3 ちょっと可愛いと思ってしまいました
時間は、さらに数時間前にさかのぼる。
真剣勝負が終わり、エミリアはその後なんとか自室までたどり着いた。自室に戻るとメイドたちが既に湯浴みの支度をしていて、あれよあれよと言う間に体を洗われ、いつの間にか綺麗な花が浮かんだ湯船に浸かっていた。湯船に浸かって、ようやくエミリアは自分を取り戻したかのようだった。
(はあああ、生き返る)
お湯の温かさがじんわりと体に伝わって染み込んでいく。浮かべられた花の香りなのか、それとも入浴剤の香りなのか、とにかくいい香りに心がどんどんほぐれていくようだ。さっきまで死の恐怖を感じていたのが嘘のように、穏やかで安心した気持ちになっている。
(リオン様、本当に恐ろしかったな)
戦いの途中の表情は闘神なのではないのかと思えるほどの表情で、本気で殺されてしまうと思った。それに、終わった後の発言もなかなかにやばい。相当やばい。
(今までだって他国や魔獣と戦うことがあったでしょうに、死の恐怖も戦闘後の興奮も一度も感じたことがなかったなんて……)
不屈の身体のせいで、痛みも恐怖も感じない今までの日々は一体どんなものだったのだろう。そのせいで、あんなにやばい思考になってしまっているのだと思うと、あれだけ怖かったリオンのことを、なぜかもっと知りたいと思ってしまう。
(でも、やっぱりまだちょっと怖いな。これから普通に話せるかしら)
エミリアはそう思いながら、ブクブクと湯船に沈んでいった。
◇
夕食の時間になり、ダイニングルームでエミリアとリオンはむかえ同士に座りながら食事を囲んでいた。リオンも湯浴みを済ませたのだろう、さっぱりとしている。
(こうやってみると、ただの第三王子にしか見えないから不思議だわ。ただの第三王子って言い方もおかしいけれど)
エミリアの正面で食事をしているリオンは、どこからどう見ても普通の青年だ。真剣勝負の時の恐ろしい姿は微塵も感じられない。不思議そうに見つめていると、リオンはエミリアの視線に気づいた。
「どうかしたのか?」
「あ、いえ、美味しいですね!」
エミリアがごまかすために咄嗟にそう言うと、リオンは手を止めて、手元の食事を見つめている。
「そう、だな。こんなに美味しいと思ったのは初めてかもしれない」
「……え、初めてですか?」
エミリアは首を傾げるが、リオンはそのまままた食事を再開する。エミリアは返事がもらえず不思議な気持ちが増してしまうが、仕方なく同じように食事を再開した。
(初めてって、どういうことだろう?やっぱりよくわからない)
夕食が終わり、エミリアは自室で一人ゆっくりとしていた。ベッドの上に大の字になりながらぼんやりとリオンのことを考える。
(こんなことなら、もっとお兄様からリオン様のことを聞いていればよかった。同じ騎士団だし、リオン様はお兄様から私のことを聞いていたと言っていたし)
一体、兄は何を話していたのだろう。ろくなことを話していなければいいのだけれど。小さくため息をつくと、部屋の中にあるドアがノックされる。
そのドアは、隣のリオンの部屋と続くドアだった。
「はい」
「俺だ、入るよ」
ガチャリ、と扉が開き、リオンが入ってくる。慌ててエミリアはベッドから降りてリオンを出迎える。
「どうかなさったのですか?」
「今日の昼間のことを、謝りたいと思って」
謝る?あの真剣勝負のことだろうか。あれだけ意気揚々としていたのに、今さら謝るとはどういうつもりだろうかとエミリアは驚いていると、リオンはエミリアの手を取ってソファに並んで座った。リオンがあまりにも密着して隣に座るのでエミリアが思わず少し離れようとすると、リオンは逃がさないとばかりにエミリアの腰に片手を回してがっちりとホールドした。
(うっ、なんでこんなに密着して座るの?しかも腰に手を回されているし!き、緊張する……!)
長い前髪で目元はやや隠れているが、それでも十分イケメンなのはわかる。しかもこの国の第三王子だ。緊張するなと言う方が無理だろう。エミリアが硬直していると、リオンは静かに口を開いた。
「勝負が終わって君を一人であの場に置いて行ってしまったこと、後悔しているんだ」
そう言って、リオンは苦しそうにエミリアの顔をジッと見つめる。前髪の間からチラリと見える金色の美しい瞳は、不安げに揺れていた。
「本当に、さっきはすまなかった。いくら命の危険を感じたかったとはいえ、婚約者に、それも今日屋敷へ来たばかりの君にあんな真似をするなんて、俺はどうかしている。それに、その後も君を独りぼっちにして置いていってしまった、冷静に考えても謝って済まされることではないとわかる。だが、どうか謝らせてくれ。どうしたら許してもらえる?怒っているよな?いや、それとも軽蔑しただろうか?……君に軽蔑されるのは正直辛い。けれど、されても仕方のないことを俺はしてしまったんだ。どうしたら許してもらえるだろうか」
悲しげにそう言って、掴んでいるエミリアの片手を愛おしそうに優しく撫でている。大切で大事でたまらないと言ったその様子に、エミリアの心臓はバクバクと跳ね上がり、身体中の血液が激流のように流れて、顔は真っ赤になっていた。
(え、え、待って!?この人誰?昼間のリオン様と全然違う!それに、こんな甘い……こんなの初めてすぎてどうしていいのかわからないのだけど!)
何が起こっているのかわからず、エミリアはパニックになってただただリオンを見つめることしかできない。そんなエミリアを見て、リオンは首をかしげてから眉をひそめた。
「顔が赤いな、熱でもあるのか?」
そう言って、リオンは自分の額をエミリアの額にそっと当てる。
(ひいっ!リオン様の顔が、ち、近い!)
当てられた額からリオンの温もりが伝わって来る。エミリアは硬直したまま唖然としていると、リオンは額を離してエミリアの顔を覗き込んだ。
「赤い顔の割にはそんなに熱くないか。だが、風邪のひきはじめだとしたら心配だ。ああ、それとも来たばかりで新しい環境の変化に体が対応しきれていないのかもしれない。……そんな時に俺はあんなことをしてしまったんだな。本当に、酷いことをしてしまった」
フッと視線をそらして辛そうな顔をすると、エミリアの手を掴んでいた手に力がこもる。
(リオン様、本当に後悔してらっしゃるのね……)
真剣勝負を申し込まれ、実際に戦った時は頭がイカれていると本気で思ったし、今でも思ってはいる。だが、ここまで反省しひたすら謝られると、人としての心はちゃんとあるのだな、と思えて少しホッとした。
「あの、確かにあの時は驚きましたし、命の危険を感じてもうダメかもしれないと思いました。それに、そもそも婚約者に真剣勝負を挑むだなんてどうかしてると思いました」
戸惑いながらもエミリアがそう言うと、リオンはどんどんと悲しげな表情になっていく。
「でも、こうしてリオン様はとても反省しているようですし、私を蔑ろにしてるわけでも、雑に扱っているわけでもないと言うことがわかりました。それに、リオン様にもちゃんと人の心があるんだなと思ってホッとしたので、お気持ちを伝えてくださってよかったです。ありがとうございます」
エミリアがそう言って少しだけ微笑むと、リオンは目を大きく見開いてエミリアの顔をじっと見つめている。そして、次第にリオンの顔がほんのりと赤くなっていく。
「そ、んな、酷いことをした俺に怒るどころか、礼を言うなんて……」
(もしかして、リオン様ったら照れていらっしゃる?)
「あの、もしかして、照れてらっしゃいますか?」
エミリアがリオンの顔を覗き込んでそう言うと、リオンはバッ!とエミリアから離れて顔を腕で隠す。
「て、れてる?よく、わからない……こんな気持ちになるのは初めてで……」
(やっぱり、照れてらっしゃるんだわ。ちょっと可愛いかも)
思わずエミリアがフフッと嬉しそうに笑うと、リオンはまた大きく目を見開いてエミリアを見つめる。リオンの顔はさらに真っ赤になっていった。
「と、とにかく、君が怒ったり俺を軽蔑していないのならよかった。今日は暖かくして寝てくれ。それじゃ」
早口でそう言うと、顔を片腕で隠したままリオンはそそくさとエミリアの部屋を出ていってしまった。
(行ってしまったわ。まるで嵐のような方ね)
エミリアは唖然としながらも、リオンの出ていったドアを見つめながらまた嬉しそうに微笑んだ。