自分が美味しいと思って食べている様子を見て、リオンの中に変化が生まれたならそれは純粋に嬉しい。
「それじゃ、これからはもっともっと色々なものを美味しいと感じられるようになると良いですね」
フワッと微笑みながらそう言うエミリアを見て、リオンは目を大きく開いてから緩む口元を片手で隠した。
「……ああ、そうだな」
「さて、それではリオン様。そろそろお薬を飲んでくださいね」
「……すっかり忘れていた。飲まなきゃだめか」
「もちろんだめです」
エミリアからにっこりと笑みを浮かべて薬の入ったコップを差し出され、リオンは目を瞑って大きく息を吐くと薬を受け取って一気に飲み干した。
「おえ、やっぱり苦い。こんなに不味いものか、薬は」
「良薬は口に苦しと言いますからね」
(昨日私も口に含んだけど、口に含んだだけでもかなりの苦さだった。すごく効きそうだなとは思ったけど、できれば飲みたくない味よね)
「薬を飲むことがほとんどなかったから薬の不味さに気づかなかったんだろうが、今までの俺であればきっと不味い薬もただ傷を治すためのものというだけで、別段なんとも思わなかったんだろうな。全く、君と一緒だと新しい発見がたくさんあって飽きない」
空になったコップをエミリアに渡して、リオンは嬉しそうにそう言った。そんなリオンの言葉と表情に、エミリアは胸がなぜかキュンとしてしまう。
(って、なんでキュンとしてるの私?だめよ、リオン様のペースに乗ってしまったら)
高鳴る胸を落ち着かせるように、エミリアは小さく深呼吸した。
*
(それで、なんでまたこんなことになっているのかしら)
リオンが怪我をして絶対安静の日々から数日後。エミリアの目の前には、すっかり回復したリオンが武術の構えをしている。そんなリオンを見て、エミリアは大きくため息をついた。リオンもエミリアも、真剣勝負をした時と同じように、動きやすい鍛錬用の服装をしている。
ここは屋敷の一角にある鍛錬場だ。前回、二人が真剣勝負をしたせいですっかり原型を止めていなかったが、魔法ですっかり元通りになっている。
「絶対安静だったせいで、すっかり体が鈍ってしまっているんだ。感覚を取り戻すために、手合わせしてほしい。今回は剣は使わず、拳と蹴りだけで勝負しよう。前回同様、魔法は使わないが身体強化の魔法だけは使用してくれて構わない」
嬉しそうに目を輝かせ、見るからにワクワクしていますと言わんばかりのリオンに、エミリアはもはや動揺することもなくただ呆れていた。
(鈍った体を元通りにするために、手合わせ?まあ、リオン様ならそう言うだろうなとは思っていたけど、そう思ってしまっている自分が嫌だわ!すっかりリオン様のペースに乗せられてるというか、とにかくこれが当たり前みたいになってしまうのはおかしいでしょう)
そもそも、婚約して屋敷に到着したその日に、真剣勝負をして死にそうな思いをしたのだ。あんな恐怖、二度と味わいたくない。あの時は驚きと戸惑いで判断が遅くなってしまったけれど、今は違う。
(もうこうなったら、いい加減に解らせてあげないとダメね)
ふーっとエミリアは大きく息を吐いて呼吸を整える。手首足首を動かしてからその場で飛び跳ね、軽い準備運動をする。それから、リオンをしっかりと見つめて、構える。
「わかりました、リオン様のお望み通りにして差し上げます。後悔しないでくださいね」
(もう二度と、手合わせしたいだなんて思わせない!)
エミリアは身体強化の魔法を自分にかけて、足に力を込める。そして、ものすごいスピードでリオンへ向かっていった。