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ルキフェルの夢の終わり  作者: 美夜
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第三話 血のように赤い空

 日が傾きかけてきた。ビルの側面が徐々に赤く染まってきているのを見てそれと知った。俺は再び街に戻っていた。

 アルバイトの度に通る下通は、いつ来てもたくさんの人が行き交っている。授業が終わって解き放たれた中学生や高校生の奔放な笑い声があちこちで聞こえる。商店街にあるスーパーに夕食の買い物に来たのであろう中高年の女性たちの間を縫って、俺は足早にアルバイト先へ向かう。五分ほど大きな通りを進むと、右側に細い路地が見えて来る。ここは下通とは違って屋根がないので、通りの騒がしさが青空へと突き抜けて、少しひっそりとする。しかしその代わり歩行者天国ではなくなるので、時折通る車に注意しながら歩かなければいけなくなる。

 ここに入ればもうあと少しで着く。

 ――朝起きてから頭の中にあった一つの想念は、いまだに尾を引いていた。

 俺はこの数年間でたくさんの女の子と付き合ってきた。可愛い感じの子もいれば、美人な感じの子もいた。素直な子もいれば入り組んだ子もいた。理想の女の子を探してあれこれと手を付けていった。人並みかそれ以上には恋愛の経験は積んできたはずだ。そしてそのどれもが上手くいったはずだ。それなのにいま俺の心の焦点は、彼女たちとの記憶を通り越した、とある過去の一点へ向かって結んでいた。

『タイミングは数えきれないほどあったはずだ。それなのに、なぜカレンに告白しなかったんだろう』

 この言葉は今日だけでも何度も頭の中で浮かび上がった。白昼夢のように具体的な映像と質感をあとに伴って。

 カレンの顔が思い出されるたびに、次の言葉も一緒に浮かび上がった。その言葉の裏にある思いは、繰り返される度にむしろだんだんと澄んでいった。

『正直、別にカレンは可愛くはなかった。小動物のようなキュートさとはほど遠かったし、”清楚さ”とは無縁な女の子だった。確かに顔形は人一倍整っているかもしれないけれど、目の覚めるような憧れを感じたことはないし、性的に興奮したことはほとんどない。クシャミの仕方もどちらかといえば下品だし、女の子らしい甘え方をしているところなんて、一度も見たことがない。

 俺はこれまで、それなりに色々な女の子と出会ってきた。それなのに、いまひたすらカレンのことだけを考えてしまっているのはなぜ? 

 夢のためにいつも未来に向いていたベクトルが、突如として過去に向いてしまったのはなぜ?

 ”恋愛”とか”異性の理想像”とかを全て通り越して、ただカレンを求めているのはなぜ?

 カレンこそが、今まで出会った中で一番自分に合う女性だという思いから離れられないのは、なぜ?』


 俯きがちに考えながら歩いていたので、気づいたときにはすでにアルバイト先に到着していた。

 いつものように裏口の扉の鍵を開けようとした。

 その瞬間、激しい違和感を感じた。

 何か目に見えない得体の知れないものに背中から襲われたように感じて、鍵を挿し込もうとした手が止まった。

 さっと、空気中の物質がごっそり入れ替わったような、そんな感覚――。

 元々ここは薄暗く、人通りが頻繁にあるような場所ではないので、より一層気味が悪く感じた。早く中に入ってしまおうと素早く鍵をドアノブに挿し込もうとした。しかし、挿さらない。もう一度鍵穴をよく見て、押し込んだ。同じだ。まるで穴そのものがコンクリートか何か固いもので塞がれているように、少しも鍵が前に進まない。試しにドアノブを回そうとした。びくともしない。隙間という隙間を溶接されたような固さだった。

 訳が分からない。一体何が起きているんだ! 寒気を感じながらドアから後ずさった。

 ビルの屋根付きの裏口を出て、路地裏のアスファルトに足が着いた途端、先ほどよりも強烈な違和感が俺の全身を包んだ。全細胞が別のものに変容させられているような気持ちの悪い感覚に、吐き気すら感じ始めた。

 首をひねり素早く周りを見渡した。

 何もない。それが、俺が最初に感じたことだった。路地に並んでいる店の外観や看板はいつものままだ。しかしそれなのに、なぜこんなにも怖い。なぜこんなにも空虚に満ちているんだ。

 人が一人も見当たらない。この細い路地はいつも人通りがそこまで多くないとはいえ、これはいなさすぎる。

 というより、人の気配そのものがが全く掻き消えていた。生物そのものが全て、俺を残して地球上から消えてしまったような。

 恐怖に続いて、理解しがたいほどの物寂しさに襲われた。とにかく誰か人を見つけなければ、と本能的に思った。大通りに出るために路地を戻ろうとした時、先ほどまでは視界に入らなかった、さらに大きな「異変」に気づいた。時間帯を考えればおかしくないか、と一瞬思った。俺は視線を徐々に上に上げ、空を仰いだ。いや、赤すぎる――。

 血のように真っ赤な空。見たこともないほど濃く、深い、赤色に染まった空。

 腰が抜けて崩れ落ちそうになるのを寸前でこらえていた。

 俺の違和感はその時、頂点に達した。


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