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龍つかいの憂鬱  作者: 河辺 螢
龘 - 龍つかいにつかえる龍の逆鱗
44/49

5-7

 レーナが目覚めないまま、十日が過ぎた。

 ノルドランシアは本来なら今が一年で一番気候のいい季節なのだが、分厚い雨雲が天を隙間なく覆い、連日激しい雨が続き、時に雷鳴が響いていた。


 ルヴェインはノルドランシアの城内でレーナが目覚めるのをただ待っていた。何故目覚めないのかわからない。生命に関わる魔法を使ったことが原因なのだろうか。しかし今できることは、待つこと以外になかった。

 気が付けば一日が過ぎている。そんな毎日だった。

 アウレリアもアンジェラも部屋を訪れたが、何を話しかけてもルヴェインは生返事で、レーナにも変化はない。アンジェラは一度謝ろうとしたが、謝罪を拒否され、それ以来部屋に入ることも許されなかった。

 出された食事をとり、見守りながら目覚めを待ち、一緒に眠る。

 もしこのまま目覚めなくても、近いうちにルドールの家に戻るつもりだった。必ず連れて帰ると約束したのだから。



 いつの間に眠っていたのだろうか。ぼんやりとした意識の中、声が聞こえた。

「…怒ってる?」

 ただ真っ暗な闇しか見えない。暗闇に響く懐かしい声。

「怒ってるよね。ごめんなさい」

 声の主の姿は見えない。だが、その声を忘れたことはなかった。

「どうして謝る?」

「私が、自分の子供を守れなかったから…」

 レーナだ。ずっと目覚めるのを待っていたレーナ。すぐ近くにレーナを感じる。

「おまえの子供は俺が守っている」

「…ほんと?」

「本当だ」

 暗闇に、小さな、かすかな光が浮かぶ。しかしレーナの姿はどこにもない。

「でも、いないよ。龍の気配がしない」

「今は卵の中だ。今のところ安定しているが、もう少し育てて様子を見ないと…」

「卵?」

 小さな光が、強く、弱く光を変化させながら、ルヴェインの周りをぐるりと回った。

「卵! 私、卵を産んだの?」

「いや、産んだわけじゃない。一時的に卵に移し替えて…」

「じゃあ、子供は卵の中にいるの?」

「そうだ」

「すごい! じゃあ、私、卵のお母さんになるのね!」

 光の強弱が強まり、飛び跳ねている。まるで蜜を好む虫が花を見つけて喜んでいるかのようだ。

「私、卵を産んでみたかったの」

「…は?」

「ずっと卵を育ててみたかった。龍の卵って、ルドールじゃ生まれるのを見守るしかないんだけど、それなのに少ないチャンスを逃して孵化にもなかなか立ち会えなかった。…私ね、龍のお世話して、好きなことを仕事にしている割に、龍のことになるとあんまり運がよくないんだよね」

 光はゆっくりと弱まりながらも少し大きくなり、ルヴェインが掌を添えると、その上で浮かんだままじっとしていた。

「生まれるところを見逃して、頑張ってお世話しても一番にはなれなくて、ずっと下っ端扱いでバカにされて言うこと聞いてもらえなくて。龍に乗れるようになったのも遅いし、龍の国に行っても結構嫌われちゃったし。…それでもね、それでも龍使いになったこと、後悔はしてないの。ルヴェインと会えたし…」

 光はコロコロと明るさを変える。時に強く激しく、時に弱く悲しく、思いを伝えるように。

「それなのに、ルヴェインとの子供を守れなかった。一番大切にしなくちゃいけないのに。命を懸けてでも守らなきゃいけないのに…」

 龍の卵を守ったことに迷いはなくても、守るべきものを守れなかったことに心を痛めている。もしこの命を失えば、この後悔は永遠に続いてしまうのだろう。この命を守ることは、レーナの心を守ることでもある。

「大丈夫だ。おまえがぬかってるところは俺がフォローする。俺はおまえに仕える龍だからな」

 光が浮かび上がり、ルヴェインの頭の周りをくるくると回った。せわしなく何周も回った後、ルヴェインの頬に近づき、光でありながら触れられたように感じた。

「いつだって私、ルヴェインに助けられてばかりね。…ありがとう。これで子供は大丈夫ね」

 安心したように光を落としていく。消えそうな光にルヴェインは眉をひそめ、冷たい声で警告した。

「油断するな。言っとくが、卵に移し替えただけだからな。龍の卵と違ってほっといても育たないぞ」

 そう言うと、光は頬から離れてきゅっと縮まり、明るさを強めた。

「え??」

「おまえの体と卵の中はへその緒でつながってる。卵の中の子はおまえから栄養をもらって育つんだ。おまえがいなくなったら、卵も死ぬことになる」

「ええっ?」

「おまえが命を懸けていては守れない。…卵のためにも戻って来い。目を覚まして、ちゃんと飯を食え。おまえが元気にならないと、この卵の中の命は育たない」

「そっか。…それは責任重大だ。私、ちゃんと人間のお母さんでもあるんだ。…そうかぁ」

 光はぼやけながら大きくなり、やがて人の形になった。顔がどこかもわからない、頭があり、手足があるだけの人型。しかし、それは確かにレーナだった。

「じゃあ、ルヴェインの所に戻らなくちゃ。戻って、おいしいものいっぱい食べて、のんびり過ごして。でもあんまりぐうたらするのもよくないって聞いたことがある。…仕事、続けても大丈夫かな。薬草や木の実を取りに行く時はついてきてね。きっと木登りはしちゃ駄目だよね。高いところの実はルヴェインがとってくれる?」

「ああ、そうしよう」

「龍になれる子だったら、飛び方を教えてあげてね。龍になれなかったら、私が乗り方を教えるから」

「おまえがか?」

「…へたっぴになるかなぁ」

 自信なさげにうなだれる姿に思わず笑みが漏れた。しかし伸ばした手が触れるものはなく、光の向こうに透り抜けた。それでもその光に触れずにはいられなかった。

「それでもいい。俺の背に乗り、おまえが教えてやればいい」

「うん」

 顔のない光なのに、笑っているのが、喜んでいるのがわかる。

「必ず、…必ず戻って来い」

「うん」

 人の形になった光が目も眩むほどの光を放ち、はじけて再び元の暗闇に戻った。


 誰もいない、一人きりのただの暗闇。それなのに、不安も怒りも消えていた。

 レーナが戻って来る。もうすぐ、自分の元に。

 ルヴェインの瞳は金色に戻り、口元には笑みが浮かんでいた。


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