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ルキフェルの夢の終わり  作者: 美夜
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第四十九話 聖書の生みの親

「私を置いて空に去った者たちをかたどって作られた人間を、永遠に私の中で引き留めておくには、どうすればいいか。私は考えた。

 人間の最大の武器である、信仰心を利用することにした。

 楽園が崩壊した後、私は数千年のあいだ、時節が巡るのを待った。人々の祈りをより多く集めるための、絶好のタイミングが必要だったのだ。これはとても骨が折れたよ。

 時間はかかったが、人間たちは実に単純で従順だった。超常的な力を見せつければ、『この神がいなければ自分たちは明日を生きていくこともできないのだ』と考えてすぐに私に頭を下げに来た。

 祭壇を作らせた後、その見返りとして食糧を与えて街を繁栄させてやり、そして権力の象徴としてピラミッドを作らせた。

 ついには、祈りで成り立つ理想的な都市が出来上がった。バビロンの黄金期はその最たる成功例だ。そこで実際に、人間の想念というものがいかに力があるのかを知った。

 信仰が十分に集まり、潮時となった。しかし、お前に見せたとおり思いもよらぬ悲劇が起きた。私はバビロンを去った。奇しくも、私が街を捨てたタイミングはちょうど良かった。

 その後、私は新しい信仰体系を用意した。メソポタミアでいろいろな神話を書かせた時の経験を生かして、『聖書』を書かせたのだ」

 再びジッグラトが俺の目の前に立ち現れた。頂上の神殿へと続く大階段、各層にある部屋、そしてイシュタルが祭られていた頂上の祭壇にも、剣を持ったたくさんの兵士たちがいた。俺はそれを見て、やはりジッグラトは他国によって占領されたのだと知った。

「この聖なる山、ジッグラトを象徴として、バビロンが滅びる物語を書かせた。『神を無視して街を作れば、怒りを買い、いずれその街は滅亡するだろう』と人間たちに教え込んだ。

バビロンの時のように私が神として地上に降りなくても、人間たちがその聖書を読み、信じてくれればそれだけで私の計画は成功したようなものだった。信じる者が多ければ多いほど想念が現実に実体化し――たとえそれが偽りの神、偽りの物語であっても――もう私が直接手を下さずとも、人間が勝手に私の思い描いていた通りの世界を作って行ってくれた」

 アンはどこからともなく大きく分厚い本を取り出した。黒い革張りの本。聖書。

 彼女はそれをペラペラとめくり、とあるページで止めた。

 世界でもっとも読まれているこの本は、彼女が書かせた……?

「バベルの塔の崩壊。我ながら劇的に描かせることができたと思っているよ。そうしなければいけなかった。なぜなら、バビロンが滅び、バベルの塔が崩れ去るのは、私の計画の始まりを告げる、記念すべき出来事だったのだから。

 ――ここで並行世界というものが生まれたのだ。

 まさしく木というものを順に下から見ていくと、数限りなく分かれた根から始まるように。

 実際に、聖書にこうあるだろう?

『主はそこから全ての土地に人を散らされたので、彼らは街づくりを取りやめた。そのために、この街はバベルと名付けられた。主が全ての土地の言葉を乱し、そこから人を全ての土地に散らされたからである』

 もともと一つだった世界は、ここで分かれたんだよ。誰にも分からないほど巨大な時間と空間の壁が建てられて、人間は無数に分断された。そして、無限に分岐する『可能性』に従って、数えきれないほどの世界が生まれた。

 バベルの塔の崩壊のように、私が過去にやったことを徹底的に否定させる必要があった。キリスト教という新たな物語を、出来るだけ多くの人間たちに信じ込ませる必要があったからだ。だから、黙示録において私自身を『大淫婦バビロン』と呼ばせ、もっとも醜悪なもの、堕落の象徴として信じさせた。キリスト教を信じるそれ以降の人間たちの想念を出来るだけ私の近くに引き寄せ、それによって世界の大きな流れを占領し、私の思い通りの物語を作るために。

 私の計画はことごとく成就した。

 ”ここ”がその証拠だ」

 見覚えのある景色。ガラス張りのはるか下方には、見たこともないほど巨大なビル群が密集している。そのどれもが過剰なほどの電飾にまみれている。歪曲した壁に包まれた円筒状の部屋と、円形の天井。その中央の床には、八芒星に乗った蛇のとぐろ。<エウニル>と呼ばれる、世界を管理する組織――。

 元の場所に戻ってきた。

 俺が最初に赤い空の世界に迷い込んだ時から幾度となく浮かんできた、この世界に対する探求心や「?」マーク、はっきりとした答えを知りたいもどかしさは、異次元からやってきた大きな津波が飲み込んで拉し去ったかのように、俺の遥か彼方にあった。

 だからかえって俺の心の中は研ぎ澄まされ、これまでアンの話を聞き真実を知ったからこそ下せる「最良の決断」の存在に気づくことが出来た。いま俺はその一点に向かって意識の焦点が絞られていた。

 アンは中央のシンボルマークを挟んで向こう側に、俺に体の側面を見せるようにして立っていた。

「すまない。長々と自分語りをしてしまったな。――だが、知ってほしかったのだよ、お前だけには」

 その時の一瞬、彼女はそれまで見せなかった表情で、視線を床に落とした。何の表情なのか分からなかった。落胆? 困惑? 恥じらい?

「新しい時代が来ているんだ。私も予期していなかった、何もかもが生まれ変わる全く新しい時代が。私が太古の昔に仕掛けた計画が全て成就したと言ったが、それにほころびが出てきたのだ。実際、これまでの世界の流れは、私の思い通りだった。しかし、最近はコントロールが利かなくなってきている。これがどういうことなのかはまだ分からない」

 部屋の中央から渦が現れた。半透明で薄く青い色を帯びており、頂点の一点から渦の回転が始まり、最下点の一点で終わっている。完璧な上下対称の螺旋形だ。

 アンはそれにゆっくりと近づきながら言った。

「ただ一つ言えるのは、無限の世界を統一する<ルキフェルの渦>の秩序が乱れつつあるということは、私自身に変化が起きているということだ。なぜなら、<ルキフェルの渦>とは私自身だからだ。私は『全』であると同時に『個』。つまり、世界そのものでありながらそこから独立した一つの生命体でもあるのだ。

 ここ、<エウニル>も大きく変えなければいけなくなるだろう。根本的に組織を再組成することになる。――そういえば、<迷いの間>の現場で動いている<八叉の守り人>も、もう解放してやっていいな」彼女は独り言のようにそう呟いた。「本来、私のわがままで集められた人間たちだ。いつの日か時空の狭間にお前が落ちたとき、すぐに分かるように。だが、もうその必要はなくなった。現場の管理は人間ではなく<エウニル>でやる」

 するとアンは目を瞑った。数秒後、目を開けた。

「いま、<迷いの間>の管理者だった人間たちを、全員、解放した」

 半透明の螺旋は、じわじわといくつもの映像を映し出した。

 そのどれもが、一通の白い封筒を手にしている人間を映し出していた。二十代の若い人間から五十代の人間、男も女もいる。彼らは、アンに捕らわれていたのだ。

 彼らの中に、見おぼえるのある男がいた。前に赤い無音の世界で出会った、黒い作業服の中年の男だった。白い封筒には名前が書いてある。『兵動ワタル』。彼の名前なのだろう。彼は封筒から一枚の手紙を取り出して、読んだ。彼の目はみるみるうちに見開かれた。彼も、”その一人”だったわけか。

「どんな新時代が私を飲み込もうとしているのかは分からない。だが『自由』の時代が来る、ということは言える。私がイシュタルだった時代からあった世界の檻は破られる。黙示録に自ら書かせたように『大淫婦バビロン』が滅びる時代が来たのかもしれないな」

 そう言うアンの顔からは、やはり何の感情も読み取れなかった。

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