⑴
「え?まだ観てるじゃん?」
「終わったじゃん」
「エンドロール」
「……」
星野は変なこだわりがある女で、エンドロールの人間の数をいちいちチェックをし、「これは人件費を使っているな」とか「プロデューサー、〇〇と一緒だ」とか、ちょっと変わった目線から作品を観る。星野が呟く。
「この映画は誰も死ななかったね」
「まぁコメディだからね」
私はさっきコンビニで買ってきたポテトチップスうす塩味を鞄から出した。星野はそれを一瞬だけ見て、エンドロールに視線を戻してから言った。
「私さ、このまえ映画館に一人で行ったのさ」
「うん」
「予告編ってあるじゃん、映画の前に」
「あるね」
「あれのやつさ、全部さ、誰かが死ぬ感動系の話だったのさ」
「そうなんだ」
彼女は、テレビの画面を凝視しながら声色を変えて突然叫んだ。
「『余命宣告。彼女が最後に残した奇跡とは!この冬一番の感動が日本中を包み込む!』」
「……」
「映画ももう終わりかなって思うよね」
「そうかなぁ」
私はポテトチップスを食べながら適当に相槌を打っているが、そんなことは気にもせずに星野は続ける。
「だって、死ぬんだよ。死んだら終わりっしょ」
「でも泣けるじゃん」
セカチューで私は何度も泣いた。
「死んだら裏切られた気分になるんだよね、私。そのキャラクターに対して私なりの愛を持って観てやったのに、最終的に殺すってさ。そりゃ泣くでしょ」
「それが狙いだからね」
「まぁ、たまには良いけど、全部が全部死んで感動する映画だったら、どこで作品の面白さは分かれるの?」
ここ暑いなぁ、アイス食べたいなぁ
「ねぇ?どこで面白さがわかれるの?」
帰りにアイス買って帰ろっと
「ねぇ!」
「……って、私に聞くな」
「だって役者さんでしょ」
「もう辞めたから」
「ふーん」
「……」
「ふーーん」
「何?」
「未練たら子」
「は?」
「未練たらたら子」
「どこが!」
「そこが!」
こうなると埒があかないことを私は知っている。まるで駄々っ子をあやすように私は優しく言った。
「今日バイトじゃないの、あんた」
「あ、そうだった!やばい」
星野は急いで準備をして、そして扉の前で一時停止した。
「夕は、それでいいの?」
「……」ポテチ飽きたな。
「また明日ね~」
大学の映画研究サークルの部室。そもそも映研の存在なんてうちの大学では誰も知らないと思うぐらいマイナーなサークルだ。星野とはこのサークルで知り合った。入部当初はまったく会話をしていなかったが、サークルの帰り道に星野が突然声をかけてきた。その一声に圧倒されてしまい、それからこの子とはなんだかんだ一緒にいる。
「中村 夕!君はちゃんと生きてるか?」
今となって思い返すと「こいつ、やばいな」と思うけど、当時はなんだか見透かされている気がして星野という人物は私にとって特殊な存在になった。そして部員は少しずつ減っていき、今では私と星野だけ。私達が新入生募集を何もしなかったのも大きいかもしれない。そもそも大学的に公認なのか非公認なのかもよく分からない。
この部室には、映画のDVDが乱雑に入っているボックス、映画関連の本や、使えなくなった古いカメラ、あと巻数が抜けているギャグ漫画がバラバラにあったり、ギリギリ使えるDVDプレイヤーとブラウン管テレビ。あとはガラクタ。ここは秋だというのに真夏と勘違いしてしまうくらい暑い。蒸し蒸ししている。埃っぽい。臭い。
なんで私、ここにいるんだろ。こんな所にいる必要もないのになぁ。
阿呆な話をするが、私が産まれたのは想定外だったらしい。一九九九年十月に私は産まれた。当時、私を生んだ母親はセックスをする時に避妊を徹底していた。でも私が生まれる原因になった夜だけは例外だった。女はノストラダムスの大予言を本気で信じていた。「一九九九年の七の月に空から恐怖の大王が降ってきて、人類は滅亡する」。そんなことを本気で信じていたのだ。だから死ぬ前に一度くらい、ゴムの隔たり無しでやりたいと思ったらしく、好きでもない男と羽目を外して、そしたら私ができた。予言の時は、もうお腹はパンパンに膨らんでいて、おろせば良かったものを、こいつはどうせ死ぬのにお金が勿体ないという理由で、私をそのままにしていたらしい。でも結局、恐怖の大王なんて来やしなかった。おろすのに手遅れだったらしく仕方ないから私は産まれたのだ。父は知らない。私の父は恐怖の大王ですね。本当に阿呆な話だ。
物心ついた時から、そのことを耳にタコが出来るほど母から聞かされた。イライラするとこいつは私を殴ったし、私はこいつを殴り返して、さらにこいつは私を殴った。いつも助けてくれたのは私のお婆ちゃんにあたる人で、私はお婆ちゃんが大好きだ。だって私を育ててくれた親は実質この人なのだから。
母は日々私を虐待した。殴った。蹴った。何度も「死ね」と言ってきた、何度も。
お婆ちゃんの協力もあり、私は上京して、東京の大学に進学し、やっとあの女から解放されたのだ。
産まれるのが間違いだった私は、どこにいても馴染めなかった。小学校も、中学校も、高校も。そしてそんな卵から産まれた私は、もちろん自分のことなんて好きになれなかったし、自分と違う周りのことも好きになれなかった。
そんな私が上京したての頃に街中をぷらぷらしていたら、女優としてスカウトされて、レッスンを受けて、役者を目指した。なんとなくスカウトされた時は胡散臭いと思ったけど、一晩考えて役者を目指そうと決めた。今までの自分とは違う人間になれる気がしたから。
そうして嫌でも他人と過ごすことが増えた私は、なんとなく周りとの接し方を覚え、大学にはそれなりに浅い人間関係がたくさんできて、同じようなアクセサリーをつけ、同じようなファッションをし、同じようなメイクをして、クローン人間のような大学生活の日々を送った。それでもクローン人間なりに頑張って役者として成功することを夢見ていた。
でも現実は思っていた以上に現実で、今大学四年生の私は諦めておとなしく就職活動をしている。汚い部室に汚いバイブ音が鳴り響いた。
星野からのLINE『夕、明日も部室きてよね』
この子は変わっている。でも私はこの子が嫌いになれない。ださい眼鏡をかけて、見た目に一切気を使わないのに、何も恐れていない。まともにすればそれなりに可愛いはずなのに、服も髪型もださい。化粧もしない。そして思ったことはズバッと言う。だから一緒にいると気を使わなくて楽なのだ。使える武器を全て使って、自分を嘘で塗り固めている私と、彼女は対極にいる。
……はぁ
っていかんいかん!ネガティブスイッチが作動していた。駄目駄目!色々と前向きに頑張るって決めたんだから!『日中、面接一本あるから、行けたら行くね』LINE送信っと。明日は不動産関係の会社の面接。興味はあまり無いけれど、少しでも今までにやっていたことから離れた仕事を選んで受けている。
こんなに埃っぽい部屋早く出よう。だから暗い気持ちになるのだ!私は立ち上がり、早足で部室を後にした。
人気のサークルは、授業をする教場とは別館の部室棟というしっかりとした場所が設けられているが、この映研は教場のある建物の地下倉庫のような場所にひっそりと位置している。
外はもう真っ暗で、肌寒く、アイスを食べる気は一瞬にして吹き飛んだ。外に出ると、あの部室空間のやばさがより一層わかる。東京の空気って意外に美味しいんだー!なんてね。今日は早く家に帰ろうかな。夕飯どうしようかな。
「どうした?急に連絡してきて」
「いや、暇だったからさ」
「奢ってもらいたかったんだろ」
「ばれた?」
私はビールを飲み、上手くなった作り笑顔を浮かべた。大学二年生の時に浅い関係の知人の誘いで合コンに参加して、予想通り全然面白くはなかったんだけど、そこで知り合った滝本くん。細身の身体に塩顔の顔、雰囲気イケメンと呼ぶに相応しい彼とは、合コンが終わってからも、ちょくちょく連絡がきて、何度か会ってご飯を食べに行っている。彼は私のことが大好きだ。滝本くんは優しいから、私の都合の良い態度にいつも惑わされてくれる。多分甘い言葉を囁けば、すぐにホテルへGO!という感じだろう。まぁ行かないけど……。異性といると自分が独りで無い気がする。それが間違っていることも分かっているけれど、この人が私を好きでいてくれる時間は私の存在はきっと意味があるはずだし。
「中村、役者辞めたんだっけ?」
「そうだよ」
「勿体無いなぁ。前に舞台で見た中村、生き生きしてて良かったのになぁ」
「世の中、金なの。金を稼がなきゃ意味が無いのさ」
そうなのだ。金が無ければ何もできない。
「まぁ、そうなんだけどさ。俺は中村が羨ましかったんだよなぁ。夢に向かって頑張ってるなんて、俺には無いしさ」
そう、ただの夢だった。目標とは到底呼べなかったと私は再確認し、そんな私にしてみれば社会に貢献している彼の方が今となっては羨ましい。
「……夢に向かってね」
「違う?」
「そうだったよ。芝居は面白かったし。なんかスカッとしたよ。でも別に変わることは出来なかったよね。あ、すみません!生ください!」
「お前明日、面接だろ?頭痛くなるよ」
「良いんだよ。それより滝本くん、なんか面白い話してよ!」
「え?」
あ、やってしまった。咄嗟にそういう言葉を吐いてしまう。「面白い話してよ」ってフリがもう面白くないのに。
「えっと、じゃあ~」
でもこの人は頑張る。私と付き合いたいから。別に付き合ってもいいし、正直セックスの一つや二つしたって構わない。でも簡単にしてしまったら、あの母親と同じな気がする。それに付き合ったら、きっとこの人は今のように私を追ってはくれない。それはそれでつまらないのだ。そんなこと考えている自分もつまらない。あぁ、自分でイライラする。なんてネガティブなんだ!母親のせいだ。あの女が、私を支配してるんだ。最悪だ。
「中村?聞いてる?」
「あ、聞いてるよ~。んで、そのおばさんが?」
「うん。で、その人がさ~」
あなたでもいい、誰か、私を救ってくれないかな。そんなこと言ったらうざいよな。