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11 もう手合わせや真剣勝負はできません

 リオンを鍛錬場に沈めて屋敷に戻ってきたエミリアは、いつぞやの真剣勝負の後の時のように湯浴みをしていた。お湯の心地よい温かさと入浴剤の良い香りに体も心もほぐれていく。


(リオン様をボコボコにしてきてしまったけれど、大丈夫だったかしら……)


 いくら『不屈の身体』のギフトを持つ体だと言っても、リオンは怪我が治ったばかりだ。少し前まで絶対安静だった相手をあんなに打ちのめすのは間違っていたかも知れない。そう思うと、エミリアはだんだん不安になってくる。


(鍛錬場から戻ってきた時には、屋敷の人たちが轟音をやたらと気にしてリオン様のことをとても心配して色々聞かれてしまったわ。リオン様の尊厳に関わることだから詳しいことは言えなかったけど)


 この屋敷の主は婚約者に蹴られてボコボコにされて興奮してます、だなんて言えるわけがない。エミリアは小さくため息をつく。

 リオンは巷では無愛想で何を考えているかわかりにくいと言われているが、屋敷の人たちには随分と好かれているようだ。そんな主を、主の婚約者は容赦なくボコボコにしてきたのだ。


(私、やってはいけないことをしてしまったかしら?でも、あれくらいしないとリオン様はまた私と手合わせがしたいとか真剣勝負がしたいとか言い出すに決まっているし)


 だが、リオンのあの様子を見ると、あれで諦めてくれるようにも思えず、余計に不安が募る。


(とにかく、夕食の時にでもリオン様に謝らないと)


 エミリアはまた小さくため息をつき、困った顔をしながら湯船にブクブクと沈んでいった。





 夕食の時間になり、エミリアとリオンはそれぞれダイニングルームに集まって席に着いた。


(リオン様、もうすっかり落ち着いた様子だわ。よかった。お顔の傷もそれ以外の傷や打撲もすっかり治っているみたい)


 さすがは『不屈の身体』の持ち主だ。あの程度の傷であればあっという間に治ってしまうらしい。エミリアがジッとリオンを見つめていると、リオンはエミリアの視線に気づいて首を傾げる。長めの前髪からチラリと見える金色の瞳は、先ほどまでのギラつきをすっかり失ってただ静かに美しく光り輝いていた。こうして見ると、本当にただの大人しそうな青年にしか見えず、戦闘狂には到底思えない。


「どうかしたか?」

「あ、いえ……先ほどは、申し訳ありませんでした。リオン様に今後もう二度と手合わせしてほしいと言われないためにしたこととはいえ、やりすぎてしまったかと思って。申し訳ありません」


 エミリアは躊躇いがちにそう言って、小さくお辞儀をする。そんなエミリアをリオンは不思議そうな顔をして見つめていた。


「どうして謝るんだ?そもそも手合わせを申し出たのは俺だ。それに対して君は誠心誠意答えてくれただけだろう?」

「で、ですが、婚約者であるあなたを、しかもこの国の第三王子を、あんな目に……」

「いや、むしろ俺は本当に嬉しかった。今まで生きてきた中で、あんな痛みと恐怖を覚えることなんてなかったから、本当に驚きだったよ。こんな気持ちにさせてくれるのは、やっぱり君だからだ。本当にありがとう」


 そう言って、心底嬉しそうに微笑む。その微笑みがあまりにも嬉しそうで、エミリアは拍子抜けしてしまった。


「そう、ですか……?それなら、いいのですが……」

「ああ。でも、やっぱり君は、もう俺と手合わせはしたくないんだな」


 ガッカリしたような悲しそうな顔でリオンが言う。


「そう、ですね。私は、拳も剣も、誰かを助けるためだけに奮いたいと思っていますし、『最強の騎士』のギフトを代々授かってきた家の人間としてそれが何よりも大事だと思っています。リオン様は、痛みや死の恐怖を感じたくて私に拳や剣を向けることを命じました。不本意ではありますが、私はそれにきちんとお応えしたつもりです。リオン様は、痛みや恐怖を感じることができたとおっしゃいました。でしたら、私のその役目はもう終わりだと思うのです」


 エミリアのアメジスト色の瞳は真っ直ぐにリオンを射抜く。


「痛みも、死の恐怖も、何度も味わっていいものではありません。むしろ、滅多に経験できないからこそ、その痛みも恐怖も自分が生きているという実感を、真の奥底から思い出させてくれるものだと私は思います。それは、簡単に忘れていいものでもありませんし、簡単に手に入れていいものでもないと思うのです」


 リオンは、エミリアの言葉を聞きながら、両目を大きく見開いた。


「どうか、これを最後に私と手合わせや真剣勝負をしたいなどと思わないでいただきたいのです。私に、これ以上リオン様を傷つけることをさせないでください」

「っ……!」


 エミリアが静かに頭を下げると、リオンは苦しそうな顔で唇を噛み締めた。そのまま、どのくらい沈黙が流れただろうか。リオンが両目を瞑り、それから目を開けてエミリアを見つめる。


「エミリア、どうか顔を上げてくれ。……君が、そんな風に思っていただなんて知らなかった。そうか、そうだよな。俺は、君に、その君の大切な手に、足に、体に……そして心に、なんて酷いことをさせていたんだ」


 リオンの言葉にエミリアが顔を上げると、リオンは心底悲しそうな顔でエミリアを見つめている。


「すまない。俺はただ俺の知らない感覚を得た喜びで舞い上がっていた。痛みも恐怖も感じない自分にも、それを感じることができるのだとただ嬉しくて、君をそれに付き合わさせてしまった。……本当にすまない」


 そう言って、リオンはガンッとテーブルに頭を打ち付ける。隣にある食器がガシャンッと音を立てて揺れた。


「リ、リオン様!?」

「もう二度と、君に手合わせや真剣勝負をしたいと言わないと約束する。君のその『最強の騎士』のギフトは、俺の我儘のためにあるのではなく、この国の人々のためにあるものだ。そんな大事なことを俺はすっかり忘れていた。……この国の第三王子として失格だな」


 リオンはフッ、と悲しげに失笑する。その表情はあまりにも痛々しくて、エミリアは胸が苦しくなる。


(リオン様……)


「そうだ、エミリア。お詫びと言ってはなんだけど、今度二人で出かけてみないか?」


 ふと閃いた顔をして、リオンは眉を下げたまま悲しげに微笑む。それは、リオンが初めてエミリアに戦闘以外の、一般的な男女のデートを申し込んだ瞬間だった。



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