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久々に家に戻ったレーナは、家族に短く挨拶した後、龍舎に行って龍一頭づつに挨拶した。ルヴェインが威圧も見せず龍使いのように龍と接しているのに驚いた。お土産のオレンジやリンゴを振る舞い、小さな龍には口元まで運んで食べさせ、はっと振り返ったが、ルヴェインは怒ることもなく見ているだけだった。
夕食を取りながらレーナはドラゴネッティでの暮らしや国に戻る途中の旅の話をし、久々に母の料理をたっぷり食べた後、いつものように自分の部屋に引き上げた。
部屋に入って驚いた。
自分の部屋がルヴェインの部屋になっている。
さほど散らかってはないものの椅子の背にかけられた上着や、空のカップ、皿に乗せられたままの果実や自分が使わないインクとペン。かすかに自分がいた頃とは違う匂いがして、違和感を感じた。
一緒についてきたルヴェインに、
「ここ、使ってたの?」
と聞くと、
「当たり前だ。元々ここで暮らしていたんだから」
「え、じゃあ私は?」
「おまえもここだ。ずっと一緒にいただろ」
確かに、子龍の姿だった頃はずっとこの部屋で一緒に過ごしていたとはいえ、今目の前にいるのは、恰好は庶民寄りでも顔はロイヤルな人型の美形だ。婚約者としてドラゴネッティ王国で三カ月間一つ屋根の下で過ごしはしたが、顔を合わせる時間の方が短かった。
それなのに、こんな狭い部屋で、一緒に…?
この、人型のルヴェインと?
ぼーぜんと扉の所で立ち尽くしていたレーナの手を引き、ルヴェインはかつて一緒に暮らした部屋へと招いた。
相変わらず机と椅子、クローゼットにベッドがあるくらいでソファもない部屋。腰かけたのはベッドの上だ。かつて子龍と一緒に寝ても場所を取り合うほどに小さなベッド。かつてのようにここに二人で寝る…? あり得ない。
「こ、婚約って、解消されてるんだよね」
「いいや?」
まだ婚約者のままと言われても、ドラゴネッティではルヴェインを責め立て、勝手に出ていった身だ。改めて二人になるとちょっと緊張してしまう。
姉の使っていた部屋を使おうかと考えていると、
「食べるか? 今日摘んできた」
ルヴェインは机の上にあった皿を持ち上げ、ハートに似た形の赤い実をつまむと、そっとレーナの口元に差し出した。そのまま口にほおばると完熟した実は口の中で果皮がはじけ、深い芳香と濃厚な甘味が口の中に広がった。
「これ、…ルビノの実? 近くにあったの?」
かなり珍しい実だ。レーナは家の近くでルビノの実が採れる場所を知らなかった。
「俺も見つけて驚いた。…ん、」
皿を突き出してくるそのしぐさは、もっと食べろ、ではない。察して赤い実をつまんで差し出すと、ルヴェインは顔を寄せ、迷わず口に含んだ。嬉しそうな顔。ルヴェインにとって差し出された実を口にすることは本当に特別なことなのだ。その変わらなさが龍として共に暮らしたあの頃を思い出させて、レーナの緊張をほぐしていった。
「王族の仕事は?」
「ない。今、国外追放中」
「追放? なんで?」
「よその国の王女がうざったくて、龍の姿で吠えたら腰抜かした」
深く語られなくても、その情景が目に浮かんだ。確かにそれは国際問題になるだろう。
「それって、あの…?」
「おまえの前で踊らされたあの女だ」
ダンスをせがまれたルヴェインが渋々引き受けていたことは察していたが、まさかそんな騒ぎを起こしていようとは。
「そんなに嫌だったんだ…」
ぼそりとつぶやいた言葉に、ルヴェインは笑みを浮かべた。
「俺が嫌がってるの、ちゃんとわかってたんだな。それでも我慢できないくらいおまえを追い込んでしまったことを、…本当に悪かったと思っている」
皿を机の上に戻すと、ルヴェインはレーナのすぐ隣に座った。
「俺がそばにいたいのはおまえだけだ。こうして触れたいのも、触れれば抱きしめたくなるのも」
頬に添えられた手がレーナの視線を上げ、ルヴェインと目が合うととたんに顔が熱を持った。それを見たルヴェインは柔らかな笑みを向け、近づいてきた顔が軽く唇に触れた。
「おまえは俺に仕えなくていい。俺が龍使いに仕える龍になる。おまえのそばにいて、毎日おまえを見て、おまえと話し、おまえに触れて、一緒に生きていく」
引き寄せると力なくもたれてきたレーナを腕の中に取り込み、髪に顔をうずめると、記憶の中のレーナと同じ匂いがした。
ずっと見守るだけだった自分の魂の半分が、ようやく戻って来た。
「…もう離さない」
寄り添っていたレーナが、何かのはずみに急に身を固くした。そして落ち着かない様子で両手でルヴェインの胸を押して距離を取りたがり、慌てたように
「そ、そんな甘い言葉をかける時は龍の姿になって!」
と無茶なことを言ってきた。
胸に抱き、頬を寄せ合うこの状況で龍になれと?
「絶対、魅了の魔法か何かかかっちゃうのよ、その姿、その顔! か、かっこよすぎるの。見ただけでこんなにドキドキするなんて、絶対おかしいもん」
魅了の魔法。確かに人型になったルヴェインの容姿はそんな力を疑いたくなるほど人を惹きつけはする。そんなくだらないことに魔力を使ったことはないが、龍族が他の種族を制するためにそんな力を秘めている可能性もないとは言えない。
しかし「人になれ」と言われたことはあったが、あえて「龍になれ」と言われるのはルヴェインにはなかなか新鮮だった。
それにしても、この状況でそれを言うのか?
じっとレーナを見つめると、更に顔を赤くして言い訳を続けた。
「ルヴェインのことを好きなのが見た目に魅かれてるだけなのか、そうじゃないのか、わかんなくなっちゃう」
視線をうろつかせ、ほろ酔いの恋心と酔いきれない自分に恥じらう姿。好きだと思うならときめく思いに溺れてしまえばいいのに。
「魔法のせいでもいい。レーナが俺を想ってくれるなら」
そっと唇をついばんだ。短く何度もついばむごとに抵抗するレーナの力が抜けていき、身を任せられるほどに想いが共鳴しているのを感じる。
「俺が触れるのは、嫌じゃないな?」
レーナは眩し気に眼を潤ませ、こくりと頷いた。
「なら、このまま魔法にかかっていればいい。俺の想いは変わらない。…おまえは俺のものだ」
レーナがこの容姿にときめくならそれも悪くない。もっと酔えばいい。もっと虜になってしまえ。その心も体も全て自分が占めるように…。
レーナの手がルヴェインの髪を梳き、そのままそっとつかんだ。唇を合わせたままゆっくりと傾き、横たわる体。
その夜、ルヴェインが龍の姿に戻ることはなかった。
翌朝、朝食の席で昨日ルヴェインが見つけてきたルビノの実が話題になり、二人で食べたことを話すと、
「味見したかったなぁ」
とフェルモが残念がった。
「森に自生しているなんて思わなかったな」
父母も兄も見たことないらしく、
「レーナが戻ってきた日に実を見つけるなんて、運命を感じました」
そう言ってそっと笑みを見せたルヴェインから、続けて
「ドラゴネッティではルビノの実を与え合うことで婚姻が成立するんです」
と聞かされ、レーナは食べていたものを吹き出しそうになった。
「あら、じゃあ久々のときめきの味だったのね」
母の言葉で、自分たちは既に結婚していると思われていたと知り、レーナは顔を引きつらせるしかなかった。自分たちのことは夫婦げんかして実家に戻った妻、それを追いかけてきた夫と思われていたのか。
それはともかく、ルビノの実で婚姻成立? そんな大事なことを碌に説明もせず実行してしまうこの龍をどうしてくれようか。レーナはわなわなと震える手を抑えられなかった。




