第四十六話 正夢
俺はすぐそこにいる少年を見ながら、アンが出会い頭、開口一番に俺を「アシン」と呼んでいたのを思い出した。そして、俺はひどく驚いた。
この子が、俺の前世だと言うのか?
腰回りに身に着けている茶色の衣服のようなものは、先ほど通り過ぎた男のものとは違いボロボロで、所々が破れているが、上半身の肌は繊細で滑らかだった。ぽつりぽつりとイシュタルへ向かって返す言葉は、まるでハープのように透き通る、驚嘆する美しさだった。
少なくとも、俺自身はその子供を見て、自分と似通っているところは見出せないような気がした。強いて言えば、目元が子供のころの俺に似ている……?
「この時代のこの土地の人間たちは、私を『美の神』と呼んだ。偶像を作り、奉った。多くの殉教者を生んだ。それを当然のように思い、私の美しさに比類するものなど、この地上にないと思っていた。――お前と出会うまでは。夜毎、お前と寝るとき、美しい瞳を通して、穢れを知らない肉体の奥にある、清らかな魂を感じながら抱いた」
場面は知らぬ間に夜になっており、神殿の四方にある炎の明かりと、アーチの外に見える無数の星々がおぼろげにベッドを照らしていた。「アシン」と呼ばれる少年はイシュタルに手を引かれて恐る恐る絢爛な寝台へと入って行った。
「お前と夜を共にして初めて、肉体の美以外の美の実在を信じることができた。それに、お前の水晶のような目を見ていると、本当の私でいられるような気がしたのだ」
その時、俺の頭の中で何かと何かが勢いよく衝突し、結合した。寸分の狂いのない結合。俺は確信していた。
この光景を夢で見たことがある!!
吹き込む涼しい風に揺らめく炎、ふわりとうごめく純白のカーテン、存在感のあまりの巨大さと無言の威圧感に震える俺の膝、華奢な手を取りながら微笑を浮かべる、紅いレースを身にまとった妖艶な女性……。
知っている。このあと何が起きるかも。
イシュタルは”俺”を仰向けに寝かせ、じっと見つめた後、ゆっくりと股を開き、”俺”の腰にまたがった。
彼女はそのまま”俺”の上で身を伏せ、覆いかぶさるように口づけをした。それは長く続いた。
俺は”奇妙な必然性”に、頭を揺さぶられるような衝撃を感じていた。黙ったままそれを見ていることしかできなかった。
「お前は知らないだろう。それまで毎日数えきれないほどの人間と交わり、『娼婦の守護神』と崇められるようになったことに誇りを持っていた私が、お前と出会ってから、どんなに上等な男や上等な女を抱こうと満足できなくなったのを」
場面は切り替わり、星の雫のようにベッドの天蓋から垂らされた黄金の下で、イシュタルは姿かたちを変えていた。驚くべきことに、瞬きの後、彼女は男になっていた。筋肉は彫刻のように固く引き締まっており、下腹部には男の象徴である雄々しい”それ”があった。
ベッドにはすでに人の気配があった。全裸の女が寝返りを打っていた。
口周りに豊かな髭を生やした男はおもむろに女と交わり始めたが、何を思ったか突然動きを止め、神殿中に響く声で女に何かを言った。素早くカーテンから出てきた全裸の女は、青ざめながら衣服を抱えて去って行った。
「私の日々には、性交と支配、これしかなかった。これさえあれば満足だった。
だが、お前と出会って変わった。
お前を抱くまで、人間たちの言う『愛する』ということの本当の意味が理解できなかった。もっとも愛というものから遠くにいたはずの孤独なお前が、私に教えてくれたのだ。
私は来る日も、来る日も、お前を愛した」
次に場面が切り替わった時、アンはベッドの縁に腰かけてカーテンの中を覗いていた。彼女の体は俺と同じでカーテンを”透過”した。俺も彼女のとなりへ行き、顔を純白の壁に突っ込んだ。
その中では、驚くほど平和でゆっくりとした時間が流れていた。
ベッドに横になっているイシュタルは、まるで別人のように穏やかな様子で”俺”と話していた。
アンはそれを見ながら依然として”いまの俺”に語りかけた。
「お前のことを知るたびに、愛おしさは増していった。お前は唯一、私と心を通わせてくれた人間だった。――あっちへ行ってはこっちへ行くような根無し草が落ち着く場所を得ることほど、嬉しいものはない」
目の前に、たくさんの群衆と広場が立ち現れた。天には青空が突き抜けている。周囲は小鳥がさえずる多くの街路樹に囲まれており、立ち並ぶ日干しレンガの住居と対照的な緑を広げている。各々区画されたマス目の中で、たくさん花が種々に咲き、その上を色とりどりの蝶が舞い、まるで理想郷のような様相を呈している。
その麗しい景色を背景にして、大きな広場には人々がひしめくように集っていた。太陽に眩しく照り返す玉座に座ったイシュタルは、自らのために奏でられた音楽と舞踏を見下ろしていた。
胸元や腹を多く露出させた、イシュタルに似た格好をした女性たちは、円形をなして、腰をくねり、足を振り上げ、髪を振り乱しながら艶めかしい踊りを繰り広げていた。
彼女はいつもの冷たく射貫くような目でそれを眺めていた。しかし、その中でぎこちなく腰を回して腕を振り回している小さい”俺”の姿を認め、一瞬、春風が過ぎ去ったかのように彼女の顔は暖かく緩んだ。




