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1 拳がクリーンヒットしてしまいました

「待て!逃すか!」


 夜会の会場の外、屋敷のすぐ近くを一人の男が追っ手から逃げている。逃げるその先には、美しいローズピンクの長い髪を揺らし、アメジスト色の瞳を逃走犯からそらすことなく真剣な眼差しを向ける一人の侯爵令嬢、エミリアが立っていた。


「邪魔だ!どけ!」


 逃走犯がエミリアにそう言うと、エミリアは怖がる様子もなく、なぜか拳を構えた。そして、すうっと深呼吸すると、エミリアの拳に魔力がこもる。


そして、男がエミリアへ持っていた短刀を振りかざそうとした時、エミリアは拳を思い切り男の顔面へ向ける。その拳は、男の顔面にクリーンヒットする、はずだった。


「う、うわあああ!」


 なぜかエミリアの拳が当たる前に男が盛大に足を滑らせ、その場に転がる。男は転がった衝撃で頭を打ち、気絶した。


(えっ!?)


 エミリアは驚くが、突然すぎて拳が止まることはない。そして、男が転ぶと、背後から男を追いかけてきたのであろう黒髪の男性が目の前に現れ、その左頬に見事にクリーンヒットした。


 ドオオオオン


 エミリアの拳がクリーンヒットした男性は、勢いよく吹き飛ばされ、屋敷の壁に激突した。壁には大きくヒビが入り、男性は壁に背中をもたれかけながら座り込む。


(やばいやばいやばいやばい!)


 背後では、駆けつけてきた騎士たちが気絶した逃走犯を取り押さえる。


「バナナの皮にすべったのか。運が悪かったな」


(なんでバナナの皮なんかが落ちてるの!?)


 エミリアは後ろから聞こえる話を聞きながら、呆然としてふっ飛ばされた男性を見つめるが、すぐにハッとして男性の元へ駆け寄った。


「だ、大丈夫ですか!?」


 エミリアが声をかけると、男性は顔を少し上げる。


(ひっ!)


 男性は、エミリアをものすごい顔で睨みつけていた。


「も、申し訳ございません!すぐに治癒魔法を……」


 ガシッ!


 エミリアが男性の左頬に片手を添え治癒魔法をかけようとすると、その手は男性の手によって掴まれる。


「えっ」


 エミリアは驚いて手を引っ込めようとするが、しっかりと掴まれていてびくともしない。男性は掴んだエミリアの手を繁々と見つめてぽつり、とつぶやいた。


「小さいな……それに、細い」


(えっ、何?何なの?何が起こっているの!?)


 どうして手をこんなにもじっくりと眺めてそんなことを言うのだろう?エミリアが唖然としながら男性を見つめていると、男性はエミリアの手を掴んだまま立ち上がった。


「一緒に来てくれ」


(えっ!?来てくれって、どこに!?)




 エミリアは夜会の開かれていた屋敷の一室に連れてこられ、ソファに座らされる。エミリアの隣には、先程エミリアが頬へ拳をクリーンヒットさせた男性、この国の第三王子であるリオンが当然のように座った。

 リオンの黒髪は少し長めで前髪が目にギリギリの所でかかっている。前髪からのぞく瞳は月のような金色で、美しいのに恐ろしい輝きを放っていた。


 リオンはこの国の騎士団に所属している騎士だ。だが無愛想で無口、ほとんど人と交流を図ろうとせず、それゆえ謎の多い第三王子だった。

 任務で最近は隣国へ視察へ行っていたと聞く。まさか国内に帰ってきていて、しかも夜会に出席していたなんて驚きだ。


 この国では国民誰しもが生まれた時から神からギフトをもらう。リオンのギフトは『不屈の身体』で、どんな痛みにも耐えることができ、そもそも痛みを痛みと感じない。傷の治りも早く、毒にも強い、最強の身体を持つと言われている。

 恐らくはエミリアの拳もリオンにとっては痛みもなく、ちょっと蚊に刺された程度のことだったかもしれない。だが、リオンは紛れもなくこの国の第三王子であり、エミリアはその第三王子へ拳を当ててしまったのだ。


(まさかリオン殿下もあの場にいて、逃走犯を追っていただなんて)


 エミリアの家、アルベルト侯爵家は代々この国の騎士団を一手にまとめる最強の家として名高い。アルベルト侯爵家の血筋の人間は、例外なく神から『最強の騎士』のギフトを受けるのだ。

 エミリアの両親も兄も、武術、剣術、魔術、全てにおいて最高レベルで、この国で右に出るものはいない。そして、エミリアもまた例外ではなくアルベルト侯爵家の娘として恥じぬ教育を受け、最強レベルの腕を持っている。


 あの日、たまたま夜会に参加していたエミリアは不審者が現れたと聞いて捜索に加わっていた。会場の外を探していたエミリアはちょうど逃げてきた逃走犯を捕まえようと拳を構えたが、運悪く逃走犯を追っていたリオンに当たってしまったのだった。


 エミリアは震える手でドレスを掴みながら立ち上がり、リオンにカーテシーの挨拶をする。


「先程は大変失礼しました。なんとお詫びしたら良いか……」


 エミリアが口を開くと、黒髪の間から金色の瞳がギラリと光る。


(ひっ!)


 エミリアが思わず息を飲むが、リオンはそんなことを気にする様子もなく、エミリアの手を掴んだ。


「堅苦しい挨拶はしなくていい、とにかく隣に座ってくれ」

「は、はい……」


 第三王子の命であれば逆らうわけにはいかない。エミリアは大人しくリオンの隣に座ると、リオンは満足そうな顔でエミリアを見る。


「君は、確かアルベルト侯爵家のご令嬢、だよな。前に一度夜会で見かけたことがあるし、騎士団で君の兄上からもたまに話は聞いている。『最強の騎士』のギフトを持つあの家のご令嬢か。なるほど……」


 エミリアの手を掴んだまま、リオンはブツブツと呟いている。それから、ふと何かに気づいたようにエミリアを見つめた。


「君に婚約者は?もしくは、心に決めた人はいるのだろうか?」

「……え?いえ、婚約者も、心に決めた人も特におりませんが」


(どうしてそんなこと聞くのかしら?そもそも、さっきのことと関係ある?)


 意味がわからずエミリアの頭の上にはてなが浮かぶ。すると、リオンはエミリアの答えを聞いて嬉しそうに目を輝かせた。


(え?嬉しそう?どうして?)


「それなら、俺の婚約者になってくれないか」

「……、はいい!?」


 リオンの言葉に、エミリアは思わず素っ頓狂な声をあげた。


(こ、婚約者?なんで?え?私の聞き間違いよね?)


「あの、今、なんと?」

「俺の婚約者になってくれと言った」


(ンンン!?聞き間違いじゃなかった!?なんで?どうして私?っていうか、さっき私、殿下のこと殴りましたよね!?)


 エミリアが目をまん丸にしてリオンを見つめて固まっていると、リオンはフッと口の端を上げる。


「俺のギフトが『不屈の身体』なのは知っているだろう。そのおかげで、俺は一度も痛みを感じたことがない。普通の人が苦しむような痛みも、俺にはちょっとかすったか、くらいの痛みでしかない。だが、さっき君の拳を受けた時、物凄い衝撃と痛みを感じた。俺が、初めて痛みを感じたのは君の拳だ」


 頬を少し赤らめ、エミリアを見ながらうっとりとした顔でリオンは言う。それを見て、エミリアは目を丸くしたまま首を傾げた。


(い、痛かったんだ……?それって、やばいのでは?なのに、なんでそんなに恍惚としてらっしゃるの?え?どういうこと?)


「痛みというものはこういうものなのかと、感動すら覚えた。本当に、君の拳の衝撃は凄かった。もう一度、受けてみたいくらいに」


 リオンは頬に片手を添えて瞳を閉じ、その時の状況を思い出すようにしてうすら笑みを浮かべている。


「と、いうわけで、君には俺の婚約者になってもらいたい」

「……すみません、どうしてそうなるのかが全くわからないのですが」

「君と婚約者になれば、君とずっと一緒にいれるんだろう?君とはいずれ手合わせを願いたいんだ。俺は死の恐怖を感じたことがない。痛みも感じないし毒も効かない。傷の治りだって早い。だが、君のその力であれば、もしかしたら俺に深手を負わせることもできるかもしれないんだ」


(いやいやいや、この人頭おかしいな!?第三王子にこんなこと思うの失礼だけど、完全に頭おかしいな!?)


「あの、そんなことしたら私の首が吹っ飛びます」

「だから、婚約者になってほしんだ。俺が望んだ婚約者であれば、俺に万が一深手を負わせたとしても誰も文句は言えないだろう」


(いやいやいやいや!リオン殿下が自ら望んだことであったとしても、深手を負わせたら終わりだと思いますけど!?)


 本当に、この王子は一体何なんだろうか。不屈の身体を持つがゆえに、ネジがどこがぶっ飛んでいるのかも。王子に対してそんなことを考えてしまうのは明らかに不敬だが、そう思われても仕方ないことをリオンは言っているのだ。


「こんなに小さな手、そして細い腕から繰り出された拳の痛みは凄かった。俺の頬は、今もジンジンと痛みを持っている」

「えっ、まだ痛いのですか?でしたら早く治癒魔法を」


 エミリアが慌ててそう言うと、リオンは拒否するように首をゆっくりと振った。


「必要ない。俺はこの痛みを感じていたい。初めて感じるこの痛みを、忘れたくないんだ」


(ああ、本当にやばい人だこれ)


 エミリアは全身から冷や汗が滲み出てくるのを感じる。そもそも、この国の第三王子からの婚約の申込みを断れるわけがないし、第三王子からの申し込みともなれば、通常であればとても喜ばしいことなのかもしれない。だが、リオンの様子を見ていると、エミリアは喜ぶどころかむしろ全力で拒否したい気持ちになってくる。


「君が婚約を受け入れてくれるなら、君が俺を殴ったことは不問にしよう」

「うっ……」


(それを言われてしまったら、断れない……というか、そもそも断る権利なんてないようなものだけど)


 リオンの話を聴きながら、エミリアは放心していた。そもそも、相手が第三王子という時点で自分には決定権はどこにもない。


「あの、婚約でなければだめなのですか?リオン殿下に痛みを感じさせることができるのは、私だけではないと思います。おそらく、『最強の騎士』のギフトを持つ私の家族、特に男性である父や兄ならきっと私よりもっと殿下に痛みを与えることができると思うのです。私がわざわざ婚約者になる必要は……」

「さっきも言ったけど、婚約者だからこそ俺に深手を負わせても問題ないんだ。それに、君の父上や兄上が俺に本気で向かって来てくれるとは到底思えない。それに、俺は君がいい」


(んんんーっ、婚約者になったとしても、私だってリオン殿下に本気で向かうことなんてできないんですけど!?)


 エミリアは困った顔をしながら口を開けたり閉めたりして何かを言おうとするが、言葉が見つからない。そんなエミリアを、リオンは真剣な表情で見つめて両手を掴んだ。


「逃走犯が転んで君が急に俺の目の前に現れた時、俺は君を見てなんて綺麗な人なんだろうと思った。殴られた俺のところに駆けつけた君を見た時も、胸が大きく高鳴った。俺はどんな令嬢を見ても何とも思わない。人を好きになったことなんて一度もなかった。でも、君は違う。この胸の高鳴りは、きっと君を好きという気持ちなんだと思う」


 エミリアの両手を自分の胸元へ持ってきて、リオンはそっと瞳を伏せる。


(いや、それは好きという気持ちじゃなくて、殴られて痛かった衝撃で心臓が高鳴っただけだと思う……初めての感情と感覚を、好きと勘違いしてるだけよね、きっと)


 エミリアはさらに困惑した表情を浮かべるが、リオンは伏せていた目を開いて金色の瞳をエミリアへ向けた。


「どうか、俺の婚約者になってくれ」


(うっ、きっと勘違いですよ、なんて言えないし……第三王子の申し出は、やっぱり断れないわよね)


 エミリアは困惑した瞳をリオンに向けながら、口をキュッ閉じる。それから、小さく息を吐いて、コクリ、と小さく頷いた。


「わかりました。申し出を、お受けします……」


エミリアの返事に、リオンは前髪で隠れた両目を心底嬉しそうに輝かせた。



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